第二章 魔法の国(3)
僕を監獄から連れ出したセレーナは、いきなり看守に銃を突きつけていた。
撃たれれば一瞬で昏倒するという『神経銃』だ。
看守はあわわわ、なんていう情けない声を出している。
「で、殿下、その、囚人を、お連れになってはいけません……」
それでも看守は声を震わせながらセレーナを制止しようとする。
「だったら私はあなたを撃ち倒して堂々と出て行くだけですけれど?」
セレーナの脅しに対して彼は首を横にぶんぶんと振る。
「どうぞお気を確かに……殿下はなさってはならないことをなさろうとしていらっしゃいます」
「いいえ。この私は最高位の貴族としてあなたのような平民の人権を無視する権利を持っております」
その高圧的な宣言に、看守は顔を真っ青にした。
「さあ、お退きなさい。それとも、こちらがお好み? 今ならこの王女の慈悲で出力レベルを最大にして最高の苦痛を下賜しましょう」
看守は、ひええ、と悲鳴を上げて一歩下がり、両膝をついた。
「間違っても誰かに通報しようなんて思わないことね」
セレーナは僕を引き連れて悠々とその前を通り過ぎる。
やがて小さな厚い扉をくぐると、王宮の広大な敷地が目に飛び込んできた。
「さ、早く行きましょう、すぐに追っ手がかかるわ」
「え、でも看守には通報するなって……」
「王宮セキュリティがそんなの律儀に守るわけないでしょう」
この言い方だと、過去の家出でも、プライベートゲートの衛兵を口止めして失敗しているんだろうな。
彼女が先に立って、植栽の間を走る。
捕まったとき、失意で周囲の観察もしていなかったから、自分がどこなのかも分からない。
だから、とにかく彼女についていく。
立派な道があるのに、わざと植木の合間を走っていく。
なぜだろう、と思っていたら、すぐに通路部分に明るい街灯が灯った。まぶしいくらいだ。
「あーあ、もう手が回ったのね、お早いこと」
セレーナがつぶやくように言う。
「手が回ったって……僕の脱走に?」
「ま、そうね。あと、私の家出のときも大体似たようなもん。すぐに王宮中にサーチライトが灯るのよ」
そのサーチライト代わりの街灯は、植え込みの中も明るく照らしていて、見つからないか、気が急く。
思わず駆ける足にも力が入り、セレーナを追い抜いて前に進みがちになる。
と。
「伏せて!」
突然、セレーナの小声の叫びと、背中に重い衝撃。
僕はつんのめって倒れ、芝生にしこたま鼻を打ちつけた。
ぜいぜいと息をしながら耳を澄ますと、近くの小道を複数の革靴の走る音が聞こえる。
危ないところだった。
もちろん見つかったとしてもまたセレーナが脅しつけて、ってこともできるんだろうけれど。
面倒を避けるに越したことはない。
足音が聞こえなくなるまでじっとして、ついでに呼吸を落ち着かせる。
すると、僕の耳元に、高く速い呼吸音が聞こえることに気がついた。
うつぶせの僕の上に、セレーナが覆いかぶさっている。
彼女のピンクの唇は僕の耳のすぐ後ろにあって。
彼女の小さな体は僕の上にぴったり重なっていて。
長い髪のいい香りが僕の鼻をついて。
僕の肩甲骨の辺りに、小さく柔らかいふくらみを感じて。
小柄な体格なのに触ってみると意外と……。
あ、いやいや。
あわわわ。
思わず赤面する。
僕のそんな様子に、セレーナが気付いたようだ。
ゆっくりと立ち上がり、衣装の前をパタパタとはたいている。
僕も立ち上がるが恥ずかしくて目を合わせられない。
突然、ガツンとすねを蹴っ飛ばされる。
叫び声をあげるのをぎりぎりで我慢してうずくまる。
角はやめて、そのとがった靴の角は。
「……これで勘弁しといてあげるわ。くれぐれも、この王女に妙な気を起こさないように。ただじゃすまないわよ」
自分から覆いかぶさってきたのに、実に理不尽だ。
そりゃちょっとその感触を楽しんじゃったことは否定はしないけれど。
と、反論しようとも思ったけれど、次はローキックじゃなくて神経銃かもしれない、と思い、口を閉じた。
***
行き交う衛兵に見つからないよう王宮内を右往左往した挙句、ようやくプライベートゲートの一つから抜け出すことに成功した。
もちろんゲートの衛兵はセレーナの逃亡を知っていたが、この衛兵は彼女のウィンク一つでむしろ笑顔で彼女を通した。慣れってこわい。
ゲートを通って外に出たところは、広い公園だった。最初に来たところとは違うように見える。
そして、ほんの一分も待たぬうちに、彼女のマジック船が飛び降りてくる。
僕らはそれに飛び乗り、誰にも制止されることなく、気がつけばはるか上空の青と黒の境を突破していた。
宇宙に出てすぐに通信アラームが船内に響く。操縦者証スロットはセレーナのIDに入れ替えてあったから、それはもちろんセレーナ宛の通信だ。
椅子から立ちアラームの主をパネルで確認したセレーナは、渋い顔をして僕の方に振り向いた。
「ロッソよ」
そうだろね、と軽くうなずき返した。
「無視しようかしら」
つぶやいてから彼女はしばらく唸って考え込んだ。やがて、再び僕の方に顔を向けた。
「彼も困った立場でしょうから、顔くらい立ててやることにするわ。当分家出するってこともついでに」
僕は無言でもう一度うなずき、彼女の考えを支持した。
彼女はパネルに向きなおり、通話開始の操作をした。
映像はなく、声だけが聞こえてきた。
『セレーナ王女殿下、摂政でございます。今すぐお戻りください。これは王命です』
と、しょっぱなから高圧的だ。
「ロッソ摂政様、申し訳ございません。しかし、あらぬ疑いをかけられこの姫の名誉は深く傷つけられました。もはや王城にはこの姫の居場所はございません。名を捨て地の果てに逐電することをお許し願います」
セレーナはそう言いながら、僕の方を見ながらぺろりと舌を出して見せる。文字通りの二枚舌というものをその時僕は初めて目にした。
『王女殿下への疑いに関しては、弁護の機会が与えられます。どうぞ、お戻りを。そのままでは、汚名をそそぐ機会さえ訪れません』
「あのような下賤の民との関係を疑われたことがもはや私にとって耐えられぬ屈辱でございます」
下賤の民、耐えられぬ屈辱、ねえ。間接的に僕が手痛いダメージを負っているような気がするのは気のせいだろうか。
『殿下、此度ばかりは単なる家出では済みません。殿下は数々の罪を重ねておいでになる。このままお行きになるのであれば、少々きつい処分を検討せざるを得ません。今お戻りなら無罪となるよう王勅をお出しくださると陛下も仰せです』
セレーナはすぐに答えず、パネルを叩いて回線を一時停止にした。
「と、言っているみたいだけど、ジュンイチはどう思う?」
「……きつい処分って?」
「そうね、前にも一度だけ脅されたことがあったけど、クレジットを使えないように身分停止されるとか」
「それって結構おおごとなんじゃ」
「まあね。今回の件でそこまでやる覚悟がロッソにあるかしらね」
って、前にはどんなことやらかしたんだよ、身分停止って。
しかし、さて、ここにきて、彼女は悩んでいるんだな、と思った。
それはそうだ。かたや無罪放免、さもなくばきつい処分。単に鬱憤を晴らしたいというだけの理由でそこまでの危険を冒す必要があるだろうか?
相手は意外なほど現実的な妥協点を提示してきた。だったらこちらも譲歩できるんじゃないだろうか。少なくとも、セレーナの汚名と罪はすべてチャラ。あとは僕がセレーナの弁護の下、罪を晴らせばすべて解決。懐かしい日常が待っている。簡単なことだと思う。
「……僕が気になったのは、君がこの後ひどい扱いを受けないかってこと。ここで言質をとってその心配が消えるのなら、戻った方が良いと思う」
僕が言うと、セレーナは微笑んでうなずいた。
「ありがとう。あなたならそう言うと思ったわ。……決めた」
そう言って、セレーナはパネルに再び向き合った。
「あなたの罪が消えない限りは譲らない」
背中越しにきっぱりと言い切ったセレーナ。
……僕は一番大切なところで間違った回答をしてしまったらしい。彼女の意地っ張りに盛大に点火してしまったようだ。
彼女は回線をリスタートし、その向こうの摂政に向かって話しかけた。
「大変寛大なお仕置き、ありがたき幸せでございます。しかし、私の過ちで罪に問われたあの平民はどうなるでしょう。彼の潔白も、もはや明白と言えませんでしょうか」
セレーナの言葉に一瞬静かになった回線の向こうから、声が続けて聞こえてきた。
『王女殿下、お戯れを言うのはおやめください。殿下の過ちはすべて水に流す。となれば、今回の事件はあの平民が一人で起こしたことです。下賤なる平民が恐れ多くも国王の御寝所に足を踏み入れたとなれば、法に照らせば死罪。さほどの重罪人を無罪とする法は、この王国にはございません』
「死ざ……ちょっと待って、いくらなんでもそれはやりすぎじゃないの? ……ですか? 摂政閣下。私が彼を頼んであそこまで連れ込んだことは事実です、しかし、不届きな目論見があったのでは決してありません」
セレーナは反射的に反論していた。死刑、いやいや、さすがにそれは僕だって困る。
『もちろん、不届きな目論見があったかどうかは裁判で明らかになるでしょうが、まずはお戻りいただかないと、その裁判さえできませぬ』
火に油。
そんなことわざが脳裏に浮かぶ。
ロッソの言葉はいちいちセレーナの意地っ張り根性を刺激する。わざとやってるんじゃないだろね?
「いいえ、戻りません。ジュンイチ、……その平民を無罪とすると約束してください」
『それはできません。平民に貴族特権たる対法優越は適用されません』
セレーナは、ロッソの言葉に一瞬黙る。
そして、うつむいて拳を握っていたかと思うと、通信パネルの枠に思い切りたたきつけた。
「わからずや! あなただって彼が何者でどうやってあそこにいたかくらい分かってるでしょ!? あなたのたくらみなんてとっくに存じてます! 彼を人質にして私に押し付けたい無理難題を何か思いついただけなんでしょう! もうまっぴら! そんな馬鹿げた王国なんて! 除名でも追放でもお好きにどうぞ!」
一気にまくしたてたかと思うと、一方的に回線を切断し、それどころか通信端末のメインスイッチも落としてしまった。そして右手をパネルに押し付けたまま、何も言わずに通信端末の前にしばらく佇んだ。
と思っていたら、突然、くっくっ、と小さな声が響いてくる。
「ふ、うふふ、あははっ……!」
セレーナが笑っていた。
「はははっははっ……」
笑うセレーナを、どうすればよいものやら、迷っていると、
「ジュンイチー……大変なことしちゃったぁ……」
目元をぬぐいながら、彼女が振り向いた。
「……うん、分かる、何となく」
僕は、案外自由だな、この人、と心中でため息をつく。
「……さて、儀式も済んだし、行きましょ」
「ま、待ってよ、毎回こんな騒ぎを?」
僕が尋ねると、
「ここまでってことは珍しいけど……あの人も虫の居所が悪かったのかしらね。あいつらがあわてだすまで姿を隠していましょう」
ええー。
王女様となると家出のスケールもでかいものだ。
なんて思っていると彼女は操縦者証スロットから自分のIDを取り出した。
「ってことで、しばらくまたあなたのIDを借りるわ」
僕からIDを奪ってスロットに入れ、それから、彼女はちょっと疲れたような顔で居眠りをし始めた。
***