第二章 魔法の国(1)
■第二章 魔法の国
宇宙の旅は順調そのものだった。カノンで撃ち出されるときは、想像もしなかったような加速にさすがに驚かされたが、撃ち出されて見るともう遠くに次の中継カノンが見えている。その軌道上のカノン基地に小一時間ほどかけて飛びつき、次のジャンプ。
中継地はさまざまだった。遠くに青い惑星が見えることもあれば、どう見ても誰も住めるはずの無い素っ裸の岩石惑星の周りにある中継基地の場合もある。手ごろな小型惑星がないため巨大なガス惑星の周回軌道に作られたカノン基地では、視界いっぱいに広がろうかというオレンジの表面と土星もかくやという立派なリングにしばらく心を奪われたものだ。
ジャンプの回数はずっと数えていたつもりだったが、確かにジャンプしたと覚えているのは七回までだった。すっかり加速に慣れてしまってからは、キャビンで寝ている間にもジャンプをしていたらしく、少なくとも二十回以上はジャンプしただろうと思う。
実際に一番時間がかかる退屈な時間は、カノンで打ち出されて着地してから、次のカノン基地にたどり着くまでだ。
とはいえ、ほかの宇宙船が化学推進でもたもたと加速してみたり減速してみたり、というのを繰り返しているのを横目に、セレーナのマジック推進宇宙船はすいすいと泳いで目的地にぴたりと静止する。まるで魔法のようなその身のこなしは、この推進方式の命名のときにマジックという綴りありきで単語を当てたものだ、という俗説を十分に裏付けていた。
マジック推進装置の構成要素そのものは、単純に重力を反転させるだけのデバイスで、反転したり戻したりを船の周囲数箇所で超高周波で位相をわずかにずらしながら繰り返すことで船の重力感受性に巨視的な指向性を作り出し、近所にある恒星や惑星のために微妙に歪んでいる重力ポテンシャルで起こる重力の風を受けて帆走するように進んでいるってことらしい。
重力のあるところならどこでも推力を得られる、言い換えれば、宇宙の中ならどこでもどちら方向にでも加速できる、ということなのだ。その動力源は、近くの惑星だったりその主星だったり隣の恒星だったり遠くの銀河だったり。そういった諸々の重力源から、ほんの少しずつ重力エネルギーを掠め取って船の動力にする。事実上無限のエネルギー源とも言えるけれど、何しろ、宇宙レベルで薄まった重力をほんの少し掠め取るだけなものだから、一般のエネルギー源として活用するには少し役者不足、なのらしい。
そんな話をジーニーに教わったり、僕の歴史講義にセレーナがなぜかうんざり顔しているのをみたりしながら二日がたったころ、セレーナが次のジャンプが最後になる、と言った。
そのジャンプ中継地の名前は、グリゼルダ星間カノン基地と言った。
ありがたくも王女様の繰り返しのご指摘を賜り、セレーナのミドルネームがグリゼルダと覚えていた僕がそのことを告げると、ミドルネームにその名を持つセレーナは、その惑星を拓いた由緒正しきヴェロネーゼ家の血統を母方に持つのだということを反り返るほどに胸を張りながら語ってくれた。
「じゃあ、ここに降りてヴェロネーゼ家? ……の助けを借りたら?」
「それは最後の手段。仮にも三公の一家をロッソ公爵家に対立させるなんて、考えられないわ。それに、ヴェロネーゼ家はグリゼルダに大きな荘園は持ってるけれど、住んでるはエミリアよ。少し考えれば分かるでしょう」
分かるか、っての。
そんな話をしながら、グリゼルダを眼下に、基地に船を寄せる。プラットフォームが宇宙船を吸い込み、星々の代わりに無機質な構造材が視界を覆った。
砲撃準備で船内のすべての電源が落とされ真っ暗になる。非常用の小さな船窓からわずかに入ってくる基地内照明光がセレーナの横顔をほのかに浮かび上がらせている。大きなアラーム音に続き、すっかり慣れた砲撃の加速――それが終わると、僕の目の前のモニターに、テラフォーミングに成功し青い海と緑の大地に覆われた、惑星エミリアの拡大映像が浮かび上がった。
***
セレーナの宇宙船はマジック推進で高度を下げ、大気に入った。風きり音が聞こえ始めたかと思うと、翼を広げ、滑空で下り始める。マジック推進もそれなりに燃料を食うので、特に急がない下りは滑空を使うのが普通なのらしい。
さて、ここまでで僕の役割は、一応は終わりだ。
ともかく、ここに来るまでのチケットも通関も、もちろん船の操縦者証も、僕のIDを使ったわけだから、セレーナがエミリアにいるということを知っているのは僕しかいないはずだ。
彼女のIDを監視している者から見れば、彼女はまだ地球にいるはずで。
後は、セレーナがこっそり王宮に戻り、王様に告げ口をして問題を首尾よく片付け、僕を地球に送り返してくれればいい。
だから、降下後は僕はこの船で待機いていればいいんだと思っていた。
その予想に反して、セレーナは、せっかくだから一緒に来なさい、と僕に命じた。こんな面倒に巻き込んだんだから、王宮でちょっとした国賓待遇の役得くらいは味わわせてあげる、と。
そんな話をしている間も、宇宙船はどんどん地表に近づいていく。時折右に左に小さな加重を感じ、目的地に向けて細かい進路調整をしているだろうことだけが分かる。久しぶりの重力と相まって、心地よくて眠りそうになる。
前方のスクリーンに、遠くの広い着陸場が見えてきた。
船が着陸場の真上あたりに差し掛かったところでマジックが推力を変えるとき特有のぶるぶるという唸りが聞こえ、空中に静止した。徐々に高度を落としていく。最後に、船の車輪が地面を掴んだ音が大きく響いて、震えていたマジック推進機関が大きく息をつくように緊張を解いたのが分かった。
「さ、すぐに行きましょう。ジーニー・ルカ、あなたはここで待機。燃料も補給しておいてね。地球までもう一往復ありますから」
セレーナが言ったところで、僕は、彼女が自身で僕を地球に送り返してくれるつもりだと気がついた。
彼女が開け放ったタラップドアから吹き込んでくるエミリアの風を吸い込み、彼女に手を引かれて惑星エミリアの表面を踏みしめた。
***
セレーナには、ちょっと歩くわよ、とは言われたものの、飛行場から王宮まで、ちょっとやそこらではなく、ゆうに三時間は歩かされた。
エミリアの町並みは、広いレンガ敷きの通りと低い建物からなっていた。三角屋根と石積み風の壁、木製のバルコニーと帆布地のシェード、ビデオアーカイブでしか見たことの無いような古代の地球の町並みを思い出す家々。きれいに舗装はされているものの、わざと蛇行するようにデザインが施された通りも、この星のゆったりとした生き方を象徴しているようだった。
そんな通りをたくさんの暇そうな人々が行きかっている。きっと、独占産品マジック鉱による恩恵で、あくせく働く必要もないのだろう、と思う。
ようやく王宮が見えてくる。
王宮も古代風のお城を想像していたが、それは赤茶色の外観で統一された数十のビル群だった。もちろん、低い建物ばかりが並ぶエミリアの首都の中ではそのビル群は飛び切りに目立っていて、王宮であることを主張するという目的は達しているのだろうけれど、できれば古風に統一してほしかったな、なんて思うのは、僕が観光者気分に過ぎないからだろう。
王宮への門にあたる部分は、両側に森が生い茂った目立たない道路と門番つきのポールゲートのみ。
その道路を奥に向かって進むのかな、と思っていると、セレーナはその手前で右側に逸れて、王宮を右に回りこむようなルートをとった。その先に市民に開放された王宮公園があり、暗くなると衛兵一人だけになるプライベートゲートがあるからだと言う。
そのプライベートゲートは王族と一部の貴族にのみ解放されていて、王族がひそかに城下に出るため、言ってみれば、お忍びで市中を見て回るためにはるか昔に作られ、惰性で維持されているものだと言う。今ではすっかり、セレーナの家出用になっているのだそうだ。なるほど、彼女が気軽に家出ができる理由が分かった気がする。
公園に着き、端のベンチに二人で腰掛けて、僕らはようやく手持ち無沙汰になった。
「良い星だね。みんな幸せそうだ」
暖かい気候で少しかいた汗が引いた頃、公園で遊ぶ親子を見ながら僕はお世辞を言ってみた。
「ありがと。全部、マジック鉱のおかげだけれど」
案外殊勝な返答を返すセレーナ。
そう、この国が穏やかで繁栄を享受できるのは、確かに、マジック鉱という独占資源のおかげなのだろう。
「貴重な鉱物がある国と言えば、内戦がつきものだと思っていたけれど、そうじゃない国もあることを知って驚いたよ」
過去、人類が地球にしかいなかった時代、石油や希少元素などの貴重な鉱物資源の埋蔵されている国は常に戦乱の中心地だった。宇宙でここにしかない貴重な鉱石があるこの国で、戦乱が起こっていないことは奇跡に近いと思う。
「全く平和ってわけでもないのよ」
と、セレーナの答えは、しかしちょっと意外なものだった。
「大昔、まだこの国がそんなに力を持っていないころ、マジック鉱が発見されると、この国はすぐに野望のターゲットになったわ。その時は、野心を持つ大国同士のけん制で運よく戦場にはならなかったけれど。それぞれの大国に体のいい権益を提供しながら、その間にこの王国は力をつけて。大国が手を出せないうちに大宇宙艦隊を組織して。そのうち片方の大国が衰退してね、それからは隣の国からの侵攻を何度も受けて、何度も戦争があったのよ。今でもマジック鉱をめぐってはいろんな欲望が行き交ってる。国内にも。王はずっと、権力と富の維持・分配に大変な努力をしてきて……、だから、次の国王かその母になるかもしれない私がしっかりしなきゃ……いけないの」
彼女の横顔に視線を移すと、確かに十六歳という歳に見合った、重責に対する不安を隠しきれない幼い少女の顔があるのだ。
守ってあげたい、なんていう分不相応なことを思いついてしまう。国王息女としての重責と権力争いの陰謀とそしてこれから襲ってくる数多の障害から。
「……もっと肩の力を抜いてもいいんじゃないかな。今は、もっと、ごく普通の十代の女の子が楽しむようなことを、君もどんどん経験すればいいんじゃないかと思うんだ」
きざったらしすぎたかもしれないけれど、このくらいのことは言ってもいいんじゃないかと思って。
「普通の女の子のように……ね。これだけの権力とお金と、あなたが一生見ることも無いような宇宙船やジーニーやを持っている私が、普通の女の子のようなことができるかしら」
「僕だって普通の女の子が何をして楽しんでいるのかは分からないけれど、お金で手に入らないものだってあるじゃないか」
「たとえば、恋、なんてことでしょう?」
そう言って、彼女は笑った。
「それは無理な話。私は、結婚するまでは純潔を守らなきゃならないし、結婚相手は王と諸侯と枢機院とその他もろもろの私の知らない人たちが決めるの。恋の入り込む隙間なんてないわ。たとえばの話、もし私が、この人と結婚したいんです、ってジュンイチを王宮に連れて行ったらどうなると思う?」
宇宙一のお金持ちの王女様と結婚か、悪くない妄想ではあるけれど。
「最悪の場合、あなたの存在が、煙のように消えてしまうと思う。最初からいなかったかのように。王家、王制ってのは、案外残酷なものなのよ。王家の都合と利益が民の人権よりも上にあるの」
甘い妄想は冷や水をかけられて霧消した。
この国の人たちの幸せそうな顔を見ていると、この国の王家がそんな残酷なことを日常的に繰り返しているとは思えないけれど、やると決めればやるだけの冷酷さと権力の裏付けがある、ということを彼女は言いたいのだろう。
「だからこそ、その権力をいつも意識してなきゃだめなの。少なくともエミリア王家はそうしてきた。民あってこその王国。確かにちょっと貴族病に冒されたような人もいるけれどね」
「君に望まぬ結婚を押し付けている人、とか?」
セレーナは伏し目がちに首を横に振った。
「摂政様は野心家ではあるけれど、本当に国のことを考えているし、民には優しい人よ。彼に育てられた私の従弟……あ、私が結婚させられようとしている子なんだけどね、彼も、とても民への理解の深い理想的な貴族になりつつあるわ」
彼女の言葉を聞くと、なんだか毒気を抜かれる気分になる。なんだ、まんざら毛嫌いしているってわけでもないんじゃないか。
僕が黙っていると、彼女は僕の沈黙に対して別の解釈を与えたらしい。
「ごめんなさい、少し脅しが過ぎたわね。安心して、確かにこの国の貴族は貴族以外の人権を無視する権利を持っているけれど、それは厳に慎むべきものとされているわ。ま、私があなたと結婚したいなんて言うこともないから、そっちも心配無用よ」
最後の宣言に関しては、形上は残念と言っておくべきなのだろう。
僕は小さくため息をついて、公園で遊ぶ親子に目を戻した。
***