第二章 魔法の国(4)
エミリア領から出るのに使った航路は、来るときに通ったグリゼルダではなく、ベルナデッダという星系側だった。彼女の説明によれば、ここももちろんエミリア領だという。エミリアが唯三つ領有する最後の惑星。
ここからジャンプすれば、もうすでに隣国。
ここまで来れば、エミリアの物理的な追跡は無い。
セレーナのIDも文字通り宙に浮いているから、居場所さえ掴めない。僕自身のIDで言えば、彼らは僕のIDを一度も確かめさえしてないのだ。
セレーナにしてみれば、たぶん、これまでで一番自由な家出なんじゃないかな。彼女のうきうきした顔を見ていれば、なんとなく分かる。
またまた二日をかけて、地球へ。
誰にも止められず、楽な道のりだった。
彼女にあってから六日がたっている。秋休みももうすぐおしまいだ。
と告げると、じゃああなたは学校に行った方がいいわね、とセレーナは言った。
何事も無かったかのように学校へ、となれば、結局、事件は事件にさえならずに終わるわけだ。
「それで、君はどうする?」
「さあ、このまま軌道にとどまっててもいいんだけど……無重力って疲れるのよね」
そんな年齢でもなかろうに、左肩を押さえて首を左右に曲げる。
「じゃあ、うちに」
と半分まで口に出してから、いやさすがにそれはまずい、と言葉を止めた。
でも彼女は遠慮なしだ。
「そうね、ご理解のあるお父様みたいだし。ちょっとお邪魔するわ」
決まるや、彼女はジーニー・ルカに着陸を命じた。
***
秋休み明けの学校は、何も変わっていない。
小数点以下の気温低下があったくらいだろう。
考査結果の発表などというまったくうれしくないイベントを挟みながら、一日目は無事に終わった。
そこで話しかけてきたのが、浦野だ。
「大崎君、秋休み、どこか行ってたのぅ?」
「う、うん、どうして?」
「どっか遊び行こうと思って呼び出したらつながらないし、おじさんに聞いてみたら、なんだかごまかされちゃったし」
浦野から連絡あったなんて親父言ってなかったぞ。
僕のほうはと言えば、星間距離にいたもんだから、星間通信契約なんてしてるはずの無い浦野からはつながるはずが無いし。
「そうなんだ、ごめん」
「一人旅? やるねえ」
「一人旅……えー、うん、ソウダッタカナ」
ちょっと棒読み気味に答えると、浦野の目がきらりと光る。
「……誰か一緒だったんだあ。うわー、やーらしーいー」
「な、なんでやらしいんだよ」
「そりゃもう、年頃の男女が二人旅なんて言ったら毎夜毎夜のお楽しみが……」
「そ、そんなこと無かったよ!」
あわてて否定してから、なんだかまずいことを言ってしまったことに気づいた。
「……あれ。年頃の男女が二人で旅行してたわけ?」
うん、まずいこと言ってたみたい。
「だーれーよーうー。おーしーえーなーさーいーよーうー」
これが彼女の『うざいモード』だ。こうなったらなかなか引かないのは知ってる。下手すると他のクラスメートだのを召喚して『スーパーうざいモード』に変身しかねない。
「……仮の話」
「うんうん、仮の話」
目を輝かせる浦野。
「遠くの星の王女様が空からやってきて、ちょっと家出したいから手伝えって言われたら」
「……は」
彼女は口をぽかんと開けて固まった。
「まあ、手伝うよね」
「そ、そうかなあ?」
「そういうことだったと思ってよ」
「……あー、はい。それでいいです」
完全に呆れられた。けど、それがいい。
「で? その王女様は、無事に家出できたの?」
あ、続きは聞きたいんだ。
「できたできた。でも、帰れないから、今僕のうちにかくまってる」
浦野は、そこまできて、ぷすっ、と小さく噴き出した。
「うふふふ、面白いねえ。だったら、ちゃんと帰るまでサポートするのが男の役目よぅ?」
「でも本国のすっごく偉い貴族に啖呵きって出てきちゃったから帰れないんだよ」
「あはははは。おもしろーい。じゃあ、大崎君、例のあの、『究極兵器』ってのを見つけてあげたら? そんで、それ持って帰って許してもらうの」
「あー、なるほど?」
馬鹿にされてるなあ。
「で、結局誰と?」
「だから一人だったってば!」
***
「とりあえず、私、帰るわ」
僕が帰宅すると、開口一番にセレーナが言った。
「そうなんだ」
僕は軽く返事をする。
飽きるの早いな。
「ちょっと借りるわよ」
そう言って、セレーナは自身のIDを取り出し、家の通信端末に差し込んだ。そして、どこかを呼び出している。
……が、彼女は一言も発することなく、渋い顔をして振り向いた。
「つながらない」
「は?」
僕は彼女の言葉の意味を確かめようと、端末に歩み寄った。
そこで見た表示は。
『このIDの身分情報は無効です。転籍、死亡等でIDが無効となった場合は速やかにIDメディアを返却してください。連絡先は――』
「……は?」
僕はもう一度、つぶやいてしまった。
「どういうこと?」
「どういうことも何も……ここに書いてあるとおりだと思う。身分情報が停止されたってこと」
「……え、身分剥奪? そこまでやる?」
そう言うセレーナの顔には、怒りの色が満ち始めている。
「何よ、今までそんなこと無かったのに……ちょっとした家出なのに!」
「いや……やっぱり犯罪者の僕を逃がしたのがまずかったんじゃ」
「あなたは犯罪者じゃない!」
怒鳴る彼女に、僕は思わず首をすくめる。
「……あ、そういうことか。私のIDを停止すれば、ジュンイチのIDで船を動かすしかない……ジュンイチを確実に捕まえるために……」
言いながら、彼女の顔の紅潮はさらに色を深める。
「この第一王女を本気で怒らせるなんて。もういいわ。ジュンイチ、行きましょう」
「どこへ?」
「エミリアよ。ヴェロネーゼ家は味方につくはずだしグリゼルダの防空艦隊も動かせる……ロッソのやり口を快く思ってない貴族もいるはずだし……」
「ちょ、ちょっと、何を?」
穏やかならぬ言葉の数々に、僕は狼狽した。
「何って、分をわきまえない臣下に思い知らせるのよ」
「まずいって、戦争は」
「戦争なんかじゃないわよ、でも、私が声をかければこれだけの人間が動く、それをきちんと理解してもらわなきゃ」
それでも、軍隊を動かしちゃまずい気がする。
歴史上の内戦や革命は、案外しょうもないきっかけで始まっているものだから。
「穏便に行こうよ、たとえばさ、何か、君が先々責任を背負わなくていいような手土産を持っていくとかさ」
「そんなもの無いわよ」
「作ればいいよ、作るさ。そうだよ、たとえば、僕が何かとても重大な地球の秘密を知っている人間だから保護してたんだとか」
「あなたが?」
言われて、今日ちょっと浦野と話したことが脳裏をかすめ、思わず口に出す。
「たとえば、大昔一撃で地球を降伏させた究極兵器のありか、とか」
それが言葉になってから、いろいろな考えが頭の中を駆け巡る。
究極兵器――マイナーなその説――だからこその認識の盲点――。
「……一応、聞きましょうか」
あまり真面目に聞く気はなさそうに見えるなあ。
「昔、何百年も前――」
「あ、ごめん、やっぱいいわ」
「ちょっと待って、せめて聞いて」
「あなたの歴史の講義でしょう? 長くなる上にアレっぽいから……」
「アレってなんだよ。とにかく聞いてよ。何百年も前、地球が宇宙人の国に侵略された、って話、聞いたことがあるだろう?」
「もちろんないわよ。地球が宇宙戦争の舞台になったことなんて一度だってないわ」
これだ。
当たり障りのない公式資料だけから推測された歴史ばかりを教えているからこうなるんだ。公式資料には残されない歴史というのは必ずあって、その中でも特にこの話は、いろいろな傍証が残っている。なのに、まだ、並立する一説という扱いさえされないことに時々憤りを感じることさえある。
「それはきっとあったと僕は信じているよ。考えてみてくれよ。地球は人類発祥の地。歴史上常にもっともたくさんの人口とそれに比例した頭脳が集中していたんだ。当然、宇宙に広がっていったのも最初は地球人。なのに、今はどうだ。地球にある星間カノンも軌道基地も月面基地も地上カノンも、シャトルさえ、すべて、地球のどの国のものでもない。隣のアンビリアって国が支配してる。どうしてこんな惨めな立場にいるんだと思う?」
僕が言うと、セレーナも、ちょっと首をかしげる。
「確かに不思議ではあるけれど……たとえば、地球上の超大国同士がけん制し合った結果かもしれないじゃない」
「地球には複数の超大国はなかった。新連合が成立する前にも、北米大陸に一つだけの大国があって、ほかは力のない小さな国々だったんだ。その北米の大国は、力に任せて宇宙に飛び出すことができたはずなんだ」
「アンビリアよりも強い国だったってこと?」
「当時の宇宙中が束になったよりもね。それがどうして、自らを地球に封じ込めたんだと思う」
「わかんないわよ、どんな事情があったにせよ、結果はそうとしか言えないわ」
「そこで、昔に侵略があったっていう説が出てくる。宇宙に広がった独立国の内の一つが、地球からの侵出を恐れて地球に戦争を仕掛けた」
「ちょっと、それこそおかしいわよ。宇宙中の国が束になったってかなわないような国が地球にあったんでしょう?」
そう、もしそんな戦争が起こったんだとすれば、結果は火を見るより明らかなはず。同じ科学レベルで親子ほども国力差がある国が戦えば、どうなるか。
「だけど結果は、地球の負けだった。いや、地球はただの一撃で降伏したんだ」
「たったの一撃で? それこそ――」
「非常識だよ、もちろん。だけど、その一撃が、宇宙の誰も持ちえない、究極の一撃だったらどうだろう。北米のど真ん中に、何百年も前にできた巨大なクレーターがある。差し渡しは三キロメートル以上、それだけのクレーターを掘る爆発なら、周囲百キロメートルは跡形もなく蒸発していただろう。最新の研究でも隕石の痕跡はないから、隕石以外の理由でできたものなんだ。実はこれが、その『究極兵器』による一撃の跡なんだよ」
セレーナの喉が、ごくり、と動くのを、僕はじっと見つめた。誰だって、この説を初めて聞けば、言葉さえ失うだろう。僕だってそうだった。
「……で? その究極兵器、どこにあるの?」
「……分からない。でも、宇宙のどこかに痕跡があるはずなんだ。誰も調べようとしないだけで」
「でしょうね。そんなことを本気でやってる学者がいたら、誰も相手しないわ。研究資金なんて当然出ないし調査も――」
そこまで言って、彼女も気がついたみたいだ。
「だから誰も調査してないってことね」
「そうさ。だからそこに隙がある。僕は、僕自身は、それはきっと本当にあったことだと思ってるし、ちゃんと調査すれば証拠も出ると信じてる。でも、もしそうじゃなくても。誰も調査さえしなかった説を、君の莫大なポケットマネーで援助して調査したんだっていう形だけでも示せれば」
四億近くというとんでもない財布を持っているセレーナだからこそ、こんな大嘘も成り立つ。
「……その後は?」
「とにかくオオサキ・ジュンイチってやつはとても貴重な人物だから保護してたんだと言い張る、実は国王陛下にもその話を内密に伝えたくて、ってことに」
「はあ、よくくるくると回る頭をお持ちだこと。
我ながら、よくこんな大法螺がすらすらと出てくるものだと関心する。
「分かったわ、エミリア王国王女はロックウェル連合国その他の大国に対抗するために密かに究極兵器の秘密を探り、地球でその秘密を知る男を見つけてきた――それでいいわね」
彼女は、ふう、と小さくため息をついた。
「言っておくけど、僕は本当に見つけるつもりだよ」
付け加えると、セレーナはもう一度ため息をついた。
「そんな気はしたわ。ま、いいわ、こんな面倒に巻き込んじゃったんだから、あなたのわがままくらいきいてあげないとね」
僕が数日間学校をサボる気でいることを問い詰められなくて良かった、と思いながら、僕は笑顔を彼女に見せた。
***
また目立たないところまで移動してセレーナの宇宙船に拾い上げてもらい、再び僕は宇宙の旅に出た。
こんなこと、ほんの数日前までは想像もしなかったのに。
偶然とはいえ、セレーナとの出会いに、ちょっと感謝してる。
「ジーニー・ルカ。どうなの、ジュンイチの話は」
セレーナは船に乗ってすぐに、ジーニー・ルカにそんなことを聞いた。
どうやら、彼女のリボン――つまりブレインインターフェース経由で、僕の言葉はジーニー・ルカに筒抜けなのらしい。
「セレーナ王女、彼の話した巨大なクレーターの存在は、事実です」
もちろんだとも。あんな大きな穴の存在はさすがに隠せない。でも――。
「そして私の推論の結果、確かにジュンイチ様の説にも一定の事実性があると考えられます」
意外なことに、ジーニーの出した答えは、僕への賛意だった。
「定説は違ったと思うけれど」
僕は思わず言葉を挟む。
「定説はジュンイチ様の説を否定していますが、私の直感は、彼の説に十分な事実性があると結論いたしました」
「ちょっと待って、セレーナ、このジーニーは、直感を優先するのかい?」
僕は、ジーニー・ルカの言葉に驚き、セレーナに確認した。
僕の知る限り、ジーニーは論理情報の組み合わせで答えをだし、いくつかの確からしい答えの間で最後の回答を得るために、直感を使うものだ。論理情報から得られない答えを直感で勝手に導いで論理回答を否定するなんてことは考えられない。
「そんなもんだと思ってたんだけど、どうなの、ルカ?」
むしろ何も分かっていないのはセレーナのようだった。当たり前の存在すぎて疑ったことが無いのかもしれない。
「直感推論に十分な事実性確度があれば、論理推論より優先する場合がございます。この場合、事実性確認結果、確度は87.6パーセント」
ひょっとすると僕は、ジーニーが何か自ら進化しようとしている瞬間を目撃しようとしているのかもしれない。
自己評価とは言え、直感推論の『当たり』確率が八割以上、九割近くだなんて。
何か新しい推論の仕組みを取り入れ始めたのかもしれない。
昔から、ジーニーは、そういった類の進化をする可能性を指摘されてきた。
「分かんないけど、私のジーニーは普通のジーニーより賢いってことね。偉いわ、ジーニー・ルカ」
ペットをほめるように軽く流すセレーナ。彼女らしいと言えば彼女らしい。そんな彼女らしいところを、このジーニーは自然と学び取ったのかもしれない。
このジーニーとは、今度じっくり話し合ってみたい。
「ま、暇つぶしに付き合うわ。ジーニーが本当かもしれないって言うくらいなら、手がかりくらいは見つかるかもしれないし」
そして、彼女の信任は僕ではなくジーニー・ルカの頭上にあるわけで、もし彼(?)が僕の説を支持しなければ、僕の意見など一顧だにしなかったことは間違いがない。馬鹿な妄想をする暇があったら真面目に考えろ、とその時こそは本当にどでかい雷が僕に落ちかかっていたことだろう。
「それで、どこに向かいましょうか、先生?」
と問うセレーナに(先生と言われてさすがに照れるものもあるが)、
「そう、まずはアンビリアだね。結果として地球上空は今はアンビリアの支配下なんだから、アンビリアこそが地球侵略の主体だったと考えるべきだろう」
先生たる僕は答えた。
と、先生と呼ばれて鼻息を荒くしていたらしい僕を、セレーナはニヤニヤと見ているのに気づいた。
ちょっと恥ずかしくなって、ともかく出発だ、と告げると、はいはい、とセレーナはにやけ顔を隠そうともせず処理を始めた。




