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素庵日記  作者: 春野一人
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3月24日(土) 雨降ったり止んだり 森田芳光監督遺作を見る

 今日、森田芳光監督の「僕達急行 A列車で行こう」を観た。森田監督は2011年12月21日、61才で急性肝不全のため死去した。つまりこの作品が遺作となった。森田監督は、1978年に第二回ぴあフィルムフェスティバルで入賞して注目をあび、これが初作の「の・ようなもの」の監督の製作に結びついた。素庵は、森田監督がアマチュアであった頃を知っており、8ミリで作られた「ウエザーレポート」などという作品を観た事を覚えている。それらの作品には、、鉄橋を渡る東横線や、デートの時にも歯磨きをする面白い男や、ビートルズの歌がちりばめられていた。自作、監督のこの先品「僕たち急行・・・」には、それと共通する詩があるように思われた。鉄道が好きな大手不動産会社に勤める主人公は、彼女と鉄道の旅に出て、大田区で街工場をやっている青年グループと知り合う。この青年との出会いがドラマの始まりであった。・・・例によって素庵はストリーを述べないが、おかしくて、感動的な話に出来上がっていて、名作を作って有終の美を飾った森田監督に拍手を送りたい。


 素庵は初作「の・ようなもの」試写会に行くことができた。映写後、森田監督と握手をし「森田君やったな」と初作品完成を祝った。それから30年はたったわけである。そして訃報を聞いた。まだまだ生きていて欲しかった。素庵との関係などは幅広い森田監督の交友の隅の隅の話にすぎないが、そんなことがあった事を書き留めておきたい。


 今、しばらく「太安麻呂日本書紀を作った人」の執筆がとまっているが、もう一度書紀を読み直しています。その間、「紫式部日記」を、自己流に書いていますから、読んでやってください。現代語訳でもすらすらと読めないから、訳を作っているのです。どうか笑納のほど。「紫式部日記」は平安朝廷をドキュメントとして描いて非常に興味深い作品です。また他の「和泉式部日記」も「更級日記」も興味深い話ですが、従来の現代語訳は、直訳的であり、欄外注が非常に多いわりには、言葉解釈が不親切であったりします。これは古事記でも、書紀でも共通していえる事です。それで、素庵は「紫式部日記」完成後も、いろいろな古文の現代語訳をやろうかなとうそぶいております。


 


 


 



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