2月23日(木) 暖 文藝春秋を買って、芥川賞作品を読んだ。
北国の雪も一段落なようだ。東京も日々暖かくなって行く。しかしいままでひどく寒い日が続いたので梅も早咲き河津桜も開花が大幅に後れている。伊豆は河津の河津桜は通年ならとっくに見頃になっているのに、今やっと花開いた状態である。素庵、今年も花見に訪れたいが、どうも満開は三月の初め頃になりそうな気配である。
文芸春秋を買った。芥川賞受賞の作品が二作載っている。「共食い」(田中慎弥作)と「道化師の蝶」(円城塔作)である。ここでは、あまり内容には言及しないで、作品を読んだ印象だけを書いておきたい。「共食い」の作者は源氏物語を三度読んでこの作品の創作に取りかかったという。それだけあって、この作品はあたかもポルノ小説のようなセクシーな描写になっている。田舎の下町の淀んだ川の周辺に住む人々の生活と性のいとなみが生々しい。「道化師の蝶」は、たぶんにSF小説の影響を受けた話である。純文学にとっては新鮮というところか。しかしSFのすれっからしの素庵には、昔、SFマガジンに載っていた不出来な作品に似ていると思えた。この作品は、まだ読み終えていないから素庵の独断と偏見であるかもしれないが・・・。
素庵は所詮ネットの作家であるから、出版の作家とは、違う媒体の作家である。何らかの賞を受けて、雑誌に小説を書く作家ではない。最初はそれを目指していたが、出版界の審査なるものに疑いをいだいているから、最初から、ネット上の自費出版である。ネットの自費出版はほとんど費用がかからず、審査もなく、まさに革命的な発表形態である。かってマクルーハンはメディアはメッセージと言ったような事を述べているが、出版の小説とネット小説の違いは、すでにメッセージの違いと思って差し支えない。
春野一人は、小説のストリートミュージシャンだ。彼らのように創作と発表の場所はすでに持っている。そしてストリートミュージシャンと同様ににメジャーでなく、収入もない。春野君はメジャーになれなくとも生きている限りはこれを続けるつもりである。「捨てる神あれば、拾う神あり」であり、決してあきらめないであろう。売れなかったらどうするか・・・売れないが決してあきらめなかった、そういう人生もあると言うことである。
つまり、こういう面において、小説は新しいフェィズに入ったのである。