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素庵日記  作者: 春野一人
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2月7日(火) 時々激しい雨  小説家、里見弴の事

 朝、家を出る時に「オヤ」とおもうほど暖かい。しかし風は強い。強い風ながら、風も暖かである。春は、もうそこまでやって来ているのだ。

 朝、車で配達に出るとき、まずNHK第二、10時~10時30分の番組「カルチャーラジオ」を聴く。月曜日は「NHKラジオ・アーカイブ」(公文書館=サウンド・ライブラリーとも訳すか)から、永井荷風・谷崎潤一郎・志賀直哉・川端康成などの文学者の音声録音を聴かせてくれる。今日は、トルストイなどに影響を受けた白樺派の中心作家、里見弴さとみとん(有島武郎の弟)の音声が流された。

 里見弴の語るところによれば、当時の作家の収入は生活するには足らないもので、夏目漱石の教師から朝日新聞への転職も、文筆で十分な収入がなかったからである。当時、小説で安定した収入を得ているの者はいなかった。森鴎外にしても軍医高官という収入が主な収入であった。

 里見噸は、小説家になりたかったが、そういう事情で収入の安定している実業家になろうと考えていた。ところが里見の母は母が相続した、実家に当時の金で一千万円(現在の五億円ぐらいか?)がある、金利だけでも食べていけるからと里見に小説家への道を勧めたのである。

 それで生活に追われる売文業になるくらいならと、一度は実業家になろうかと思った里見弴だが、腰を据えて小説を書けるならと、小説家を目指すようになったという。・・・こうした事情を、小説家自身の言葉で聴くことは大変貴重である。


 素庵思うに、現在でも、日本の作家は、多作によってしか生活していけない「売文業」を脱していないように見える。それで有名流行作家はおおむね短命である。もっと少ない創作で豊かに生活できるようにならないものだろうか。ひるがえって考えてみるに文学愛好家の定年の諸兄は、いまや収入を保障され、里見噸の境遇となったのである、売れる売れないを気にしないで、自分が書きたいことを書けば良いのである。それをネットで発表する。ここから、新しい文学が誕生する可能性があるのではないだろうか。そうしてネットで売ることにより出版業に奪われていた小説家の真の収入をも奪い返すことができるであろうことも予測できるのである。



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