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素庵日記  作者: 春野一人
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12月4日 (日) 快晴 冷風強い

 小学校六年生になる孫が、素庵が勧めた「まだらの紐」(コナン・ドイル作)をルビをふった少年向け文庫で読んだ。原稿用紙一枚の感想文書いたら、500円あげるという、孫を読書家にしようというあこぎな戦略である。しかし、感想文は無理というので、感想を話す事で許してやった。朗報は彼の小学校三年生の妹も、それを読み出したと言うことで、素庵は上機嫌である。ところで素庵が本好きになったのは

家で小学生新聞なるものを取ってくれて文字に親しんだ事もあるし、叔父がおみやげに童話の本をくれたのもあるし、小学校の図書館で借りた「理科なぜなぜ」などの本を読破したことなどいろいろあるが、一番大きな原因は小学校高学年になるまでテレビがなかったせいでもあると思われる。

 NTVがテレビ放送を開始したのは1958年の事であり、これから推測するとテレビ導入が早かった我が家(これには訳がある。後で書く)だから、素庵が小学5年生の時にアメコミのスーパーマンやプロレスや「バス通り裏」等をみはじめたのだと思う。当時、お米10㎏で680円だったが、テレビは20万円から30万円だったと言うから、現在の米価格10㎏3千円で換算すると、今の価格で百万円を超えていたのである!さて、発売早々のテレビが何故、素庵の家にやって来たかというと、素庵の家は、食料品店&軽喫茶店をやっていたから、その軽喫茶店の客寄せに買い込んだというのが理由であった。この計略はあたり、素庵家の経済を潤した。とりわけプロレス「力道山・ルーテーズ戦」は、喫茶室の後部が煽り窓になっていたこともあって室内・外に百人以上の人を集めて驚くべき盛り上がり方で、かき氷はバカ売れで未だ素庵家の伝説となっている。

 しかし、こうしたテレビの登場は少年達を文字文化から遠ざけて、今日の出版不況の遠因となったことは確実である。


 今日は、昨日のテレビ「アド街ック天国」で紹介の、横山町の衣料品問屋街を歩く。草加を歩いたときも「アド街」の翌日であったが、少々人が多いと言うのが地元の人の感想であったが、今日は、まるで成田山の初詣のように、芋を洗う混雑である。わが山の神は半値で毛皮の衣料を手に入れ、至極満足の顔であった。店の名は「ホワイトミンク」であった。

 

 

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