11月16日(水) 関東北部に降雪。終日寒。
16日の記日がダブルなのだが、朝方、前の日の日記を書く、あとの祭りばかりのグウタラ素庵は、ここら辺で、混乱をさけるため、17日の朝書いたことは16日とすることにした。それで今日の日付は2011年11月16日である。くどいようだが、この記は11月17日午前4時20分に書いているのである。それで、ここに言う「今日」は昨日の事なのである。この言葉使いは、鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」の、語り口になんだか似ていて面白い。春野君の小説、「怒濤の歌。鎌倉第三代将軍実朝」執筆の時には吾妻鏡の原書と現代語訳を交互に取り出して、内容にあたったものである。そこには・・・今日、大倉御所において・・・といったような表現が良く使われているのである。この書においても、この「今日」は、ほんとうの今日ではありはしない。何年もあとに、書かれているのである。
さて、今日、東京は突然寒くなった。朝方、市民公園の向こうの一分に一台は来る、まことに便利な市バス(この手前の交差点から各所からのバス路線が合流するので、こうした異常なことになっているので、生意気にも素庵は混んでいるバスはパスして座れるバスを選ぶのである。この時ばかりはこうした地の利を選んでくれた、今は亡き父に感謝するのである)の停留所まで五分強の歩行にも、厚手のジャケットを着なければ寒い陽気となった。何でも日光・草津などにも雪が積もったそうである。
高木彬光作「古代天皇の秘密」は、残念ながら、日本歴史学者の悪しき非論理的、似た地名・似た人名で推測を重ねすぎて、史実と違う方向に行ってしまって、最後はなんだか、素庵の愚鈍な頭にはわけの解らないものに成ってしまっているという印象が深い。やはり日本古代は、かの賢学、野にあって花を咲かせた「古田武彦」氏にはかなわないのである。古田氏にも若干は、こうした独断はあるが、独断する場合、大変慎重である。高木氏は「成吉思汗の秘密」で、冴えを見せていた推論が、ここでは生きていないように思える。「成吉思汗の秘密」ほど、調査が行き渡っていない印象である。高木氏は青森の出身で、若いときから「義経伝説」に親しまれて、関連の読書も相当なものであったと、自ら書かれている。この、知らずの内の調査が、「成吉思汗の秘密」の創作にあたり、下支えになって、名作を作り出した要因となったようである。氏の「古代天皇の秘密」そうした背景がないので、物足りないものとなってしまっている。
朝食は昨日の残りのカレーに醤油をいれ、「和風カレー」となして、茶碗御飯にかけたものである。飲み物は冷茶・ホットコーヒーである。コーヒーはこのところ、カリタの電動豆ひき機をつかわず、ひいてある安豆を使っている。昼はコンビニのカップ蕎麦(128円)と竹の子総菜パック(105円)で質素。夜は、ネギを軽く炒めた後、牛肉をいれて焼き、醤油と砂糖で調味した中に、豆腐のみをいれた、ネギ・牛肉すき焼きといったものと、鯖の干もの焼に、酒・御飯で実にうまかった。