又吉直樹さん受賞の芥川賞と芥川龍之介の悲惨な人生について
最近、芸人の又吉さんが、芥川賞を取ったと言うことで、話題になっているが、この賞は1935年、文藝春秋の社主である、作家の菊池寛によって創立されたものだ。
ちょっと調べれば、菊池寛の経済的に恵まれた人生に比べて、芥川龍之介の人生はひどく恵まれていなかったことが判明する。一歳の時、母が狂死し、里子に出されている。龍之介は、きまじめな人で、この養家のために、自殺するまで貢いだようだ。
大学の時、愛した女性との婚姻を、育ての親である叔母に反対されて、それに従った。見返りに既婚女性に手を出すが、この女性が、今で言う「ストーカー」のような人物になった。
やがて、龍之介は別の女性を見初めて結婚するが、最初思っていたようには愛せなかった。子供は増える、しかも義兄弟が早く亡くなり、義兄弟の家族が龍之介の家に、大借金を抱えたままなだれこんでくる。・・・
龍之介は、一家十五人ほどを、自分の筆で食わさねばならなかった!
稼ぐために、龍之介の作品は、多作を強いられ、文章は乱文乱筆となりはて、そのうえ例の「ストーカー」が徘徊する。この時期龍之介は随筆で「なんとなくボンヤリとした不安がある」と書いている。
こうした、状況に龍之介は「耐える人」であったから、ついに龍之介の細い神経は切れてしまった。そうして龍之介は多量の睡眠薬を飲んで、この世間との決別を果たした。
龍之介は言う。「この世は地獄以上の地獄だ」と。龍之介が「よい子」でなくて良い意味で同期の作家里見弴のように「悪い子」であったなら、自殺することもなく多くの傑作が生まれていたはずである。
あまり、会社のため、家庭のためといって自分をいじめては人生が嫌になる。これが教訓。
エゴイスト そう呼ばれても 平気です 素庵