地元の有名人といえば小説家岡本かの子・益子焼の浜田庄司だな。
私の父方の先祖は、代々二子玉川から多摩川を渡って一キロほど先の岡である溝の口上作に百姓として生きてきた。このあたりは、現在は東京から沼津まで山の中をつないでいる国道246号の関連地域だ。
江戸時代に、東海道が整備された際、復路の山道として江戸ー渋谷ー二子玉川ー大山ー足柄ー御殿場ー裾野ー沼津を結ぶ、足柄道が「矢倉沢往還」として整備された。この道はやがて国道246号となり中央高速道の祖となったのだ。江戸時代は「大山街道」とも呼ばれ、江戸の人達が大山への行楽を楽しんだそうだ。
この大山街道は、山道ながら、天下の東海道の復路であり、しかも大山、富士山への道でもあったから、街道の宿場は繁盛した。
東京から多摩川を渡ったあたりが、かっての二子宿があった場所である。一世を風靡した漫画家岡本一平の妻であり、美術家の岡本太郎の母であり、小説家の「岡本かの子」の家は、二子宿の本陣であり、とほうもない大地主「大貫家」の娘としてお姫様のように育った。
詳しくは、瀬戸内寂聴が小説「かの子繚乱」で岡本かの子を詳しく描いているから、関心があるなら、一読をお勧めする。「かの子繚乱」を読むと、瀬戸内寂聴が仏道に身を置く生き方が理解できると思う。
この土地が誇るもう一人は、益子焼や民芸芸術活動で知られる「濱田庄司」だ。濱田庄司は明治中期の人。二子・溝口宿で和菓子屋を営んでいた「大和屋」関連のひとである。母が大和屋の娘で、十才まで実家に預けられて育った。終生、この地を忘れず籍を置いたという。墓も溝口にある。濱田庄司に関しては、茨城県益子に素晴らしい参考館があるし、書物も沢山あるので、これも関心のある方にはおすすめしたい。
私は溝口に生まれ、三才の時、もっと多摩川下流の川崎駅付近のこの場所に引っ越して来た。けれど、我が古里は二子玉川に近い、あのあたりなのだと思っている。
古里が ベッドタウンと なりにけり 素庵