杭手抜きの旭化成といえばサランラップ、ヘーベルハウスの会社。この名会社の腐敗を、ドラッカーで考える。
最近、小説「もしドラ」で知られたドラッカーさんの著作「すでに起こった未来」を古本屋で百円(安い!)で買って読んだ。ドラッカーは、「マネージメント」の提唱者として有名だ。
「マネージメント」は簡単に言ってしまえば、日本語では「管理」と訳されるが、この訳語が、不適で、日本で「マネージメント」がガチガチの規制、支配としてのイメージが強いが、ドラッカーさんの言うところの「マネージメント」は、言うなれば「管理のイノベーション」なのだ。
この、「イノベーション」なる言葉も問題で、改革と通常訳されているが、むしろ芸術創作における個性的スーパー・変革アイデアと言ったものなのだ。
つまり、ドラッカーさんの言う「マネージメント」は「自己を芸術的スーパー・変革アイデアに従わせる事なのだ」
優秀な知能が集まった大企業が、何故失敗の海に沈んでゆくかの答えはここらへんにある。真面目、仕事熱心、有給返上の「非人間的環境」に芸術的スーパー・アイデアが生まれたとしても、ガチガチ責任者会議で「却下」されて終わるのだ。
最近、大手企業で、モラル崩壊がおきている。ワーゲン・東洋ゴム・旭化成などなど。これらの会社の重役連は間違いなく高い偏差値の大学卒業者であろうと推測するが、偏差値人間と心豊かな人間と同一というわけには行かない。偏差値人間は、もともと「我慢」に強い人間だから、芸術に必要な「良い遊び」がない。こうした、「我慢」の世界の行き着く先が「犯罪」という「人間性の崩壊の最たるもの」なのだ。
かって、私は大手建設会社の仕事に関わった事があるが、総監督が帰宅するまでは、配下の人間が帰宅しないのに驚いたことがある。今回の「新国立競技場・予算ドンブリ計画」も、あながち大手建設会社のモラル崩壊と関係がないわけではなさそうである。
会社の崩壊も家庭の崩壊も社会の崩壊も、根は「イノベーションの失敗」に、ありそうである。このことについて、素庵はもっと、ドラッカーさんの著作を読んでに学ばねばならないのである。
知ったふり 門前小僧 経読みだ 素庵