伝説のフォーク歌手「高田渡」の青春日記買い読んだ。
「マイ・フレンド 高田渡青春日記 1966-1969」 河出書房新社 2015年4月30日初版発行は、往年のフォークの宵の一番星である高田渡(1949-2005)の若き日の日記を出版したものだ。
この日記は、高田渡の息子でミュージシャンの高田漣が遺品の中から発見し、世に出す価値があると刊行を決意したという事情をもっている。
実は今、押し入れにあった高田渡のLPレコードアルバム「系図」をかけながら、これを書いている。ギター一本によりそう歌声が微妙な日本語の美しさを奏でている事に、あらためて驚きを感じさせる。・・・このレコードを買って50年近い歳月が過ぎているというのに、この新鮮さは何だろう!
軽やかに鮮やかに弾かれるギターに、ぽつぽつと語るような歌は、今の音楽界が忘れ去ったものだ。この歌い方は、どこかハッピーエンドの歌に似ているし、フォルクローレの名人ユパンキを思わせもする。
今、歌手達の多くは英語風に、言葉を丸めて歌うが、高田渡の歌は、切れ味の良い刺身包丁でマグロを調理したように、すっきり角張った言葉で歌われている。
日記は19966年3月13日にはじまる。こんな文章だ。
ぼくがフォークソングに興味を持ったのは昨年(1965)の夏ごろからです。
最初はフォークソングのメロデーのよさ・心よさに引かれたのです。その時、聞いたのは「ブラザースフォアー」でした。
そして、「バンジョー」という楽器に興味をもちはじめたのでした。そして、バンジョーの名手ピート・シガーの名をしったのです。(原文のまま)
このように漢字も十分に使えずに日記は始まる。書いたまま校正も何もしていないから、中学を出ただけの17才の少年が、そこに焼き付けられている。たどたどしい文章、それが初々しくて良い。気取ってない生の味がそこにはある。思いっきり昭和の風が吹いている。なんともなつかしい一冊である。
高田渡の後輩に、加川良と言う歌手がいる。素庵はこの人の歌が好きだった!吉田拓郎などより十倍ぐらい好きだった。けれど、拓郎とともにフォークは毒を失って、ポップの方へ流れていってから、素庵は歌を聴かなくなってしまった!
よき時代 そんな時代が あったのだ 素庵
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