11月2日(水)
昨日は、「小説家になろう」さんの、ネットの具合が悪かったようで、アクセスできない事をいいわけに、日記を書かずじまいにしてしまった。さて、手に入れた「元朝秘史・チンギスハン実録」(中公新書・岩村忍著・1963年初版)に、例の梶原景時(相模の国の梶原郷の領主)が敵でありながら洞窟に隠れる源頼朝をかばった話と良く似た話を発見した。
テムジン(のちの成吉思汗)は敵から逃れて、林の中に逃げ込んだ。(この頃はテムジンがようやく頭角を現してきた頃であった)九日目に食物もつきて森から出たところを待ちかまえていた敵のタイチウト族に捕らえられてしまった。タイチウト族を率いているタルフダイ・キリルトクはテムジンを捕らえて帰ると、部落から部落へと引き回した。時は夏の初めの旧暦四月十六日の暖かい日であったから、タイチウト族のものはオノン河の岸で宴を催し、暗くなると、みな帰って行ってしまった。テムジンは酒宴の間、子供の番人に見張られていたが、族の者達が帰った所を見計らって手枷を子供の手からもぎ取って、子供の頭を一打ちし再び林に逃げ込んでしまった。テムジンは見つけられる恐れがあるので、河の水たまりに上向きに横たわり手枷を水に流れるままにして、顔だけを水面に出していた。子供が「逃げたぞ」と叫んだので、タイチウト達は満月の明るい光の下の、林の中を探し回った。スルドス氏のソルハン・シラはテムジンが隠れているのを発見したが、「おまえが優れた者なのでタイチウト達は妬んでいるのだ。そのまま隠れているが良い。私は知らせたりはせぬ」と告げて立ち去った。タイチウト達は一時はあきらめて引き返していったが、また引き返してきて捜そうと言い出したので、ソルハン・シラは「真昼でも逃げられてしまったのに、今、この暗くなった夜に見つかるはずがない。まだ捜してない所を捜して今日は打ち切りにし、明日また捜そう」と言った。
あきれるくらい、話しの細部が「吾妻鏡」に良く似た話である。まさか義経がジンギスカンになったと、それはいくら何でも、すごすぎる話しであるが、ジンギスカンが、部族をまとめていった様子も、頼朝の立ち上げと似ていて、背筋がゾクゾクするのである。又、日本ではジンギスカンと呼んでいるが、原典では「チンギス・ハガン」であると中公新書版の著者である岩村氏は後書きに書いておられる。(氏は義経=ジンギスカン論者などでは全然なく。原典について言及されているだけなのだ)チンギス判官?これは素庵の考えすぎであろうか。判官とは義経の代名詞である。ちなみに「ハガン」は元国においては王につく敬称なのである。・・・どうやら「トンデモ素庵」と言われそうだからここらへんで退散しよう。今日の晩ご飯はブリの照り焼き。切り干し煮物。ゴボウのきんぴら。茄漬け物。御飯軽く二膳。酒抜き。一昨日は会社の打ち上げ。昨晩は「寿司常」(東京を中心とした中級寿司チエーン店)で酒と、飲み過ぎだ。昼はナチュラルローソンの店内キッチンで作った、メンチバーガーに冷茶缶であった。