花散る里&九州暦新たな発見
素庵の仕事は、東京二十三区への配達人である。したがって四季の東京を楽しめる。染井吉野桜が終わった後は、八重桜が美しい。大森駅に近い大通りには八重桜の並木がある。また、世田谷の「サザエさん」作者の長谷川町子美術館に近い、桜新道も八重桜の名所である。
思うに、八重桜が散る頃は、桃色の雪が積もったようであり、道は日本画家の手になったかのように、妖艶な美しさとなる。
さて、時はそのような時節、アマゾンで岩波文庫本で絶版の「海東諸国記」が安く手に入った。とはいっても、中古文庫本で送料混み千円ほどもしたのだが、手に入れた価値があった。
海東諸国紀は1471年、李氏朝鮮宰相のシン・スクチュの手になるものだ。シン・スクチュは1441年には、朝鮮から日本への公的使者となって、来日している。
したがって、記されていることは、ひどいでたらめとは考えられない。この書に「日本書紀にない暦名」が記載されている。詳しくは「九州王朝伝説は本当か?」で記そうと思うので以下は、さわりのみだ。出典は岩波文庫1991年刊「海東諸国紀」
継体天皇。応神五世の孫なり。名は彦主人なり。元年は丁亥(西暦507年)。十六年壬寅の年、始めて年号を建て善化となす。善化五年丙午の年、正和と改元す。正和六年辛亥の年発倒と改元す。二月没す。在位二十五年。寿八十二才。
安閑天皇。継体の第二子なり。継体没後より二年主無し。是に至りて即位す。元年は庚寅。発倒を用いる。在位二年。寿七十。
宣化天皇。継体の第三子。安閑の同母弟なり。元年は丙辰。僧聴と改元す。在位四年。寿七十三才。
日本書紀にこれらの元号は一切現れない。その元号がここに書かれている。権威ある歴史学者のみなさんは、このことを「私年号」などと呼んで、まったく追求しようとしない。例によって日本書紀の嘘にまんまと乗せられている。
一部の学者はおそらく変に思っているのだろうが藪を突っつくと蛇が出るから知らないそぶりをしているのだろう。蛇とは『元号の主体は九州なる王朝であり、継体らは、はるか北方の小王朝に過ぎない』という事実なのだ。
学会の 権威守って 良い暮らし 素庵