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素庵日記  作者: 春野一人
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大佛次郎ゆかりのホテルニューグランドに行ってみた!

 休日にどこか行くところはないかとPCで検索していたら、横浜のホテルニューグランドが目にとまった。素庵は小説家の大佛次郎が好きである。大佛次郎はフランス語が堪能で原書をすらすら読む。そしてまた和文に至っては読書三昧という人だった。、以前に書いたが、神田の古本屋街で、あるジャンルの本の値段があがったなと思ったら、司馬遼太郎か大佛次郎が関連の書き物をして、史料をあさっていたという伝説がある。

 大佛次郎は猛烈な本の購入によって丸善に多額の借金を作った。それで気まずくなって、他の本屋から本を買ったら、丸善は借金はどうでも良いからぜひ当社から本を買ってくださいというというお願いがきたというほど猛烈な読書家だった。

 その借金を払うために、もっと売れる大衆小説を書いて稼ごうとしてできあがったのが、『鞍馬天狗』だったという。彼は『鞍馬天狗』が、有名になりすぎて、娯楽小説家と思われがちだが、本質はドキュメンタリー作家なのである。

 その彼が好きだったホテルが、このホテルニューグランドであった。彼は昭和六年から十六年まで、ホテルの318号室を書斎として使った。まさに文豪のよき時代であったというしかない。

 ホテルニューグランドについての話題はこれにとどまらない。ドリア・スパゲテイナポリタン・プリンアラモードの元祖という名誉も保持している。これら『洋食』ができあがった背景はつぎのようである。

 大正十三年の関東大震災の時、外人向けホテルが崩壊してしまった。そのため横浜に外人向けホテルがなくなってしまって、横浜市と民間が協力して、ホテルニューグランドを設立した。これに採用された初代料理長のところにある日、客から「体調が優れず、食欲もない。食べやすいものはないか?」という注文があった。

 料理長は従来からあるグラタンにライスを入れて料理し供した。すると客は喜んだ。・・・この料理は「ドリア」と名付けられ、以後メニューに加わった。

 昭和二十年、戦争に負け、珍しく焼け残ったホテルは占領軍の将校の宿舎とされた。来日初日からマッカーサーも数日ここを利用したエピソードがあるほど、多くの米軍将校や家族に利用された。

 ホテルは、どんなメニューも作りますとメニューに書いていたから、日本人の料理長は料理を工夫した。当時アメリカ人はスパゲッテイにバターとケチャップをまぶしたものを家庭料理として愛用していたから、そのようなものを作ってくれと言う注文もあった。ホテルは、これに肉やタマネギなどを加えフライパンで炒めて『スパゲテイナポリタン』と名付けた。(だから、これは本当は『スパゲテイアメリカン』だ。)これもメニューに加わった。

 将校婦人はデザートが大好きだ。しかし日本風の少量のデザートは体の大きいアメリカ人には物足りない。料理長はプリンにアイスクリーム、ホイップクリーム、缶詰フルーツを加えてボリュームのあるデザートを作った。これを『プリンアラモード』と名付けてメニューに加えた。


 さて素庵はぶつぶつ言う山の神をなだめながら一時間ほどの順番を待ってこれらを食べることができた。山下公園前の銀杏並木が見える窓際の席でこれらを食した。『ドリア・スパゲテイナポリタン・プリンアラモード・中サイズ生ビール・カシスソーダ・珈琲各1品で会計は9千円であった。美味かった!






 


 

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