5月13日(日) 晴 那須に遊ぶ
昨日から一泊で新緑を求めて、車で那須に遊ぶ。健保組合の契約する「別荘村・繭の里」のコテージ3LDK(ウッドの内装、目の前に山水が流れている、その向こうは林)が大人4人、子供2人、3歳児1人で合計1万2千円ほどである。(もちろん素泊まり)。
先週の飛鳥・京都に続いて遊び歩いている素庵だが、今回の旅行は家族サービスで、個人的な悦楽旅行ではないのだ。「南が丘牧場(ます釣り、ます焼き)」・「お菓子の城」の経営する「日帰り温泉・源泉那須山」「サッポロビール・那須 森のビール園」「別荘地内かってに散歩」「イタリアレストラン・ジョイア・ミーア」(支払いは一万八千円)「別荘地の美しい夜の星座」、翌日は「道の駅・那須高原友愛の森」「ホウライの那須千本松牧場」などを楽しんだ。これらすべてベストチョイスであった!
さて、この間にも、素庵は「太安麻呂、古事記を書いた人の秘密」の創作をさぼっていたわけではない。これからの話の進め方に、安易なトンデモ本にあるような方法をとりたくないから、慎重に、おろかながらも思索を深めている次第なのだ。正直言って、天智・天武期の日本書紀は、どの記事が真実でどの記事がウソであるか、見分けがつけがたい。
女帝の皇極天皇=斉明天皇は、唐と新羅の連合軍に百済が滅亡するという時の天皇であるが、筑紫に、「朝倉の宮」を設営して、韓地に出兵の拠点としたようである。もちろん背後にいるのは中大兄皇子(後の天智天皇)・・・ここら辺の書紀には重大な何かが隠されている、したがって、確証もなしに、話をすすめられない、もう少し、考えを深めてから、動き出したいと思っている。幸い、飛鳥の旅でいくらかの知識も得たことであり、ここら辺は慎重に取りかかりたい。
三山を遠望すれば過去の夢 素庵