21. ヴェルクラティア学院
『前回までのあらすじ』
ノアがユスティナとレオニスの婚約を知る一方で、帝都ではディ=マーレ公爵がトキシア草密輸の罪で裁かれる。
皇帝は公爵の娘を人質とし商会を監査下に置くことで幕を下ろす。
ノアは学院編入を控え、ルカスからディ=マーレ公爵の娘を監視するよう命じられる。
オルディス伯爵家
正門前
柔らかな朝日が屋敷の庭を照らし澄んだ風が頬を撫でた。
僕とルカス様は、ヴェルクラティア学院へ向かうための馬車に乗り込もうとしていた。
「では、姉様。行って参ります」
ルカス様が一礼すると、ユスティナ様は静かに微笑んだ。
正門前には執事や侍女、騎士たちをはじめ屋敷の者たちが整列し僕たちを見送っている。
「気をつけてね、二人とも。冬の首都はここよりずっと寒いから風邪をひかないように」
「はい」
「かしこまりました」
御者の合図とともに、馬車がゆっくりと動き出す。
振り返ると、ユスティナ様がその場に立ったままいつまでも手を振っていた。
◇
馬車の中。
不規則に揺れる座席の振動が足元から伝わり、窓の外には穏やかな田園の風景が流れていた。
「ユスティナ様が結婚か……なんだかそわそわするなあ」
「なぜノアが浮かれてるんだ」
「いや、なんでだろ?知ってる人が結婚するの初めてだからかな」
「……そうか」
ルカス様は淡々と答えたが、その口元はどこか柔らかかった。
「でも、レオニス様は大丈夫かな?」
「なにがだ?」
「レオニス様って伯爵家の騎士だから、ユスティナ様と身分の差があるよね?僕は気にしないけど、周りの目がちょっと怖いなって」
「杞憂だな」
「え?」
「レオニスの父上は、もともと皇族の血筋だ。平民の女性と結ばれるため身分を捨てた方だそうだ」
「えっ、そうだったの!?」
「有名な話だ。ちなみに『ルクス』の制度ができたのも、陛下が兄上に平民の身でも皇族並みの発言権を与えるためだったという噂がある」
「そうだったんだ……」
僕は思わず息をのんだ。
思っていた以上に深い縁で胸が少し熱くなる。
「ノア、そんなことよりこれからの学院生活は大丈夫なのか?」
「うん!一応、ユスティナ様に釘は刺されたけど」
「何を言われたんだ?」
「僕が『魔族の血』を引いていることを、絶対に隠し通すようにって」
「……やはりそのことか」
「今回は変装魔法を毎回使うのは難しいから、ヴィス結晶を使ったピアスを貰ったんだ!」
僕は左耳に触れ、淡い光を帯びたピアスを見せる。
車内に差し込む陽の光が、宝石の奥で小さく瞬いた。
「そうか……」
ルカス様は一瞬だけ目を細め、どこか安堵したように頷いた。
「今さらだけど、学院に入学する時に試験も受けてないけど大丈夫かな?」
「ノアの学力なら問題ないだろ。だが――」
「だが?」
「学院はどうしても貴族社会だ。身分のことで何か言ってくる者もいるだろう」
「その辺は大丈夫!学院に通うって決まった時から覚悟してるから」
「……そうか。何かあったら俺に言え。必ず助けになる」
「ありがとう、ルカス様!」
心の底からそう言えた。
馬車は小さく揺れながら、冬の陽光を浴びて首都への道を進んでいく。
僕の胸の奥にも、少しずつ新しい日々への期待が灯っていた。
◇
数日後——
ヴェルクラティア学院
正門
ヴェルクラティア学院。
帝国が誇る最高峰の教育機関。
次代を担う統治者や学者、軍人を育成し帝国の未来を導く者の登竜門とされている。
百年以上の歴史を持つ校舎は、重厚なゴシック様式でまるで古城のようだった。
荘厳な尖塔とアーチの影が冬の陽を受けて長く伸び、門をくぐる者を静かに見下ろしている。
観光地としても名高いその姿に、思わず息をのんだ。
学院は帝都の中心にあり、広大な敷地には寮や研究棟、訓練場、礼拝堂、庭園などが整然と並んでいる。
中等部(十歳〜十四歳)と高等部(十五歳〜十九歳)があり、在籍者はおよそ百五十名。
生徒の大半は帝国貴族の子息・令嬢だが、例外として帝国貴族からの推薦があれば、平民や他国の貴族の子弟も入学できるという。
学科は剣術科と魔術科に分かれており、剣術科は実戦と戦術を重んじ、魔術科は理論と制御を中心に学ぶ。
学院に在籍する者は全員、学内の寮で生活することが義務づけられている。
――そして今、僕とルカス様も荷物を抱え寮へと足を運んでいた。
門をくぐった瞬間、石畳を渡る風が頬をかすめる。
◇
ヴェルクラティア学院
男子寮
学院の男子寮は中等部と高等部で棟が分かれ、それぞれがゴシック様式の四階建ての建築となっている。
古代帝国時代の意匠をそのまま残しており、外壁の装飾は荘厳でありながらどこか重々しい。
一階は食堂や浴場などの共用部分、二階から四階が生徒の居室になっている。
各部屋は二人部屋で、十時の鐘が鳴ると門が閉ざされ外出は禁止される。
階ごとに寮監が配置され、規律は帝国軍並みに厳格だと聞く。
ルカス様と別れ、僕は自室へと向かった。
(僕の部屋は四階の二十五号室か……)
(相部屋って聞いたけど、どんな人と一緒なんだろう……)
廊下に並ぶ扉の前で足を止め、軽くノックをしてから扉を開ける。
中は静かで、淡い光がカーテンの隙間から差し込んでいた。
調度品は質素ながら整っており、机と本棚、寝台に衣装棚まで一通り揃っている。
隣のスペースにはまだ荷物の気配がなく、僕の一人部屋のようだった。
(一人部屋か……。せっかくだったら誰か相部屋でもよかったけど、まあいっか)
僕は軽く背伸びをして、学院長に挨拶をするためにルカス様と合流し学院長室を目指す。
学院の廊下は広く、天窓から差し込む光が床に反射して眩しい。
行き交う生徒の姿もちらほら見える。
剣を振る者、魔法を放つ者――皆が真剣な眼差しをしていた。
(二学期が始まるのは明日からなのに……)
(みんな、本当に向上心が高いなあ)
僕もその姿に刺激を受け、胸の奥が熱くなる。
(よし……僕も頑張らないと!)
◇
ヴェルクラティア学院
学院長室
学院長室の前に着くと、扉の前には護衛の騎士が控えていた。
ルカス様が事情を告げると、騎士は無言で頷き重厚な扉を開ける。
中へ足を踏み入れると、広々とした室内の中央には大きな執務机が据えられ、その背後の椅子には学院長と思しき女性が腰掛けていた。
「こんにちは、ルカス。と、隣は転入生のノアだね」
柔らかな声が響く。
彼女は落ち着いた笑みを浮かべ話を続ける。
「私はヴェルクラティア学院学院長のイリス=エルディタだ。ようこそ、学院へ」
「お初にお目にかかります。ノアと申します。ご挨拶が遅れて申し訳ありません」
「そんなに硬くならなくていいよ」
穏やかで親しみやすい低めの声だった。
僕の知っている『学院長』という存在とは、まるで印象が違った。
イリスはルクスの称号を持つ魔術師であり、エルディタ男爵家の出身。
貧しい家に生まれながら、類まれな才で学院を飛び級し主席で卒業する。
卒業後は、帝国魔術団に入隊し一個師団の指揮官として名を馳せた人物――。
だがその経歴を感じさせないほど、穏やかで柔らかな雰囲気を纏っている。
(あれ?そう言えば、学院長って六十代って聞いてたけど……どう見ても二十代にしか見えない)
イリスは執務机に手を置き静かに話し始めた。
「ノア、入学おめでとう。君にとって新しい環境だろうけれど、自分の歩幅で学びを深めていきなさい」
「はい!」
「それと……エクセリア公爵殿から話は聞いているけど、君が魔族の血を引いているのは間違いない?」
「多分そうだと思います」
「多分?」
「お恥ずかしながら、僕は侯爵家に拾われる前の記憶が曖昧で……。でも、闇属性の魔法が使えるので、恐らく混血だと思います」
「……なるほどね。ルカス、君は何か知ってる?」
「いえ、特には」
「分かった。では、ここではノアが魔族との混血という前提で話を進める」
「はい」
イリスは机の引き出しから一枚の契約書を取り出した。
「知っての通り、帝国の国教では異種族に厳しい罰が定められている。学院もその例外ではない」
「ノア、君の安全を守るためにも、正体を明かすことは禁じる。そして――もし正体が他の生徒に知られた場合、その時点で退学とする」
彼女の声は穏やかだったが、言葉には一切の曖昧さがなかった。
「これが、私とエクセリア公爵殿との間に定めた契約の内容よ。署名をお願いできる?」
「はい」
隣のルカス様は、眉間に皺を寄せていた。
けれど僕は迷わず契約書を受け取り、丁寧に目を通してから署名する。
「ありがとう。これで正式に入学の手続きが完了した」
イリスは静かに息をつき、優しく微笑んだ。
「……君にこんな契約を結ばせるなんて、教育者としては失格だけどね」
「いえ、こうして学院で学べるだけでも身に余る名誉です」
「……そう。君は優しいね。何か困ったことがあれば、いつでも私を頼りなさい」
「ありがとうございます!」
深く頭を下げると、イリスは軽く頷き僕たちは学院長室を後にした。
廊下に出ると、ルカス様はしばらく黙ったままだった。
けれどその横顔は、どこか安心したようにも見えた。
学院の鐘が遠くで鳴る。
新たな日々の始まりを告げる音が、静かな廊下に響いていた。




