2. スビエカ村 ②
『前回のあらすじ』
目覚めた場所も記憶も失った少年・ノア。
彼を覗き込み涙を流す誰かとの出会いを胸に刻み、八年の時が流れる。
今やオルディス伯爵家に仕えるノアは、領内で人々を襲う魔獣討伐の任をユスティナから授かり、仲間のルナとともにスビエカ村へ向かうこととなった。
旅の途中、宿に泊まった二人を突如黒い影が襲撃する――。
窓ガラスを突き破り、黒い影が飛び込んでくる。
月明かりを反射する刃が、真っ直ぐこちらに迫ってくる。
僕は立ち上がり、右腰の後ろに隠していた短剣を抜きわずかに笑みを浮かべる。
「いいよ――遊び相手になってあげる」
賊の一撃を受け流し間合いを取る。
その隙を突くように、ルナが敵の横へと滑り込み両手のダガーを閃かせた。
「はぁっ!」
金属がかすり合う鋭い音と火花が散る。
賊はバランスを崩し、思わず後退する。
僅かな隙が生まれたその瞬間、僕は短剣を左手に持ち変え静かに右手を前へ翳す。
「Vinculum」
右手から銀色の魔法陣が現れ、床から鎖のような魔力が伸び上がる。
賊の四肢に絡みつき、皮膚が軋む音が微かに聞こえ賊は呻き声を上げる。
「くっ……離せっ!」
もがく賊を見下ろしながら、僕は短剣を下ろす。
恐怖も迷いもない。
ただ淡々と、任務を遂行するだけだった。
「話を聞かせてくれるかな?」
賊は声にならない唸りを漏らすだけで、もはや攻撃の余力はなかった。
◇
翌日——
昨夜の賊は衛兵に引き渡し、僕たちは男爵邸へ向かっていた。
調べによれば、賊は『誰かに金で雇われた』らしい。
依頼人とは手紙でのやり取りしかしておらず、直接の繋がりは不明だった。
(……どこかで僕たちの行動を見張られてたのかな)
「ノア様!そろそろ男爵邸に着くので変装魔法をかけますね〜」
「いや、大丈夫。自分でやるよ」
「だめです!ルナがやりたいー!」
ルナは僕の目をじっと見つめ、無言の圧をかける。
「……わかった。じゃあ、お願い」
「はい!!」
ルナが僕に向かって右手を翳す。
「Speculum Illusio」
青緑色の魔法陣が現れ、僕の姿が変わった。
「ノア様!できましたよー!」
「ありがとう。やっぱり、ルナの風魔法は流石だね」
「えへへっ」
ルナは満足そうに笑う。
僕の瞳は赤い。
帝国で赤眼を持つものは国教に反する者として、権利を奪われ迫害される。
任務を円滑に進めるため、外に出るときは常に変装魔法を施している。
◇
しばらくして馬車が石畳の道に入ると、木立の奥に豪奢な屋敷が姿を現した。
「……これが、男爵邸?」
思わず口から漏れる。
二階建ての屋敷は、外壁にはこの国で高価な石が敷き詰められ、屋根には青みがかったスレートが使用されている。
門扉の中央には誇らしげに『マリグヌス商会の紋章』が掲げられていた。
「男爵の身分にしては、随分と派手ですね〜」
ルナが半ば呆れたように笑う。
門を抜け馬車を降りると、赤い絨毯が玄関扉まで真っ直ぐに敷かれている。
扉には豪奢な金属細工が施され、大貴族の邸宅さながらだ。
使用人に案内され屋敷に入ると、内も外観に劣らず眩しい。
壁には金の額縁に入った風景画が並び、廊下には帝都でも滅多に見ることができない異国の絨毯が敷き詰められている。
(典型的な成金趣味だなぁ)
(めんどくさい相手じゃなきゃいいけど……)
やがて重厚な扉の前で足を止める。
「こちらでございます。旦那様がお待ちです」
執務室へ通されると、豪華絢爛な装飾が目に飛び込んできた。
壁には金で縁取られた絵画が掛けており、飾り棚には宝石を散りばめた置物や金に物を言わせた装飾品が並んでいる。
領主の執務室というより、大商会の展示室に近い。
中央で、マリグヌス男爵であろう男性が数本の金の指輪を光らせながらワインを啜っていた。
金色の髪を後ろで束ね、絹やベルベットの服を着こなした巨体。
肉付きの良いその姿は、見る者に圧迫感を与える。
僕は深く腰を折り、一礼した。
「お初にお目にかかります。伯爵家の使者として参りましたノアと申します。こちらは侍女のルナにございます」
隣でルナがさらに深く頭を垂れる。
「……ほぉ?オルディス伯爵家がわしに寄越したのは何の実績もない小僧と侍女の小娘とは」
男爵は下卑た笑みを浮かべ、僕とルナを順に見る。
「まったく、伯爵家にも困ったものだ。あの名高きレオニス殿が来ると思っておったが……まさか子供の使いとはな」
ルナが思わず顔をしかめるが、男爵は気にも留めず話を続けた。
「まぁよい。無能なレナリス子爵に比べれば、誰であろうとマシであろう」
「貴様らができなければ他のものを呼べば良い。結局、この世は金で解決できぬ事など存在せぬからな」
彼は誇らしげにテーブルを叩き、杯をカランと鳴らした。
「わしは商会を束ね、この領を買い取ったのだ。代々の貴族どもと違って、汗水垂らして金を掴んだわしこそ真の勝者よ」
「……なるほど」
僕は淡々と返し、礼を崩さない。
「ではその勝者のご領地で起きている件、詳しくお聞かせ願えますか」
男爵は鼻を鳴らし、紙をひらひらと振った。
「スビエカ村だ。村人どもが魔獣に襲われ数十人以上が戻らぬ」
「その噂を聞き商会の納品が滞っておる。わしの儲けに響くから困るのだ」
彼はわざと大げさにため息をつき、こちらを値踏みするような視線を向ける。
「貴様らにはできるのか?これ以上商会の利益を損ない失敗すれば伯爵家の名も地に堕ちるぞ?」
ルナが口を開きかけたが、僕は静かに遮る。
「ご安心ください。我が主人の名に懸けて、必ずや魔獣を討伐してみせます」
男爵は鼻で笑い、ワインを煽った。
「ほぅ……口だけは勇ましいな。せいぜい金に見合う働きを見せてもらおうか、小僧」
僕たちは一礼し廊下に出ると、案内役の使用人が話しかけてくる。
「……お気をつけください。スビエカ村の近くの森に近づいた者は皆、二度と戻らぬのです」
ルナはわずかに眉をひそめ、僕の前に立つ。
「ご心配なく!ノア様に傷など負わせませーん」
「杞憂が過ぎました。お許しください」
「いえいえ、お気遣いありがとうございます」
「こら、ルナ。言い方が良くないよ」
「うっ、すみません……」
ルナは反省したのか少し落ち込んでいる。
(ユスティナ様の期待に応える。それだけで十分だ。他はどうでもいい)
僕たちはスビエカ村に向かう。




