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1. スビエカ村 ①


意識が覚醒する。


視界に飛び込んできたものは一面の暗闇。

光はどこにもなく、蝉の鳴くような激しい耳鳴りがする。


ポタ、ポターー。

一定間隔で何かが落ちる音が響く。

鼻をつく鉄の匂い、そしてどこか甘酸っぱい匂いが混ざり合い、胸の奥がざわついた。


僕は冷たい床に横たわっている。

砂やガラスの破片が散らばり、頬にざらついた感触が残る。

体の節々が痛み、指先ひとつ動かせない。


(……ここ、どこ……)


思考を巡らそうとするが、頭の奥が白く霞んでいく。

記憶は何もない。


その時。


コツ、コツ――。

規則的な足音が、遠くから近づいてくる。

足音はやがて僕の前で止まり、しゃがみこむ。


「…だ、れ……?」


掠れた声で問いかけると、その人物は僕を覗き込み――静かに涙を流した。

ただそれだけの光景が、なぜか強烈に胸に焼き付いた。



八年後——


ヴェルクラティア帝国

オルディス伯爵邸


朝の陽光が差し込み、涼やかな風が頬を撫でる。

僕――ノアはユスティナ様に呼ばれ、書斎へ向かう。

扉の前に立ち、コン、コン、コンと三度ノックをする。


「失礼いたします。ノアです」

「入って」


扉を開けると、重厚な机に向かい書類を整理しているオルディス伯爵家令嬢、ユスティナ=ラ=オルディス様の姿が見える。

ユスティナ様は病床のご主人様に代わり伯爵家を支えている。

まだ二十六歳とお若いのに、苦労が絶えないご様子だ。


「ご用命でしょうか。ユスティナ様」


彼女は手を止め、僕に一枚の紙を手渡し青い瞳でまっすぐこちらを見つめる。


「あなたには、魔獣討伐に行ってもらうわ」

「我が領の南東にあるスビエカ村で、魔獣に襲われ行方不明者や死者が出ているとの報告をうけているの」

「……魔獣、ですか」

「本来ならレオニスを行かせたいけど、彼は別件で手が離せないの」

「任務にはルナと二人で行ってもらうけど、危険と判断したら決して無理はせず、すぐに応援を呼んで」

「まずは男爵領に向かい、マリグヌス男爵に詳しい内容を聞いてから任務にあたってくれるかしら?」

「かしこまりました、ユスティナ様」


僕は一礼をして、書斎を後にした。



廊下を進むと、ルナがこちらに駆け寄ってくる。


「ノア様~!討伐任務、ルナもご一緒しますよ!」

「うん、聞いてるよ。準備はもう済んでる?」

「もちろんです!荷物もぜーんぶまとめました!」

「早いね。助かるよ」

「えへへっ、褒められちゃった!」

「ではでは、ルナは正門でお待ちしておりまーす!」

「了解。すぐに向かうよ」


ルナは元気よく笑い、軽やかに去っていった。


ルナは僕より一歳年上の十七歳で、エルフ族と人族のハーフ。

風魔法とダガーさばきを得意としている。

末っ子気質で強引なところもあるけど、場を明るくしてくれる良い侍女だ。



馬車に揺られ、南東にあるマリグヌス男爵領へ向かう。


「魔獣、ですか……。放っておけませんねぇ」

「そうだね。これ以上被害が出る前に討伐しないと……」


胸の奥では、不思議と恐れよりも静かな高揚が広がっていた。



数日後——


男爵領に差し掛かったところで日が暮れ始め、途中の宿に泊まることとなった。


扉がノックされ、ルナが荷物を抱えて部屋に入ってくる。


「ノア様〜。お荷物持ってきました!」

「え、いつの間に。自分で運んだのに……」

「いいんです!ルナがやりたくてやってる事なので!」

「そ、そうなんだ…。ありがとね」

「ノア様~、夜は気を付けてくださいね?ここは変な噂が多いことで有名ですから」

「何かあったらルナを呼んでくださいね〜」

「心強いよ。ありがとう」

「ではでは〜、ルナは失礼しまーす!」


そう言うとルナは僕の部屋の椅子に座る。


「ルナ?どうしたの?」

「え?ルナも一緒にこの部屋使いますよ〜?」

「え、なんで?」

「一人で寝るなんてさみしーじゃないですかぁ!」

「いや、そういう問題じゃないよ!」

「いやです!ルナは一緒に寝るんです!」

「はぁ…」

(こうなったルナは手に負えないなぁ…)



夜——


流石に一緒に寝るのは気まずいので、ルナが眠った後に床で横になる。


(僕たちに任されたこの任務。必ず成し遂げてみせる!)

(明日も朝早いし寝よ)


眠りにつこうとしたその時――。

ガタッと窓の外で音がした。

ルナがすぐにベッドから起き上がり、ダガーを構えて目を鋭くする。


「ノア様、敵です!」


窓ガラスを突き破り、黒い影が飛び込んでくる。

月明かりを反射する刃が、真っ直ぐこちらに迫ってくる。

僕は立ち上がり、右腰の後ろに隠していた短剣を取り出し、わずかに笑みを浮かべる。


「いいよ――遊び相手になってあげる」


恐怖はない。迷いもない。

ただ静かに、しかし確かに――戦いを待ち望む心だけがあった。


戦いが、幕を開けた。


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