腐りかけの名門
訓練場がざわついていた。
「またセイタさんのチームかよ」「あいつばっかり依頼まわってないか?」
そんな声が飛び交う中、ギルズは黙って槍を振るっていた。
自分の訓練時間を切り上げてでも、体を動かさずにはいられなかった。
(――動きが早すぎる)
噂の広がり、視線の変化、無言の期待。
セイタは、戦っていない。戦っていないのに、空気だけで地位を奪っていく。
「……くだらねえ」
そう吐き捨てた声は、本人に向けたものか、それとも自分に向けたものか。
***
その日、セイタに新たな依頼が回る。今度は正式なA級案件。
小規模ながら知性の高いモンスター、〈アルミュート〉の殲滅。
ギルズのチームから選抜された若手も混ざった混成パーティ。
指揮は、セイタ。
「俺が先行する。全員、支援体勢で待機」
セイタの声は変わらず落ち着いていた。
だが、その指示を受けた新人のひとり──若き剣士ラズは、違和感を覚えていた。
(……あれだけ威圧しておいて、結局自分は何もしてないって噂もある)
(口だけじゃないのか?)
そう思ってしまった。そう思うには、充分すぎる空気があった。
***
現場は峡谷地帯。見通しは悪く、足場も悪い。
セイタは、一歩、また一歩と崖沿いに進んでいく。
「……この位置は不利。奴らの射程が届く」
小さく呟いたその瞬間。
「だったら俺が行きます!」
ラズが叫び、斜面を駆け上がった。
「下がれ」
セイタが即座に命じる。
だが、ラズは止まらなかった。
ギルド内での鬱積した空気、セイタへの反発、注目を浴びたい欲──
全てが、判断を鈍らせた。
「俺だって……!」
次の瞬間、空から放たれた矢が、彼の肩を穿った。
「ッ……ぐああっ!」
支援班が叫び、ユキがすぐに回復へ走る。
だがその場で、セイタは一言も発さなかった。
彼の目だけが、静かにラズを見下ろしていた。
***
依頼は成功。ラズの傷も致命的ではなかった。
だが、ギルド内の空気は大きく変わる。
「セイタの指示を無視して負傷した」
「いや、セイタが動かなかったからだ」
「アイツはいつも、前に出る“ふり”をして何もしない」
「でも、誰も逆らえないんだよな……」
ギルズはその全てを聞きながら、静かに唇を噛んだ。
(崩れてきたな……だが……)
彼は知っていた。
これは、誰かが仕組んだ崩壊ではない。
ただ、“ひとりの男がいる”だけで、空気が壊れ始めている。
「……もう限界かもな」
ギルズが呟いたその背後で。
静かに、セイタが歩いてくる音が響いていた。