この程度か
「どうだった?」
ギルドマスター・ヴァレンは、応接室で報告を聞きながら、苦い酒を一口すする。
報告者はギルズ。エースにして、最前線を任されてきた男。
「……結局、何もしてないっすよ、あいつ」
「そうか」
「けど、なんか……周りが勝手に浮かれてます。“セイタさん、すごい”って。こっちは現場で、こいつ何もしてねえだろって見てんのに」
「ふむ」
ヴァレンは眉一つ動かさずに答える。
ギルズの言葉は、半分正しく、半分間違っていた。
(変化はいつも、静かに始まるものだ)
ヴァレンの目には見えていた。
訓練場の空気。通路での会話。事務局の視線。
セイタが歩くだけで、誰もが“姿勢を正す”。
力で殴ったわけでも、命令で従わせたわけでもない。
ただ、“揺るがない何か”をまとっている。それが空気を変えていた。
「ギルズ、お前は優秀だ。だが、それだけではダメだ」
「……は?」
「強さで押さえつけても、ギルドは動かない。空気を変えろ。無駄な派閥も、怠慢も、全部だ」
「それを……あいつにやらせるつもりですか?」
ギルズの目に、怒りと戸惑いが浮かぶ。
「――だったら俺はどうなる」
ヴァレンは、静かに笑った。
「自分の立場が危うくなると思うか?なら、なおさら見極めるといい」
「……」
「見誤るな。あいつが何者か、まだ誰も知らない。お前もだ」
***
セイタはギルドの屋上で、風に吹かれていた。
ただ、景色を見ていた。
城の尖塔。兵舎。市場。
遠くには、かつて戦火で焼け落ちた街の跡。
そこへユキが現れる。
「……ここにいたんですね」
「風がいい」
それだけ返すセイタに、ユキは少しだけ距離を詰めた。
「前の依頼、ありがとうございました。背後に敵がいたって、どうして分かったんですか?」
「感覚だ。理由はない」
「……そうですか。私、すごいなって思いました」
セイタは何も言わない。
ユキが微笑む。少しの沈黙。けれど、心地悪くはなかった。
やがて、ユキがふと口を開く。
「このギルド、変わるかもしれませんね」
「変わって困るのは誰だ?」
その問いに、ユキは何も言わなかった。
***
その夜。
談話室で仲間と笑い合う一部の上層ギルド員たち。
「セイタ? まぁアイツはアイツで勝手にやってくれればいいさ。こっちはこっちで楽しくやってる」
「どうせ、長くもたないだろ。ああいうのって、な?」
彼らは気づかなかった。
その会話の裏で、部屋の隅で資料を整理していた新人が、静かに書類を閉じるのを。
「……セイタさんって、どんな人なんだろう」
その声は誰にも届かない。
だが、《しじまの手》の空気は、確実に変わりはじめていた。
腐敗が、揺らぎはじめていた。
そしてセイタはまだ、何一つ“力”を見せていない。