見せ物じゃない
噂は静かに、けれど確実に広がっていた。
《しじまの手》ギルド内。
談話室、訓練場、武具庫、どこでも名前が飛び交う。
――セイタ。
――ギルマスが直々に呼んだ男。
――エースのギルズが従った唯一の存在。
実態は誰も知らない。ただ、その「異質さ」だけが記憶に刻まれていた。
***
「セイタさん、今ちょっとお時間いいですか?」
女の声が背後からかかる。
受付嬢──シェリルだった。
ギルド内でも事務方で最も情報に通じているとされる人物だ。
「先日の依頼、報告が簡潔すぎて……もう少しだけ内容を」
「戦闘はなかった。調査範囲も計画通り。何が不満だ?」
セイタは一切の表情を変えずに返す。
「いえ……そういう意味では……なくて……」
シェリルは目を伏せる。
真正面から見られると、まるで心を見透かされるようで落ち着かない。
(ほんとに……強い人って、感じ……)
そのやり取りを、遠巻きにギルズが見ていた。
「――あいつ、わざとやってるな」
隣の取り巻きがぽつりと漏らす。
ギルズは目を細めた。
「……どうだろうな」
(ただの“ハッタリ”なら、それはそれで厄介だ)
もし本当に実力があれば脅威だ。
だが、ハリボテの虎でも、群れの空気を変えるには十分すぎる。
***
その日の午後、再び依頼が入る。
小規模ながら、急ぎの討伐要請。
ただのゴブリン群だが、村が近く、放置はできない。
「セイタさんも同行願います」
指名が入った。命令ではなく、“推薦”。
セイタは何も言わず、頷くだけだった。
そしてまたギルズが同行を申し出る。
「たまたま予定空いててな。心配だったら、俺も行こうか?」
「構わん。好きにしろ」
***
現場。森の入口。
斥候が戻り、報告する。
「二十体以上。群れとしては中規模……ただ、リーダー格がいない。統率が妙に雑です」
セイタは頷き、腰の武器に手をかけた。
「俺が行く。展開するな。囲まれるだけだ」
ギルズが目を細めた。
(また“あれ”か……)
セイタが草むらを抜け、ゴブリンたちと対峙する。
周囲の木々が揺れる。獣たちが一斉に逃げ出す。
ゴブリンたちすら、一歩引いたように見えた。
……だが。
「戻る」
セイタは踵を返して戻ってきた。
「……は?いや、今……何かした?」
「必要なかった。あれは陽動だ。背後に本命がいる」
ギルズが驚いた顔をする。斥候も急ぎ周囲を探る。
そして――実際に裏手から大型のオーガが出現した。
「本当に……!」
一同が戦闘に入る。セイタは後衛を守る位置に立ち、最後まで前に出ることはなかった。
***
依頼は無事成功。
セイタは、またしても「戦わずして、見抜いた男」として評価される。
その夜、ギルド本部の食堂。
「セイタってすごいよな。雰囲気も、判断も桁違いだよ」
「下っ端の俺たちじゃ、全然話しかけられねーよ……」
そんな声が飛び交う中、ギルズは一人、席を立つ。
「……くだらねえ」
口ではそう言いながら、心の奥で何かがざわついていた。
異物は確かに、ギルドの血流に入り込んでいる。
腐敗しきる前に。それとも、崩れる直前に。
その導火線に、火がついた。