⑦過去
涼しげな日差しが電車内の人々の姿を照らす。車窓から見える景色は、橙色に染まりつつあった。
時期は9月中旬となり、私達を取り巻く世界は徐々に秋色に姿を変えてきていた。
「次は――……次はーー……」
行き先を伝えるアナウンスが、人ごみ溢れた電車内に響き渡る。今日は日曜日という事もあり、私——秋城 紺と一ノ瀬 有紀先輩を含めた学生達で車内はごった返していた。
幸いにも空席を見つけた私達は、隣り合って座る。
微かに有紀先輩の体温が衣類の布地を介して伝わり、少しだけドキリとした。
「結構、人多いねー」
「え、あっ、そ、そうですね!?」
突如一ノ瀬先輩に声を掛けられ、思わず声が上擦ってしまう。その私のリアクションを見て、彼女はクスっと微笑んだ。
「そんなに緊張しちゃう?」
「正直……というか誰かと出かけること自体が殆ど無いので」
「あー、それなら仕方ないかあ。私は最近みーちゃんと出かけてるからなあ……」
「みーちゃん?」私の知らない名前が出てきて思わず彼女の言葉を反復する。
すると、一ノ瀬先輩は「あっ」と思い出したような声を出し、頬を右手の人差し指で軽く掻いた。
「みーちゃんってのは、船出さんのことだよ」
「そうだったんですね、道音ちゃんと仲が良いんですか?」
「うん。中学の頃同じバレー部だったから」
「へーっ!今は違うんですか?」
そう問いかけると、彼女は何故か苦虫を嚙み潰したような顔をした。そして、どこか遠くを見つめるように真っすぐ、向かいの窓の方を見る。
「……うん。夏休みの間に幼馴染と崩落事故に巻き込まれてね。その事故の影響で部活動が続けられなくなっちゃったんだ」
「え、あ、あ……ごめんなさい」
彼女のどこか切なげな表情を見て、また選択肢を間違えた、と思った。彼女のどこか苦しそうな表情を見て、後悔せざるを得なかった。
だが、一ノ瀬先輩は私の手を握って優しく首を振る。
「ううん、秋城さんが気にすることじゃないよ。今は科学部に入ってるけどこっちはこっちで楽しいもん」
「……やっぱり、過去に戻りたいなって思いますか?」
そう問いかけると、彼女は真っすぐな表情のまま首を横に振った。
「嫌だ。あの事故が無ければ私はきっと傲慢で、他人を見下すような人間のままだったから。事故自体は悪いことだったかもしれないけど、そのおかげで得られたものもあったから……」
「事故でバレーが続けられなくなったのに、ですか?」
「うん。もしもあの時、って思うことはあるけど過去には戻ることはできないし。だったら、その変わった環境の中で前を向くしかないのかな、って思えてね。そしたら、自然と良いことも見えるようになった」
「……私には、そう思えそうにないです……」
一ノ瀬先輩は本当に強い人だと思う。どれだけ佳境に立たされても、どうすれば現状を打開できるのか。どうすれば困難を乗り越えられるのか、自分で考えられる力を持っているように思う。
対して、臆病な私にはどうしても自分にも同じことが出来る、とは思えなかった。
戻れるならば、過去に戻りたいと私は思う。先輩と一緒に過ごした、あの日々に。
私の臆病な呟きに、彼女は苦笑しながら天井を仰いだ。
「……まあ、それもそっか。私だって今だから私も思えることなのかもね、こうして電車に乗っていると思い返すことの方が多いし」
そう呟く彼女からは、少し握る手の力が強くなった気がした。
その一段と伝わる温かさから、一ノ瀬 有紀という人間が少しだけ見えた気がした。
決して彼女も完全に過去と決別できたわけではないのだと。彼女も自分の本心を偽って生きているところがあって、私とそう変わらないのではないか。
「……先輩」
「ん?」彼女は柔らかな笑みを浮かべる。
「後で、私の悩みを聞いてもらってもいいですか?」
「……静かなところで相談したい話?」その言葉を聞いた彼女は声のトーンを落とし、真面目な表情を作る。その双眸は私の心の奥深くまで覗き込みそうだ。
「……はい。お願いします」
「うん、いいよ」
どこか似通ったものを感じたこの先輩に、私は私が抱えるものを聞いて欲しかった。
☆★☆☆
目的の駅に着いてホームに足を降ろす。しかし、長時間電車に揺られていた影響もあり未だ全身が船の上にいるような感覚が残る。
隣では一ノ瀬先輩が大きく背伸びをして、体をほぐしていた。
「んんん~……ようやく着いたねぇ……」
「長かったですね……」
「さて……それじゃあ、まずはどうしよっか?」
一ノ瀬先輩は私に主導権を委ねてきた。相談を聞くという話になった手前、ある程度私に合わせて動いてくれるという事なのだろう。私は小さく頷いた。
「……とりあえず、先に買い物に行きません?」
「……いいの?」首を傾げ、彼女は問いかける。
「文化祭の相談もありますし。それなら、早いうちに出来ることやっておいた方が良いと思います」
その返答に彼女はぎくりとした様子で目線を泳がせた。その後、赤べこのように何度も小刻みに頷く。
「う、うん。そうだね、文化祭のことでも話す内容も色々あるもんね、あは、あはは」
明らかに不審な様子を見せる彼女に私は思わず目が細まるのを感じた。
一ノ瀬先輩。嘘を吐くのが下手すぎます……。
「先輩……今日私だけを誘ったのってやっぱり」
「まずは服を見に行こっか!」
「……はい」
私の言葉を遮るようにして、先輩は急いで先導するように歩き出す。
きっと本当の理由は喋らないのだろう……と理解した私は小さくため息を吐いた後、大人しく彼女の後ろをついて歩くことにした。
人々の間を縫うように通り抜ける。彼女の揺れる後ろ髪を目で追いながら、私はどこか必死に手を差し伸べようとしていた船出 道音に似た面影を思い出していた。
そこまで考えたところで、一昨日道音が私を追いかける前に叫んでいた言葉を思い出し、試してみることにする。
「……ゆ、ゆきっち」
そこで先輩の歩みは止まり、くるりと不思議そうに振り返る。
「……なあに?……あ」自然体で反応したあとに一瞬遅れて、彼女の表情が固まる。
一昨日、道音はわたしを追いかける前に「ゆきっち」と食堂に向けて叫んでいた。そして、その日の晩に彼女から届いた予定確認のメッセージ。
……やはり、類は友を呼ぶというかお節介なところは目の前の一ノ瀬先輩も変わらないのだろう、と失礼ながらに感じていた。
「ふふっ、あははっ……」
「な、なんだよー……」
思わず苦笑が漏れ、一ノ瀬先輩は不服そうに拗ねた顔で伏し目がちに私を見る。
「なんでもないですよっ」
――――
「秋城さん、このワンピースなんてどうだろ?」
「わあ、可愛い!ちょっと試着してもいいです?」
「うん、あ、サイズ大丈夫かな?」
「姿見はー……あ、ありましたね。あー、でも丈長すぎて着れないかもです……」
「秋城さん小柄だもんね、じゃあ他の服探そう」
「はーいっ、あ、これとか一ノ瀬先輩どうです?」
「ちょっと私には派手すぎない?」
「何事も冒険ですよ?」
「えっ、あ、ちょっと、試着室に連行しないでぇ」
「似合ってると思いますよ?」
「フリフリの服とか買ったことないや……」
「健気な感じでいいと思います」
「秋城さんがそういうなら、買ってみようかな」
「やった!」
――――
「先輩!見て、見てください!一緒にこれやりません?」
「うわ、懐かしい……子供の時よくこのゲームやってたなあ」
「私もです。あ、先輩100円玉持ってます?」
「あるよー、はい」
「ありがとうございます!じゃあ先に先輩から曲選んでください!」
「わかった、ありがとう……あ、これとか秋城さん知ってる?」
「先輩って結構ロックな曲聴くんですね?」
「あはは……こういうジャンルの方が好きでさ」
「まあ、聴いたことあるので大丈夫ですよ!」
「ありがとっ」
「先輩めちゃくちゃ上手くないですか!?」
「昔よくやってたから……体が覚えてた……」
「よくやってた、ってどれくらいですか」
「えーっと、中学生の頃に2~3年くらい、ほぼ毎日……どうせやるなら徹底的にと思って」
「先輩って、完璧主義ですよね……絶対オンラインゲームには手を出さない方が良いですよ」
「え、何で?」
「絶対ゲーム廃人になるからです……」
「……否定できないって、悲しいね」
「事実ですもん……」
――――
楽しい時間はあっという間に過ぎて、気が付けばお昼時の時間となっていた。
私は、一ノ瀬先輩と……たくさんの紙袋と一緒にショッピングモール内にある、比較的安価な値段を契指示ていたカフェに入る。ベージュ色の外壁で統一されており、カジュアルな雰囲気を醸し出している。
店員に案内された私達は、店内の壁際にあるソファー席に向かい合って座る。
「そう言えば、一昨日も道音ちゃんにカフェに誘われたんですよ」
「みーちゃんに?」一ノ瀬先輩は私の言葉に首をかしげる。
「はい。泣きじゃくる女の子を連れていくならカフェに限る、とかよく分からないことを言ってました」
「そ、そっかあ……」
何故かは分からないが、私の言葉に一ノ瀬先輩はどこか気まずそうな反応を漏らす。彼女の真意は分からないが、本題はそこに無いので一先ずは気にしないことにした。
店員が持ってきたお冷を彼女は軽く啜り、それを真似するように私も同様にお冷を啜る。喉奥を這うように冷たさが染み渡った。
一ノ瀬先輩は喉奥に溜まった冷たさを押し出すように小さく息を吐く。そして、私の目を見据える。
「でさ、悩みを聞いて欲しい……って話だったよね」
私は深く頷く。
「はい……本当に、道音ちゃんから聞いてないんですか?」
「うん。泣いていたのは私も気づいてたけどちょうど友達もいて、追いかけれなかったから後で確認したんだけどね。『紺ちゃんの誠意を無下にしたくないから』って断られたよ」
「道音ちゃんが……」
正直、もし言いふらされていたら、と思っていたところもあった。
しかし、彼女は本当に私の想いを受け入れて、私の意思を尊重してくれていたのだと気づき、少し嬉しくなった。
それと同時に、こうして機会を作って私の助けになろうとしてくれている先輩のことも信用してみようと思える。
「……え、秋城さんどうしたの?」
困惑する一ノ瀬先輩の言葉に反応して、目元に手を当てると、生温かい液体に触れた。
また私は、気づけば涙を流していた。
「……っ、ごめんなさ、い……自分でもよく分からないんです、よくわからないけど、つらくて、悲しくて……、そんな時に誰かが私を心配してくれてる、ってだけで何だか……っ!!」
もはや嗚咽により声が潤み、最後の方は言葉にすることさえできなかった。私は周りの目も憚らずに、涙でくしゃくしゃになっていく。
歪んだ視界の中に、ハンカチが差し出されたことに気づく。ゆっくりと顔を上げると、一ノ瀬先輩が温かい微笑みを向けていた。
「辛いことを一人で抱え込んでるって、辛いよね……大丈夫、私、じゃないや。私達がいるよ」
「あ、ありがとうごじゃいまずぅ……」
素直にハンカチを受け取り、それで両目を激しく擦る。「あっ、擦らない方が良いと思う」と一ノ瀬先輩は慌てた様子で静止したが、両目を思いっきりハンカチの布地で擦ったものだから目がヒリヒリした。
「……目元が痛いです」
「言わんこっちゃない……」
一ノ瀬先輩はあきれた様子で苦笑していた。
[続く]
参考回
[狐色の涙]
④理解者
⑤反芻
[金色のカブトムシ]
ep8 テセウスの船 前編