[Last]満天の星空
秋風が私――秋城 紺の頬を撫でる。蒼と橙のグラデーションが彩り、黄昏の空を生み出していた。
友坂 悠先輩は一足先に屋上を後にしたが、私はどこにも行く気になれなくて、ただそこにずっと立っていた。特に意味があった訳じゃないけれど、今は何となくどこにも行きたくなかった。
すると、屋上へと向けて少しずつ階段を上る音が聞こえてきて、私はその音のする方へと振り向く。
ゆっくりと姿をのぞかせたのは、一ノ瀬 有紀先輩だった。
「紺ちゃん」
「……有紀ちゃん先輩」
小走りで駆け寄ってくる彼女の声音はどこか私を気遣うようだった。私の元へとたどり着いた彼女は、すぐに両手を強く握った。
「……ちゃんと自分の良いたい事言えた?」
「うん……私の言いたいこと、全部言えました」
そっか、と安心したように微笑む。そして、くるりと身体を捻らせたかと思うと屋上へと続く階段の方へと目線を向ける。
振り返る彼女の視線の先にはゆっくりと杖を突いて登ってくる鶴山 真水先輩がいた。
彼は私の姿を見るなり、少し慌てた様子で歩み寄る。
「秋城さん、お疲れ様。自分の言いたい事は言えた?」
「それ私聞いたよ?言えたってさ」
「あ、そうなの?んじゃあ良いか……もう心残りはない?」
その質問に私は大きく頷いた。
「はい。これでようやく私は前に進めます。本当に、ありがとうございました」
「いいよ、僕は何もしていないし」
あっけらかんとした様子でひらひらと彼は手を振ったと思うと早々に倉庫へと続く鉄扉を開けて中へと入っていった。彼の背中を見送っていると、私の隣に有紀先輩が立ち並ぶ。
「真水もさ、あんまり口には出さないけど気にしてたみたい。あいつ表立って動くのが好きじゃないから、って色々根回ししてたみたいだけど……」
「……ですね、鶴山先輩がいなかったらこの場も設けられなかった訳ですし」
「そうだねぇ……ほんと、幼馴染として鼻が高いよ」
「……有紀ちゃん先輩も、鶴山先輩の良さが皆に知れ渡る前に手中に収めないと駄目ですよ?」
「なっ……今それ関係ある!?」
急激に彼女の耳が真っ赤になり、目を真ん丸にして私を潤んだ瞳で睨む。どうやら図星だったようだ。
あまりにも彼女の表情が分かりやすいものだから思わず堪えきれず笑ってしまう。
「ふふ……っ、有紀ちゃん先輩は分かりやすいですね……はぁ、私もまたこれから先輩みたいに素敵な人を探さないと、です」
夕日に視線を送りながらそう呟くと、有紀先輩は真面目な顔を作って私と同じ方向を眺めつつ言葉を紡ぐ。
「大丈夫だよ、紺ちゃんにはきっと良い人が見つかる。友坂君よりも、ずっとね」
「あ、友坂先輩はダメですね、あの人はただのビビりです」
「……一体何話したの……?」
「秘密、です!さて、道音ちゃんを待ちますよー」
困惑した様子でそう尋ねる彼女を他所に私は部室の中へと足を運ぶ。それに気づいた有紀先輩が「あ、待ってー」と小走りで追いかけてきた。
――――
[みちね]
[紺ちゃん屋上にいる?]18:26
18:29[いるよ!笑]
[わかった!☆
私も今から行きます]18:35
――――
「お待たせ、みんなー!」
船出 道音が鉄扉を思いきり開け、大きな声で存在をアピールする。
思わずびっくりした私は思いっきり彼女の方向を振り向く。
「わっ!?……道音ちゃん、驚かさないでよー……」
「あれ、みーちゃんは打ち上げって言ってなかった?」
有紀先輩が不思議そうに尋ねるのを見て、そう言えばそんなことを言っていたな、と思い出す。彼女はいたずらっぽい笑みを浮かべる。
「打ち上げの日を違う日にずらしてもらいましたー!」
「え!?ほんと!?」
私は思わず立ち上がって彼女に詰め寄る。正直、打ち上げは私は不参加の方向になると諦めていたからだ。
楽しげに笑う彼女は私の肩をポンと叩く。
「だから、紺ちゃんもちゃんと参加できるよ!正直諦めてるだろうなーって思ったから」
「ありがと、道音ちゃん大好きー!」
「わっ」
思わず彼女の胸元に飛びついた。道音は一瞬ふらついて倒れ込みそうになったが、すんでのところで踏みどまり、私の背中をポンポンと叩く。
「いいよ、大丈夫。せっかく紺ちゃん色々頑張ってたのに、報われないのは可哀想でしょ?」
「ありがとうね、本当に一番最初に悩みを打ち明けたのが道音ちゃんで良かったよ」
「こっちこそだよ、紺ちゃんと仲良くなれたからこそ、今回の模擬店だって上手くいったんだよ?私こそありがとうね」
返す言葉に私は思わず首をかしげる。
「そうかな?」
うん、と道音は大きく頷き、言葉を続ける。
「そうだよー、紺ちゃんは一方的に与えてもらっただけ、と思ったかもしれないけど私達だって色々と紺ちゃんに与えてもらったからね……ね、ゆきっち」
突然話を振られた有紀先輩は「私!?」と驚いた表情をしたがすぐに真面目な顔を作る。
「……そうだね、紺ちゃんが居なかったら私も文化祭の進行が出来ていたか分からないもん」
「いや、さすがにそれは嘘でしょ?だって完全に仕切っていたのは有紀ちゃん先輩じゃないですか」
その反論に有紀先輩は大きく首を横に振った。
「ううん、紺ちゃんが書記としてサポートをしてくれたことも理由の一つだよ」
「そういうものでしょうか」
「うん、そういうものだよ……またそういう話は後でするね」
「……?わ、分かりました」
☆☆☆☆☆
私達はずっと天文部部室で話し込んでいたが、ふと時計を見ると夜の九時を示していることに気づいた。
同じく時計を見た鶴山先輩がわくわくした顔で私たちに呼びかける。
「そろそろ流星群見えるんじゃないかな、一回外に出て見よ!」
その声に促され、私達は一同に鉄扉を開け外へと向かう。既に外は真っ暗で、辺り一面漆黒の世界が広がっていた。
空は雲一つなく、月明かりが照らされて……。
「綺麗……」
そこには満点の星々が煌めいていた。空一面を覆うような大小さまざまな光が私達を微かに照らす。
「あ、見て紺ちゃん!今流れ星落ちた!」
隣では道音が嬉々として私に語り掛ける。その彼女の様子を見ていると私も思わず嬉しくなった。
有紀先輩と鶴山先輩は、二人とも静かに星空を眺めていた。しかし、しばらくしてからぽつりと有紀先輩が言葉を発した。
「真水」
「どうしたの、有紀」
「……こういう日が終わらず、ずっと続けばいいな」
「……そうだね、流れ星に願ってよっか」
「だね……いつかこんな日が終わりを迎えるとしても、私は絶対に皆との時間を取り戻しに行くよ」
「うん、卒業すればみんな離れ離れになっちゃうもんね……」
「そう。だから私は将来の自分にこの流れ星を託そうと思うんだ。『ちゃんと前を向いて進んでいてね』ってさ」
彼女はぽつりと寂しそうに言葉を紡ぐと、鶴山先輩も彼女に共感するように寂しげな表情を浮かべた。
「……そうだね、環境は望まなくても、望んでも変わるものなんだよね」
鶴山先輩がそう呟くのを聞いた彼女は、次に私の元へと歩み寄ってきた。
「紺ちゃん、私ね、さっき『紺ちゃんが居なかったら文化祭の進行がちゃんとできていたか分からない』って言ったでしょ」
「え?あ、はい」
「……私も、みーちゃんも、真水も……紺ちゃんが必死に前を向いているのを見て、負けてられないな。って思ったんだ」
「先輩達も、ですか」
言葉を反復すると、彼女はそう、と頷いて言葉を続ける。
「そうだよ、自分だけが他人に全く影響の及ばない人間……なんてことはないんだよ。皆、知らず知らずのうちに誰かに影響を及ばせている。それは顔の知らない全くの他人かもしれないし、もしかしたらとても身近な人達かもしれない」
そう言って、彼女は満天の星空を仰ぐ。
「こうして皆が一人一人、『私はここにいるよ』って言う事で、私達もそれに気づいて手を差し伸べられる。そんな繋がりがいっぱい広がって、結び付いて……そしたら、いつかこんな綺麗な世界になるんだって、私はそう思うんだ」
彼女の言いたいことは分かるが、私にはどうしても納得いかなかった。
「それは、余りにも綺麗ごとだと思いませんか。世の中にはどうしても分かり合えない人もいます、私にとっての友坂先輩がそうだったのかもしれません。彼は自分自身の臆病な本性を優しさという嘘で偽っていただけでした。私もそれにまんまと釣られて、彼の本心に気づけなかったんです」
「嘘、ね。でも真水も言ってたでしょ。嘘も偽り続ければ、いつか本物になるの。紺ちゃんも文化祭で緊張に怯える自分を、『盛り上げたい自分』という姿で偽って誤魔化したよね。でも、その結果文化祭は大盛況になった訳でしょ?最初は嘘から始まる関係だとしても、それはきっといつかかけがえのない本当のものになるんだよ」
「そんなもの、でしょうか……?」
「そんなもので、いいんだよ」
そう声を掛けてきたのは道音だった。彼女も私の傍へと歩みより、一緒に並んで空を仰ぐ。
「最初は誰しも他人だもん。例え嘘から始まる関係でも何でもいい、きっかけがあって、お互いに理解したい、もっと近づきたいって思えたら本物になれる日が来るんだよ。私だって、最初は紺ちゃんが泣いていたのが気になって近づいた、そのまま見捨てるのは私が納得がいかなかったから」
「……うん、道音ちゃんは私を叩いてまで説得してくれたよね」
「そう、自分自身を押し殺して、他人の目線ばかり気にして殻に閉じこもる紺ちゃんを見て、昔の自分を見ているみたいで嫌だった。その殻の向こうに何を隠しているのか知りたかった、ただそれだけだったんだよね……最初は」
「そっか、案外皆そんなものなんだね」
「むしろ純度100%の優しさって存在しないと思うよ」
「あ、真水」
鶴山先輩も私達の話の間に割って入る。手すりを支えにして、街明かりの景色を眺めていた。
「こうすることが他人の為になるから、相手の為になるから、ってだけで近づく人なんていない。大抵、『手を差し伸べることで自分の正義を主張できるから』とか、『そうすることで利益につながるはずだから』とかそう言った心の奥底があると思うんだよね。別に裏の顔まで意識しろとまではいかないけどね。案外皆、そんなもんなんだよ」
「なんだかそれって冷たい考え方じゃないですか……?本当に優しい人はいないんだ、って考えになりますよ」
私の言葉に鶴山先輩は首を傾げた。
「そうかな?皆裏があって普通じゃない?僕だって『僕自身が面倒に巻き込まれないように』動いているに過ぎないんだよ。他人を助けなくて放置したら、恨みを買われたり面倒ごとが増えたりするかもしれないでしょ?他人を助ける理由なんてそんなものでいいんだよ、偽善上等でしょ」
「確かに、それはそうかもしれませんけど……私も、自分の気持ちに嘘を吐いて友坂先輩の恋が成就するように、後押ししました。そうするのが私にとっての道理だと思ったから」
「そ、前にも言ったでしょ。『こうしたい、と望む自分自身』がいて、行動に移すんだって。それは人助けにせよ、何にせよ同じことだよ。でも嘘だとしても、それが良い方向に向かっているなら別にいいんじゃないかな、って思うんだ」
「……良い方向に向かっている、のでしょうか」
ぐるりと三人の方向を見渡す。みんな、お互いに見合わせた後一同に微笑んだ。
有紀先輩が代表するように、私の元へと歩み寄る。そして、私の両手を優しく握る。
「もちろん。紺ちゃんも含めて、ね。きっかけは何でもいいの、お互いに歩み寄った結果こうして皆で流星群を見ることが出来たでしょ?」
「……はいっ」
私達は、知らず知らずのうちに皆に助けられていた。そして、私自身も皆を助けていたことを知った。
私の心に降り注ぐ雨雲は晴れ渡り、満天の星空を映し出している。
全てを誤魔化して、隠し通そうとした狐の嫁入りは、終わりを迎えていた。
[終わり]