㉑変身
船出 道音は「後でゆきっちのところへ行こう」と提案してくれたがまずは私ーー秋城 紺自身の模擬店のシフトを完遂しなければならない。
全体的な管理の役割を担っている私は、衛生管理が徹底的に行われているかどうか、またマニュアル通りに遂行できているかどうかの確認を行う必要がある。そして、状況に応じて随時店番の手伝いを行う必要があり、シフト中はかなり忙しくなるはずだ。
必要時指導を行い、随時調整を行う以上いわば嫌われ役になるのは仕方の無いことなのだ。
だから、
「はい、ご注文承ります。はい、はい。分かりました……唐揚げ一つお願いします!」
「秋城さん、ちょっとごめんマニュアル取って!」
「分かった、これね!あとさ何か足りないものある?すぐ取ってくるけど」
「そろそろ下準備したものがなくなりそう」
「了解、あ、今手空いてる?直ぐ調理室に行って、これ受け取ってきて!そう、大体ボウル一杯分!!いける?……あ、いらっしゃいませ、ご注文どうぞ!」
などと使いっ走りされるような状況になるのも仕方の無いことだ。全体を一番把握しているのは自分自身なのだから。
嘘偽りの姿を演じていればいつか本物になるとは教えて貰ったが、バイトリーダーのような姿を演じる気は正直無かったんだけど。
そういう形で、私のシフトは慌ただしく時間が過ぎていった。時々一ノ瀬 有紀先輩と鶴山 真水先輩が通りがかったような気がしたが、気にする余裕なんて無かった。
「疲れたあ……」
自分のシフトも終わり、校舎裏で休息をとっていると隣に座る道音はクスクスと笑いを漏らす。
「お疲れ様、よく頑張ったね」
「本当に自分でも褒めてあげたい……」
あまり自分自身では頑張った、と言う言葉を使いたくは無いのだがこればかりはさすがに頑張ったと言っても差し支えないのかも知れない。思わず全身が脱力し、重力に任せるがままに身体を前に折り曲げる。
そんな私の背中を道音はポンポンと労うように叩いた。
「紺ちゃんはよく頑張ったよ、すごいじゃん」
「ちょっと前の私には想像も出来なかったよ……」
「あははっ、紺ちゃん凄く前向きになったよね」
「自分ではわかんないけど……そうなのかな?だとしたら皆のお陰かも」
「そうなの?」
「うん、皆が私を助けてくれたから私も頑張らなきゃって思えたんだよ」
そっか、と道音は嬉しそうに声を弾ませる。空を仰ぎ、ポツリと言葉を漏らす。
「私も紺ちゃんと仲良くなれて嬉しいよ」
「えへへ、ありがとう」
後者の奥では変わらずも文化祭に賑わう生徒達の声が響いている。しかし、その中に誰かの足音が聞こえた。
それは徐々に近くなり、私達はその音の方に視線を向ける。
やがて姿を現したのは。
「あ、いたいた。お前らこんなとこで何してんの、文化祭の時間勿体なくないか?」
「え、どちら様?」
男子の制服を着た、栗色の長髪を後ろでまとめ上げた生徒だった。全く知らない男子生徒かと思ったが、誰かの面影を感じさせる。
その正体が分からず、首をかしげている隣で道音は口をパクパクさせていた。
「え、ゆきっち……?」
「!?」
私は改めて彼……いや、彼女の全身をまじまじと見る。確かにくりくりとした両目に、すらりと伸びたスレンダーなシルエットは私のよく知る有紀先輩と確かに似ている。
しかし、力の抜けた立ち振る舞いをする姿は私の知る穏やかな彼女とは全く違う。
疑いの視線にどこかむずかゆくなったのか、彼女はぽりぽりと頭を掻く。
「あー、いや俺のクラスの出し物さ、男女で制服交換してんだよね。でさ、男子の服着てたら自然と口調が……な?変か?」
有紀先輩はどこか心配そうに尋ねるが、不自然どころか自然すぎるくらいだ。まるで、元から男性だったと言われても遜色ないくらいだ。
私は大きく首を横に振った。
「いやいやいやいや、むしろ自然すぎるくらいです!?むしろ元から男だったのか、ってくらい!」
「んぐっ」
となりで道音が笑いを堪えるような声を漏らし、私から視線を逸らした。有紀先輩はどこか複雑そうに右腕で首元を撫でる。
「ははっ、嬉しいやら気まずいやら、だな……まあいいや、お前らも丁度自由行動時間だろ?どうせなら一緒に回らないか?真水ももうすぐ合流できるし」
「あ、良いですね行きましょ!」
賛成の声を上げるが道音は何処か考え込むように顎に手を当てていた。すると、有紀先輩に向けて声を掛ける。
「ねえゆきっち」
「ん?どうした、道音?」
「定期的に男装しない?大体週一くらいでいいから」
「は?嫌だよ。俺、女子だぞ」
凄く説得力に欠けた返事を有紀先輩を余所に、私達は校舎裏から出る。するとそこには鶴山先輩がたこせんを片手に食べていた。
「は、ふはひほほー、はっほひはー」
「え、なんて言いました?」
「食べながら喋るな」
「はへっ」
有紀先輩のチョップをモロに受けた彼は思わずよろけた。困ったような笑みを浮かべながら、その食べかけのたこせんを有紀へと向ける。
「あ、食べる?美味しいよ」
「……じゃあ一口貰おうかな」
「はい」
たこせんを手渡すのかと思いきやそのまま有紀先輩の口元にそれを「あーん」の要領で持っていく。彼女は困ったようにそのまま頬張る。
「むぐ……、うん……美味しいけど、そういう所だぞ」
「え、どういうこと?別に友達同士なんだから気にしなくてよくない?」
「はぁー……」
あまりの鈍感さに有紀先輩は思わず額に手を当てた。
道音は私に困惑した表情を向ける。
「ねえ、これって傍から見たらどう見える?」
「男性同士のイチャイチャに見える……有紀ちゃん先輩、凄く自然に男装出来てるから……」
「だよねー」
「……う、うっせえ、いいから行くぞ!」
私達の会話が聞こえたのだろう、どこか恥ずかしくなったのか早足でさっさと向こうへ行ってしまった。鶴山先輩は困った様子で「僕が居るんだぞ、置いていくなー!」と杖をつきながらゆっくりと彼女の後ろ姿を追いかける。
徐々に消えていく後ろ姿を眺めながら、私は道音の方に視線を向ける。
「ねえ、道音ちゃん」
「ん?」
「有紀ちゃん先輩、めっちゃ男性の振る舞い上手じゃない?役者とか行けそう」
「ふふっ……た、確かにそうだね……」
何気ない会話のつもりだったが想像以上にツボにはまったらしく、彼女は声を殺して笑っていた。
ーーーー
「なあ、的上げゲームだって、これやってみるか?」
「あ、いいですね賛成です!」
「へえ、マジックテープ使ってるんだ。確かにこれなら安全に出来るよね」
「んじゃあまず俺からな……おらっ、お、良いところにくっついたな。次真水やるか?」
「うん、やってみる。えいっ……やった、有紀よりも良いところに決まった」
「いや、まだ本気出してねえかららな……?じゃあ次は紺ちゃんか」
「有紀ちゃん先輩は負けず嫌いですねー……はい、じゃあ行きますね……とりゃっ!……あ、ちょっと待ってボールがすっ飛んだ」
「紺ちゃん、腕を伸ばして投げるんだよ!」
「道音ちゃん分かってるって、もう一回行きます……とらっ!やった、当たった!」
「すごく角の方だけどね……最後は私だね。そらっ!!……あ」
「ちょっと強く投げすぎ!?」
「ごめんなさいごめんなさい、すぐ直します!!」
「道音、やり過ぎだって!?」
「あはは、ごめんごめん、つい……」
「ゴリラ女……」
「真水先輩?何か言いましたか?」
「う、ううん、何にも言ってないよ」
ーーーー
「あ、すいませーん!これくださいー!!」
「道音ちゃんどんだけ食べるの!?」
「まあ、食う子は育つ、って言うし」
「それ寝る子は育つの間違いね、有紀ちゃん先輩も何か言ってくださいよ!?」
「すげえな、大食い選手権行けんじゃね?」
「そうじゃないっ!」
「あははっ、いいんじゃない?まあ良く食べる子は見てて気持ちいいし」
「真水もそう思うのか?」
「うん?そりゃあね……」
「あ、この流れは良くない」
「……すみません、焼きそば二つください!!」
「ちょっと待って有紀ちゃん先輩!!負けず嫌いもほどほどに!?」
「いや、今の俺ならいける!!」
「いけませんって!?道音ちゃんもこのお馬鹿さん止めて!?」
「ははひ?ははひひふははひはは」
「食べたまま喋るなあっ!?」
「おっしゃ、俺はいけるぞ……いただきます」
「ぶふっ……ふふふっ、さすが有紀、見ていて飽きないな……ふふっ」
「鶴山先輩はもっと自分の言葉に責任持ってください……」
「え?どういうこと?」
「あー……いや、何でもないです」
「むぐ……はぁちょっと休憩、いや大丈夫まだ食べれるから」
「早っ!!ほら言わんこっちゃないでしょ!?」
「ゆきっち、私まだ食べれるよー」
「道音ちゃんは食べすぎ!!ああー、もう!!私そんなまだ食べてないんで手伝います!!」
「いや、行けるから……げふっ、大丈夫まだ舞える」
「舞えませんっ!!」
――――
「おー、劇のクオリティ高いなあ。照明の使い方とか上手い」
「あれってバックスクリーンの照明を残して、意図的に逆光になるようにしてるんですね」
「だからシルエットみたいな演出になるんだなあ。照明に使っているのってあのピアノみたいな機械?」
「そうみたいです。あれに予め舞台を演出する色の順番を設定しておいて、簡単な操作でそれを呼び出せるようにするみたいですよ」
「紺ちゃん詳しいね、触ったことあるの?」
「うん、ちょっとだけね。皆よりはある程度触れる自信あるよ」
「へえー、じゃあもし文化祭で劇をやることになったら紺ちゃんを頼るね」
「まあいいけど、一応他の人の説明も聞いてね」
「はぁい……って真水先輩?」
「いい話だぁ……ずず、うぅ、泣ける……」
「ガチ泣きじゃん……」
「真水、ほらティッシュあるぞ」
「ありがと、ずず、ぅー……はあ」
「鶴山先輩って涙もろいんですね」
「だってさあ、すれ違っていた二人がようやく和解するんだよ……?こう、グッと来ない?もう分かり合えないと思っていた人が和解できるの……」
「まあ、真水の言いたいことは分かるけどさ……感受性豊かだなあ本当にお前は」
「そうかなあ……こんなもんじゃない?」
――――
楽しい時間はあっという間に過ぎるものだ。
気が付けば放課後のチャイムが鳴り響き、それと同時に文化祭の終わりを告げる。
「それでは、今年度も安全に文化祭を終えることが出来ました。皆さま、ありがとうございました」
有紀先輩の言葉で文化祭の締めの言葉となり、皆一同に文化祭の片づけを行い始めた。
私も屋台の片づけを行いつつも、どこか落ち着かない私自身がいることに気づく。その心中を察したのだろう。道音が私の後ろにやってきた。
「大丈夫?今日は気持ちに整理をつける日でもあるんでしょ、用事あるって席を外しても大丈夫だよ?私から皆に言うし」
「う、でも……それは申し訳ないし」
渡りに船な提案であるが、それに乗ってしまうことは罪悪感がある。葛藤を繰り返していると、道音は私の肩をポンと叩いた。
「いいんだよ、今日は紺ちゃん色々とやってくれたから、ちょっとくらいわがまま言ってもいいんだよ」
「……じゃあ、頼んでいい?」
「もちろん!!」
どこか迷う心は消えなかったが、最終的に道音の提案に乗ることにした。私は「少し用事があるので席を外します」とクラスの皆に告げてその場を後にする。
☆☆☆☆★
屋上に向かうまでの階段を上っている間、私はこれまでのことを思い出していた。
あの日、友坂 悠先輩に振られたことからすべてが始まった。私にとっては世界のすべてのように思えていた、文芸部を去ったあの日。
もし、私が勇気を出していなければ文芸部に留まることが出来ていただろうか。友坂先輩は幼馴染に対する気持ちに気づくこともなく、ただ変わらない毎日を過ごすことが出来ていたのだろうか。
その答えが分からないから、今日ここで彼に聞くしかない。
私はゆっくりと屋上の扉を開く。鍵はかけられていなかった。
雲一つない空。時刻は夕暮れを迎え、狐色の光が私を、校舎を照らす。
秋風は涼しく、私の頬を、髪を撫でる。ふわりとスカートが揺れるのを感じる。私は屋上のフェンスに手をかけ、ただひたすらに外の景色を眺めながらその時を待っていた。
一体、どれくらいの時間が経ったのかは分からない。
ギィ、と屋上の扉が開かれる。その音に気づいた私は音がした方向に振り返る。
友坂先輩が、ゆっくりとその姿を現す。目線は正面を見据え、私から目を逸らす様子など見せない。
もちろん、私も逃げる気などさらさらなく、ゆっくりと彼との距離を縮める。同じくして、彼も徐々に歩みを進める。
狐色の夕日が私達を照らす。秋風が私達を揺らす。
「久しぶりだね、秋城さん」
「お久しぶりです、友坂先輩」
私達の声は、ほぼ同時に、重なるように告げられた。
[続く]