②劣等感
体育館にシューズの靴底がフローリングを擦る音。ボールが地面をたたく音が鳴り響く。
先月までは夏の熱気が体育館内にもこみ上げていたが、徐々にその熱気は衰えを見せ、涼しささえ感じ始める。
「はい、サーブいくよー!」
船出 道音はポニーテールにまとめ上げた黒髪を揺らし、そう大声で宣言した後ボールを高く跳ね上げる。
その姿勢から滑らかに腕を伸ばし、スナップを効かせたかと思うと鋭いサーブが鋭角に私の懐へと襲い掛かる。
「ひゃっ!」
私はレシーブの構えを解き、慌ててボールから逃げる。弾丸のように鋭く飛んできたボールが地面を激しく叩く音がした。
同じチームの女子生徒は少しあきれた様子で私――秋城 紺の方を見ているのを感じる。どこか罪悪感のようなものを感じ、思わず体は委縮した。
恐る恐る道音の方を見ると、申し訳なさそうに両手を合わせていた。
「ごめん、今の危なかったね。もう少し手加減する!」
「え、ううん、こっちこそごめん」
「それじゃあ、改めてサーブいくよ」
私はその言葉に再び身構えてしまい、思わず目線を彼女から外してしまった。
そして、再び前を向き直した時には。
「あ」
気づいた時には彼女が放った鋭いサーブが私の顔面に迫っていた。
★☆☆☆
体操服から制服へ着替える時間を考慮し、チャイムが鳴る前に体育の授業を終えた私達は廊下を抜けていく。
通り過ぎる教室からは授業に取り組む生徒たちの姿が映った。
「~~っ……」
未だ焼けるような痛みが絶えず鼻腔の奥深くを刺激して、私は思わず顔面を手のひらで抑え込む。
道音は心配そうに、私の横顔をのぞき込んでいた。ポニーテールの髪を解いており、赤色のヘアバンドを挟んだ長い黒髪がその動作に応じて揺れる。
「……ごめん、大丈夫……?」
「へ、へーき……道音ちゃん、こっちこそごめんね?余計な心配かけて」
「ううん、いいんだよー。紺ちゃん運動はやっぱり苦手……だよね?」
「……苦手」
私は下手に誤魔化すこともせずおとなしく白状した。散々今まで体育の授業の度に迷惑をかけているのだから、むしろ理解してもらえる方がありがたい。
ただ、このままでいいはずがない、とは私自身も分かっていた。だけど、いくら考えてもこの臆病な自分は簡単には消えそうにはない。
ふと、道音の方を見ると、ある教室の前で立ち止まったのが見えた。確か、二年生……私達からすれば先輩に当たる学年の教室だ。
「……道音ちゃん?」
私は彼女に呼びかけたが、その声はどうやら届いていないようだ。
一体何を見ているのかと思ったら、突如として大きく右腕をブンブンと自身の存在をアピールするように振り始めた。その表情はまるで満開の花が咲いたような笑顔だった。
「……?」
彼女の目線の先を追うと、栗色のセミロングの髪をおさげに下ろした少女が、道音の方を見て困ったように苦笑いしながら会釈をしていた。
その様子を見て満足したらしい道音が笑顔を崩すことなく私の方を振り返る。
「あー、ごめんね紺ちゃん!お待たせー」
「え?あ、うん、大丈夫だよ」
私は困惑しながらも返事した。あの先輩とは一体どういう繋がりなのだろうか。
……というか、私はあの先輩を知っている気がする。
「ねえ、道音ちゃん」
「ん?なにー?」
「さっき道音ちゃんが手を振ってた先輩って、文化祭の実行委員やってる人?」
私がそう尋ねると、道音は一瞬首を傾げた後何かを思い出したようにすぐに大きく頷いた。
「あ、そっか紺ちゃん実行委員だもんね、会ったことあるんだっけ」
「うん。確か、一ノ瀬先輩……だったよね?」
「そうそう!」
道音は再び大きく頷いた。
文化祭は来月の10月21日に控えており、私はクラス代表として実行委員を担っている。
本来そういう役割は引っ込み思案な私には性分にはあっていないのだが、傍から見る分にはどうやら私は真面目そうに見えるらしく教師の推薦によって選ばれた。正直なところ、貧乏くじを引いたような気分だ。
先ほど道音が見ていた一ノ瀬 有紀先輩はその実行委員のリーダーとして動いている。
本来は三年生がするものだと思う。しかし、彼女は決断力があり、また周囲の意見を調和させる能力が高いらしい。その結果、リーダーとしての素質があると認められたことから抜擢されたという珍しいケースだった。ただ、最初は男性だと聞いていた気がするが気のせいだったのだろうか。
そして、今日の昼休憩の時間にも実行委員の会議を行う予定がある。その為昼食をゆっくりと食べる時間はなく、そうした面でも体育の授業を早く切り上げてくれた先生の判断には感謝しかない。
そうこうしている内に、私達は教室を通り抜けた先にある女子更衣室に到着した。
「じゃあ、紺ちゃんまたね、もし痛みが引かないようなら保健室に行った方が良いと思うよ」
「うん、ありがとう」
そう言って、私は道音に別れを告げた。
元々、道音は容姿端麗・運動神経抜群といわゆるカースト上位に値する女子だ。私に対しても気遣ってくれたことから分かるように性格も良く、私が彼女に勝てる要素は何一つない。
そうした劣等感もあることから、普段彼女と接する機会は授業中に行う必要最低限の会話以外ではほとんどない。
自分のロッカーを開け、タオルで顔に残る汗を拭きとる。頬に触れるとやはりまだ痛みが響くが、徐々に軽減してきていた。
「私こそ、一体なんなんだろう……」
ふと、昨日自分が先輩に言い放った言葉がフラッシュバックする。
何か思っていることがあるなら言って、と友坂 悠先輩に言い放った自分自身の言葉が脳裏をよぎる。
その言葉は、どこか私自身にとって突き刺さるブーメランになっているような気がした。
[続く]