⑯一歩ずつ前へ
どれくらい泣いていたかは分からないが、ようやく涙は枯れ果てた。私――秋城 紺は一ノ瀬 有紀先輩の体からゆっくりと身体を離す。
「ありがとうございます……一ノ瀬先輩。またみっともないところを見せました」
苦笑しつつも礼を言うと、ううん、と彼女は首を横に振った。
「私こそごめんね。ちゃんと面と向かって話すべきだったよね」
「……そうですね、私達はまだ表面上の姿しか知らなかったんですね」
「うん、みんな多面的な部分を持っているのは私も分かっていたはずなんだけどね、それを相手に伝えないと分からないもん」
「はい、でもこれで一ノ瀬先輩と向き合えました」
「ふふ、それは良かった」
「……あのー、そろそろいい?」
杖で地面を叩く音に驚き、私達はその音のした方向に振り向く。そこには困った顔で鶴山 真水先輩が私達の方を見ていた。
「わっ、あ、ごめんなさい」
「驚かないで、謝らないで……」
げんなりとした声で彼はそうぼやく。
「あ、真水のこと忘れてた、ごめん」
「呼んだの僕なのに酷いや……まあいいけどさ。秋城さん」
「え?私ですか?」
鶴山先輩は何か思案した様子を見せた後、どこか躊躇するように言葉を紡ぐ。
「友坂ともう一度、面と向かって話をしたいと思う?」
その質問には、今ははっきりと答えられる。私は真っすぐに頷き、しっかりと彼の目を真っすぐに見る。
「はい。私はやっぱり、友坂先輩と向き合いたいです。彼が一体何を考え、どう思っていたのか聞かないと私が納得できません」
「……だよね、分かった」
「真水、何か考えがあるの?」
一ノ瀬先輩が不思議そうに彼に尋ねると、きょとんとした顔で彼女の方を見た。
「考えもなにも、僕友坂とは友達だし。たまに他クラスの人と授業受ける時あるでしょ、その時に仲良くなった」
「えっ」
「は!?」
目を見開いた彼女は突如立ち上がり、鶴山先輩の両肩を持って揺らし始めた。ぐわんぐわんと振り子のように揺らされた彼は苦笑いしながらされるがままとなっている。
「それ早く言ってよ!?真水が先に言ってくれたらもう少し話スムーズだったじゃん!?」
「あぅ、だ、だって、有紀、誰と、も、め、たのか、言っ、てなか、あの、もうやめ、て」
「あっ」
激しく揺らされて言葉が途切れ途切れになりながらも鶴山先輩に正論を突き付けられた一ノ瀬先輩は、揺らすのを止めて気まずそうに項垂れた。
「割と私のせいじゃん」
「あははっ、まあ逆に考えなよ、こういうトラブルが無かったら秋城さんと分かり合えてなかったでしょ」
「そう考えれば結果オーライ……なのかな?」
「そういうことにしておこうよ」
「はぁい……」
渋々納得したのか、ゆっくりと鶴山先輩から手を離す。そして、まだへこんでいるのか元気なく項垂れしまった。
少しだけ彼女に同情しつつも、私は彼の方へと視線を移す。
「あの、それで具体的には鶴山先輩はどうするつもりなんですか?」
「とりあえずは僕から話してみるよ。男同士じゃないと出来ない話って多いんだよ」
「へぇ……?」
「ま、女の子とは勝手が違うってことさ」
正直彼の行っていることは分からないが、男子同士にしか分からないものもあるのだろう。
ここは鶴山先輩の言うとおりにするのが懸命なのだと想う。
「……わかりました、それではお願いします」
「うん。あ、ただ後一ヶ月もしたら文化祭でしょ。もうすぐ準備で忙しくなるからそうした話は文化祭終わった後に回す方が良いと思うよ」
「どうしてですか?」
「簡単な話で、秋城さんは大丈夫だと思うけど、この……バカが何かまたやらかさないとも限らないし、 文化祭の準備が滞ったら困るでしょ」
ちらりと元気なく項垂れた彼女の方を見やりながらそういうと、少しだけ両肩がピクリと動いた気がした。
ボソボソと、「私はバカな女です……」と呟いているのが聞こえる。
「さすがに一ノ瀬先輩が可哀想では?」
「ごめんちょっと日頃の恨みもある」
「へ、へぇ……」
ここまで彼女に対し手強く出られるのは彼くらいのものだろうな、と心のどこかで考えていた。いつも毅然として様々な相手に立ち向かっている彼女が唯一勝てないとしたら、恐らく鶴山先輩くらいのものだろう。
そこでスマートフォンの画面を見ると、時刻は十七時を過ぎようとしていた。
「あ、そろそろ帰らないと駄目な時間ですね」
「本当だ、文化祭の日の計画も練りたかったけど……まあいいか」
「真水、何か文化祭の日にやりたいことあるの?」
一ノ瀬先輩も知らないのか不思議そうに尋ねると、彼は無邪気な子供を彷彿とさせる笑顔で答えた。
「丁度ね、今年のオリオン座流星群が十月二十一日……文化祭の日に一番見えるって話なんだ」
☆☆★☆
翌日、今日は快晴の空が見えていた。秋雨はまだ終わったわけではないのだろうが、今日の空は雲一つ無い快晴だ。
私は見知った後ろ姿を見かけて、背中を叩く。
「おはよ、道音ちゃん」
「え、お、おはよ!?」
船出 道音は困惑した様子で私の顔をまじまじと見る。何か顔に付いているだろうか、と自分の頬を触っていると彼女はぷっと吹き出した。
「別に顔に何か付いているわけじゃないよ、ただ紺ちゃんから挨拶してくれたの初めてだな、と思ってさ」
「あれ、そうだっけ」
「うん、そうだよー。なんか垢抜けたみたいだね」
「昨日一ノ瀬先輩とようやく話が出来たもん」
「ほんと!?ああ良かったあー……ちなみに、ゆきっち何をやらかしたの?」
「『てめぇ自分が何やったのか分かってんのか』的な感じで先輩に掴みかかったよ」
「えっ」そこで道音の表情は固まった。
「あ、これ言わない方が良かったかな……」
「い、いや、私もそれは知ってるからいいけどさ……前にストーカー被害に遭った事あるって話したでしょ、それ解決してくれたのもゆきっちだし」
「あ、そうなの!?」
サラッと言った衝撃の事実に驚愕して道音の方を見ると、彼女は困ったような、嬉しいような表情を浮かべていた。
「うん、まあ……正直、まさか同じようなことをするとは想ってなかったからびっくりしたよ」
「あはは……」
「見たかったなあ、あの時のゆきっち格好良かったんだよなあ……」
「えっ」
全く異なる感想を抱いていた彼女の方に驚いて振り向く。道音は恍惚とした表情を浮かべていた。
「……道音ちゃん?」
「あっ……あはっ、何でも無いよー」
「……」
人間には多面的な部分があると昨日学んだところだが、これに関しては正直知らなくても良さそうな気がしたので敢えて触れないことにした。
そういえば、と道音が思い出したように私の方を見る。
「そろそろ模擬店の準備に取りかからないとね。私は屋台の設営に携わるけど……紺ちゃんは確かマニュアル作成とかの方だったっけ」
「うん、実行委員だからね。ちゃんと衛生管理が出来ているか、って用紙を出した上でクラス内の状況把握しないと行けないの」
「うえぇ面倒くさそう……凄いね紺ちゃん。先生に丸投げしちゃえばいいのに」
「こういう経験も大事だからね」
それもそっか、と納得したように道音は頷く。私達は一緒に談笑しながら教室へと向かっていく。
ふとかつて彼女と交わした約束を思い出し、私は彼女の方へと向き直る。
「道音ちゃん、今日お昼一緒に食べない?」
「え、今日実行委員じゃないの?」
「今日は珍しく会議休みなの、折角前に約束したのに守れなかったから、どうかなあって……」
正直、この提案をするのは不安もあったがそんな不安を余所に彼女は嬉しそうに笑う。
「うん、いいよ!あ、じゃあ私の友達も誘って皆で食べよっか」
「……うん!」
少しずつ、私は前に進めている気がしていた。
[続く]