⑮偽物の私達
一ノ瀬 有紀先輩はしばらく呻きながら蹲っていたが、ようやく冷静になったのかゆっくりと私達の顔を伺うようにしながら立ち上がった。
ちょっとだけ涙目になっていて、少しだけ申し訳ない気持ちになった。
「……ごめん取り乱した……」
「あっはっは、面白いなあ有紀は」
そんな彼女の様子を他所に、鶴山 真水先輩は楽しそうにけらけらと笑っていた。非常に悪趣味だ、よくもまあ幼馴染をやれているものだと思うが……。
「鶴山先輩はどうして一ノ瀬先輩をここに呼ぼうと思ったんです?さっきは逃げるようにこっちに来た、って言ってたのに」
「ん?ああ、単純な話だよ」
「?」
私――秋城 紺が首をかしげていると、彼は一ノ瀬先輩を真っすぐに見ながら続けた。
「せっかくちょうどいいタイミングで秋城さん来たんだし、こうやって向き合ってもらった方が手っ取り早いと思ってさ」
「粗治療……」
「そうでもしなきゃ有紀ずっとウジウジしてたでしょ」
「う……」
一ノ瀬先輩が不服そうに鶴山先輩を睨むが、動じることなく淡々と言葉を返す。彼女は反論できず、そのまま黙りこくってしまった。
だが、小さく息を吐き鶴山先輩に「……ありがとう」と言ってから私に向き直る。
「うん、正直言うとね私も自分のこの一面が嫌いなんだ。感情で突っ走ってしまう所がさ……だからいつも誤魔化してるんだけどね」
「ボロが出て、突かれると弱い、って鶴山先輩が言ってました」
「……そう、真水の言う通り。だからこの間……私が友坂君に突っかかって、秋城さんに諫められた時すごく後悔した。また私は感情に任せて走ってしまったんだ、って」
「友坂?」
鶴山先輩は何故か友坂 悠先輩の名前を反復したが、その様子に気づくこともなく一ノ瀬先輩は言葉を続けた。
「一度言葉に出してしまったものは引っ込みがつかないし、それで取り返しのつかない状況に陥ったのも事実だよね」
「まあ、そうですけど……それは鶴山先輩にも言ってあげてください……」
私が彼の方を向きながら呟くと、一ノ瀬先輩は「う」と痛手を突かれたような表情をした後、ごめんと鶴山先輩に深々と謝った。
彼女の謝罪に、鶴山先輩はひらひらと手を振りながら笑う。
「いいよ、正直かまってちゃんムーブする有紀は初めて見たから面白かったし」
「私もどうしたらいいか分かんなかったから……」
でも、と鶴山先輩はそこで言葉を切って親権な表情をして私達の方を見回す。
「目に見える部分だけが、その人の一面を表すわけじゃないっていうのはよく分かったんじゃないかな……有紀は特にそういうの分かってたはずでしょ?」
「うん、私のこの人格だって作ったものみたいなもんだし」
「え、そうなんですか」
「有紀ね、ちょっと前まですごくストイックだったんだよ?自分が他人を引っ張るべき人間にならなくちゃ、ってクールぶってたもんね」
「あ、真水……そ、その話は」
「関係ある話だから、ね?」
「……はい」
一ノ瀬先輩は狼狽えた様子を見せたが、鶴山先輩に一喝され大人しく項垂れる。
「でも今見てる有紀はそんな素振りに見えないでしょ?有紀もいい人に見られようと自分を繕ってるんだよ」
「自分を繕ってる?」
「そう、もちろん僕も、『自由になりたい』という人間を繕って行動してる。自分の心の内にある人間は全くの別人格を持っているのかもしれないけど、僕が『こうありたい』っていう人間性を表に出しているに過ぎないんだよ」
「……つまり、鶴山先輩も、一ノ瀬先輩も、表に出している人格とは違う、ってことですか?」
「秋城さんもだよ。秋城さんも、『自分が成りたい自分を演じて言葉を発している』に過ぎないんだよ」
「そんなこと……」
ない、と言おうと思ったが今までの言動を思い返すと納得できない訳ではなかった。
友坂先輩に対して報われない恋と知りながら告白したあの日の私は、何を望んでいた?先輩との恋愛関係を構築したかった訳じゃないはずだ。
ただ先輩の告白を後押ししたい自分を演じたいという自分がいただけだ。
そして、体育の授業の時、船出 道音が放ったサーブから逃げた私自身もそうだ。友坂先輩から向き合うことから逃げた私自身もそうだ。その時は目の前の課題から逃げる私を演じていたのかもしれない。
……でも、『助けてほしい』と道音や一ノ瀬先輩に悩みを打ち明けた私自身も、どこか『こう成りたい』と私が願った結果の行動なのかもしれない。
「だとすると、私もみんな、誰もかもが嘘つきってことになりません?『こうなっていたい人間』を演じて言葉を発するんでしょう?」
私の質問に鶴山先輩は首を横に振った。
「嘘かどうかなんて今この時点では誰も分からないでしょ。今こうして言葉を出している時点で本当のことなんて何一つない。確かに本心とは違うのに、やむを得ずに思ったことと違う事を言うこともあるよ。でも、それも『相手にこう思ってほしいから』という本心から来る言葉なのは間違いないでしょ」
「詭弁です……」
「あははっ、そうかもね。でも、その自分がこうありたいを作って、それに対して他人が良い反応をしてくれたらその嘘はいつか本物になるんだよ」
「そうなんですか?」
私は一ノ瀬先輩の方を見ながら、鶴山先輩の言葉を借りて質問をした。すると、彼女は首を一瞬傾げたものの、やがて深く頷いた。
「うん、私も今は自分を偽っている最中だからね。でも、秋城さん含め、周りの人達がそんな作った私を認めてくれて初めて、一ノ瀬 有紀は存在できるから」
「道音ちゃんもそうなのかな」
「みーちゃんも、強い自分を演じているところはあると思うよ。でも、そうして強い自分を演じた結果、秋城さんも彼女を頼ろうと思えたんじゃないかな」
「……」
その言葉には何も言い返すことが出来なかった。徐々に自分自身の本心が分からなくなる。
「……一ノ瀬先輩」
「ん?」
「私は、自分の本心というものが分かりません。周りから遠ざかるように逃げて、勝手に他人を軽蔑して、目の前の問題から目を逸らして……そうした私は、一体何を演じようとしているのでしょうか」
思わずスカートの裾を強く掴む。
私自身が認めたくなかった、大嫌いな私自身の一面だった。そんな私は一体何を演じようとしているのか、自分でも言葉にできない。
一ノ瀬先輩は鶴山先輩をちらりと見た後、言葉を続けた。
「私視点から見た秋城さんはね、『ただ目の前の壁から逃げたくない自分』を演じているんだと思うよ」
「目の前の壁……?」
「そう、実行委員書記という責任から逃げない。友坂君との一件からも目を逸らさず、泣きながらも必死に悩みを打ち明けてくれた。そして……私に対しても、嫌な思いを持ったはずなのにこうやって向き合ってくれている。それだけでも、十分凄いことだよ」
「そうでしょうか……?」
確認するように問いかけると、一ノ瀬先輩は私をゆっくり、優しく抱きしめる。温かい感覚が全身を覆う。
「大丈夫、秋城さんは前に進んでいるよ」
「……せんぱぁい……」
私は思わず彼女を抱き返した。強く彼女を抱き寄せるように。
もう何度目になるか分からない涙を流していたが、誤魔化すこともできなかった。
そんな私達を他所に、鶴山先輩はどこか気まずそうに目を逸らしている。
ただ、顎に手を当てて何か考えている様子だ。
「友坂……ねえ。さて、まだ僕の仕事はありそうかな……」
ぽつりとそう呟いていたのが聞こえたが、その意味は私には分からなかった。
[続く]
今回話した内容について、私――砂石 一獄より考証により補足を行います。
嘘というのは、結果論に過ぎません。こうして話す言葉、行動は全て「私がこういう言葉を発することによる行動の結果」を期待して演じるものです。その言葉を発した時点での現状との相違の結果から初めてその言葉が嘘であると判断できるのです。
例えば、10年前の自分に「これから世界がパンデミックに陥る」などと言っても「そんなことはない」と鼻で笑うでしょう。しかし、現在コロナ禍を経験した私達にとっては、この言葉は間違いなく本物だと理解できます。未来予知という言葉がありますが、これも「本当か嘘か」などとは今この時点では判断が出来ないものです。ですが、そうしたものに縋りたいと願うのは、私達がどこかで「正解を求めているから」なのかもしれません。
……さて、これ以上書くと本題と逸れそうなので、これにて後書きを終了します。
もうしばらくお付き合いください。