⑬パズルのピース
九月十一日。今日は空は曇っており、じめじめとした空気が漂っていた。
船出 道音も今はよそよそしく距離を取っており、昼食に誘ってくることもなかった。この前に「一緒に食べよう」と約束したのに反故にしたことは申し訳ない気持ちはある。
けれど、今はどうしようもなく一人になりたかった。
私――秋城 紺はいつものように校舎裏のベンチに腰掛ける。そしてコンビニで買ったドーナツをもそもそと味わいもせずに口に運ぶ。
「……美味しくない」
私は、どこかぽっかりと心の中に穴が開いたような感覚を覚えていた。
今日は予定通り、実行委員会の会議の予定が入っている。今までは一ノ瀬 有紀先輩がやってきて声を掛けてくれることがもはや恒例の流れだった。
だが今日は、一ノ瀬先輩は校舎裏にやってくることはなかった。
――――
実行委員の会議時刻が近づいたことから私は渋々立ち上がり、いつもより早足で会議室へと向かう。
そこには既に一ノ瀬先輩が今日は珍しく本を読んで座っていた。彼女は私の存在に気づいたが、小さくお辞儀をしてまたすぐ読書に戻ってしまった。
今はあまり、最低限の関わりしか持ちたくないというのは何となく分かった。だから私も何も言わなかった。
いつもより時間の流れが速いようで、ゆっくりと流れる時間の中いつの間にか実行委員の面々が会議室へとやってくる。私も彼女も、それぞれ暗黙の了解と言わんばかりに立ち上がり定位置へ移動する。
「さて、本日も実行委員の会議を開始します。秋城、さんはー……はい、大丈夫そうですね」
どこか自分を納得させるように小さく頷き、彼女はいつものように会議を取りまとめるリーダーとしての業務を開始する。
本日はプログラムの流れについての話を確認するという話だったが、結論から言えばほとんど例年通りで変わらないとのことである。
吹奏楽部による派手な演出から、ダンス部によるパフォーマンスなど全体を盛り上げていくという流れのようだ。司会は一ノ瀬先輩が務める、ということで話はまとまった。
会議を終えた後、私は一ノ瀬先輩に何も言わずに会議後の椅子を直す手伝いを始めた。彼女もちらりと私の方を見たが、結局何も言わずに私の真似をするように椅子を直し始める。
時折、椅子の脚が地面を擦ってしまい彼女が何か言ってくるものかと思ったが、全く気にも留めていないようでこちらを振り向くことさえしなかった。
☆☆★☆
そして、その日以降私の定位置は屋上近くの踊り場になっていた。そこなら道音にも、一ノ瀬先輩も私の居場所を認識できないと思ったからだ。
そんな日がしばらく続き、気が付けば日付は九月十八日を迎えていた。
今日も今日とて、放課後に私は屋上近くの踊り場までこっそりと隠れるように移動し、段差に腰掛け読書を始める。
これがもはや日課になっており、徐々にそれに慣れてきている私がいた。
だが、今日はいつもと違うイベントが生じたことに私は気づく。
コツリ、コツリと何か硬いものが地面をたたく音がテンポを刻むように廊下に反響する。
「……先生の見回り?」
隠れる場所も見当たらないため、私は身構えるように音が聞こえたところに視線を向ける。その音は、確実にここに向かって近づいていた。しかし、その時。
「あ」
という男性の声と共に、何か大量の紙をバサバサと落としたような物音がした。私は思わず音の元へと顔を出す。
そこには、杖を突いた、気の抜けた雰囲気の男子生徒が大量の紙の束を落として固まっているようだった。
一応持っていた杖を使って自分のもとに手繰り寄せようと試みるが、杖のすべり止めの摩擦によって用紙にシワが生まれる。それを見て更に困った様子を見せており、放っておけなかったので顔を出すことにした。
「あの、大丈夫ですか?」
「うわ!?何でこんなところに」
「こっちのセリフですよ……あ、手伝いますね」
そう言って私は彼の代わりに落ちた用紙を拾い始めた。それに書かれた内容を見ると、どうやら文化祭のパンフレットに関係した内容のようだ。
「ありがとう……いやね、文化祭のパンフレットを纏める作業やりたかったんだけど、静かなところでやりたくて」
彼は私が何も言っていないのに、必死に自分の事情をまくしたてるように説明した。その話をBGMにしながら、私は紙を全て拾い上げた。
段差を机代わりに、纏めた紙の底を叩き位置を揃えてから私は彼の方を振り返る。
「そして、どこまで持っていったらいいですか?」
「え?」
「手伝いますよ。杖ついて紙束持って、大変でしょうし」
男子生徒は逡巡した様子を見せたが、観念するように苦笑いした。
「分かった、助かるよ。それじゃあ、僕に付いてきて」
「あ、はい」
彼は私の脇を通り抜け、屋上へと続く扉の前に立つ。するとズボンのポケットをまさぐったかと思うと、一つの鍵を取り出した。
その鍵を扉の鍵穴へと差し込み、扉を開く。
「え、屋上への鍵を持ってるんですか?」
「あー、うん。皆には内緒ね」
そうおどけたように笑う彼は一体何者なのだろう、と疑問に感じたが一先ずはこの紙の束を持っていくことが最優先だ。私は彼の後ろにのそのそと付いていく。
「わあ……」
初めて屋上に立った私は、感嘆の声を上げた。もはや見慣れたはずの校舎なのに、屋上から眺めるそれは全く別の景色のように見えた。
爽やかな秋風が通り抜ける。油断していると抱えた紙束が吹き飛んでしまいそうなそれに、思わず紙を持つ手の力が強まる。
その景色に見惚れていると、隣に立った男子生徒が楽しそうに笑っているのが見えた。
「屋上に来るのは初めて……だよね。普通来れないし」
「あ、はい」どこか照れくさくなって、小さく俯く。
「いい景色でしょ。ここ」
彼は私の様子など気にも留めず、手すりに手を掛けてその景色を眺めていた。その表情はどこか懐かしむような、愛おしいものを見つめる時のようなそれだった。
それが一分くらい続いた後、彼は思い出したかのように手すりから手を放し動き始めた。しかし、どこか足元がおぼつかないのか小さくふらつき、杖でバランスを取る。
「おっとと……」
「あ、大丈夫ですか」
「うん、大丈夫……こっちに来てもらってもいい?」
彼が目線を向けたのは、小さな倉庫だった。かなり風化しているのか、外壁のコンクリートはところどころひび割れ、黒ずんでいる。立てつけられた鉄扉もどこかボロボロで、建付けが悪そうな印象を受ける。
その倉庫の扉はどうやら鍵は付いていないらしく、彼がそのドアノブに手をかけ、全身を後方に倒すようにドアを引いた。正直その勢いで後ろに転ばないか心配だったが、その心配をよそにバランスを崩すことなくそれは開く。
彼に続いて私も扉の奥へと入る。その先にあったのは、一つの長机といくつもおかれたパイプ椅子。机の上には本がいくつか重ねられていた。
私はそそくさと机の上に用紙の束を置き、本を手に取ってみる。そこには、「宇宙のヒミツ」などと謳われた本がいくつも並べられている。
「あの、ここは一体なんですか……?」
そう尋ねると、目の前の男子生徒はいたずら染みた笑顔を向ける。その表情まるで幼い子供を彷彿とさせる。
「ようこそ、天文部へ!」
「……天文部?」
そんな部活があっただろうか、と入学当初に部活紹介を受けた時の記憶を掘り出してみるがいまいち思い出せない。私が首をかしげていると、目の前の天文部員は困ったような笑顔を向けた。
「うん、部活紹介もしてないからね。知らないのも無理ないよ。部員も僕一人だけだし」
「へぇ、そうなんですね……」
改めて部室をぐるりと見回してみるが、確かに無理矢理倉庫を部室にしたような、煩雑な感じが立ち込めている。掃除も十分にされておらず、全体的に埃っぽい。
「……えっと、掃除ってしてるんですか、ここ……えーと、名前知らないですけど」
「あはは、僕もここに来たの久々なんだよね。あ、僕は鶴山 真水っていうんだよ、2年3組」
鶴山 真水と名乗ったその男子生徒はどこか気まずそうに私から目線を逸らす。多分その様子からして掃除はやっていないのだろうが、私に関係した問題ではない。
「そうですか……あ、私は秋城 紺といいます。よろしくお願いいたします」
そう言って小さくお辞儀をする。そして、頭を上げた先には、「秋城……さん?」と表情が固まっている鶴山先輩がいた。
「鶴山先輩?」
「えーっと、秋城さん」
「え、あ、はい」
「一ノ瀬 有紀って知ってる?僕の幼馴染なんだけど……」
まさか、目の前の彼の口から、その名前を聞くとは思いもしなかった。しかし、それと同時に脳内に電撃が走ったような感覚を覚える。
『ごめん、ゆきっち、真水先輩!ちょっと行くね!』
かつて逃げた私を追いかける時に、道音が叫んでいた名前。
『うん。その幼馴染って男の子なんだけどね、事故の影響で大怪我しちゃって歩けなくなっちゃったの』
かつて一ノ瀬先輩とショッピングに行った時に彼女が話していた言葉。
――そして、先週私が文芸部に向かう時に見かけた、一ノ瀬先輩と喋っていた杖を突いた男子生徒のことを。
「……はい、知っています」
彼女たちが話していた言葉の断片がパズルのように組み合わさっていく。
そのパズルの余ったピースは、目の前の男子生徒に繋がっていた。
[続く]