⑫虚構
九月十日。今日も今日とてしとしとと小雨が降り注ぐ。
私――秋城 紺は傘を閉じ、軽く水滴を振り落とす。それを傘立てに差している時、ぽんと私の肩を叩く人物がいた。船出 道音だ。
「おはよう、紺ちゃん!」
「……おはよう」
今日は、元気に返事をする気になれなかった。どうやらよほど暗い表情をしていたのだろうか。彼女は不安げな表情をつくる。
「……昨日、何かあった?」
「何も、無かったよ」
「一ノ瀬先輩も心配してたし」
「ごめん、今はあの人の話は聞きたくない」
私は吐き捨てるようにそう言い、道音の表情を見ることなく足早にその場を去った。「あ、ちょっと」と呼ぶ声がしたが、あえて聞こえないふりをした。
遠くから、「ゆきっちまたやらかしたかな……」とつぶやく彼女の声が最後に聞こえた気がした。
――――
それからは、まるで私だけ周りの環境と隔離されたような感覚に見舞われていた。道音もどこか私に気遣っているのか何も言わず、心配そうに遠巻きから見ているのに私は気づく。
どこかその視線さえも不快に感じ、私は足早に休憩時間になると教室を出るようになった。
私は玄関の傘立てから傘を取り出す。そして傘を開き、廊下に傘先から水滴が垂れないように外から回り込み、校舎裏に逃げ込むように向かう。
「……今日も雨、か」
誰にともなくぽつりと呟く。降りしきる雨は私の心模様に共感するように、雨音が強くなる。
私自身もこの雨の中に消えてしまいたいとさえ思っていた。こんな他人を信じられなくなった自分自身が憎い。
友坂先輩も、一ノ瀬先輩も、私が見ていたのはほんの一部分にすぎなかった。それに私が勝手に失望しているだけなのは分かっていた。
道音は誠実に私と向き合ってくれていたが、彼女も私の知らない一面を持っているのかもしれない。それを知りたいとも思うし、むしろ知りたくないとも思う。
ふと濡れたベンチに手を重ねる。雨に濡れた冷たい感触が伝わると同時に、どこか物寂しさを感じた。
空を見上げると、重苦しいような曇天が空を覆っていた。
雲さえどければ、快晴の空が見えるはずなのに。
――――
渡り廊下を歩いていると、一ノ瀬 有紀先輩が通りがかるのが見えた。彼女は教科書を胸に抱え、零さないように慎重に歩いている。
周りには、私と先輩の二人しかいなかった。
「……あ……」
「……」
彼女は目を見開いたまま、私の顔を見て固まる。そして、どこか気まずそうに視線を落とし、足早に私から逃げるように小走りで去っていこうとした。
日曜日に私の悩みに真摯に向き合ってくれた先輩の姿とは異なる彼女の姿に、どこか苛立ちを覚える。
「先輩も、逃げるんですか?」
「……」
呼び止めた声に彼女はその足を止め、私の方を振り返る。その瞳は潤み、不安そうな表情を浮かべている。
「私、君に合わせる顔なんてないよ……」
「……私だって、正直先輩のことが怖くなりました。一ノ瀬先輩みたいに皆本性を隠しているんじゃないか、って思ってしまうくらい……事実、そうなんでしょうけど」
胸中の吐露に彼女の瞳からさらに涙がこぼれる。唇は震え、怒りにも似た様子で眉がひそまっていくのを感じる。
「だったら、これ以上!今は関わるべきじゃないよ……!」
「そうやってまた、自分に嘘を重ねるんですか?」
「私は……」
「友坂先輩の本心も、一ノ瀬先輩の本心も、私はどちらも知りませんし、教えてくれないですよね……まあ、いいですけど」
「……」
黙りこくってしまった彼女を見て、どこか胸の奥が締め付けられるような感覚がした。それと同時に、諦観のような感情が沸き起こるのを抑えきれなかった。
「私ばかりが本心でぶつかって、馬鹿みたいです」
その言葉を紡ぐことで精一杯だった。
☆☆★☆
気づけば、放課後の時間を迎えていた。今日はほとんどクラスメイトと話すこともなく一日を終えた気がする。
ただこのまま家に帰ってもよいのだが、何となく黄昏れていたい気分だった。
誰もいないところで、一人きりになりたかった。けれど、まだ外は雨が降っており校舎裏で過ごす気にはなれない。
どこかいい場所はないものかと思った時、一つだけあることに私は気づいた。
私は、屋上へと続く階段の踊り場に腰掛ける。屋上は鍵がかかっているが、だからこそ私にとっては都合がよかった。誰も来ることのない空間で、ゆっくり時間を過ごせるからだ。
学校指定のカバンから文庫本を取り出し、ゆっくりと読み始めることにした。
本というか、創作物全般を私は好きだ。創作物に触れている間だけ、私の心は現実ではない遠いところに居られる気がするから。
こんな虚構だらけの現実にいるくらいならいっそ、全てが嘘で創られた創作の世界に身を移す方が私にとっては心地いい。
人を信じるという事が、今は分からなくなっている自分が居た。
[続く]