⑩摩擦
「さて、それじゃあ秋城さん、行こうか」
一ノ瀬 有紀は弁当(といっても、かなり量の少ないサラダだけだったが)を食べ終わり、私——秋城 紺に声を掛けた。
「あ、はい!行きましょう」
一足先に食堂の出口まで向かい始めた彼女の背中を私は小走りで追いかける。「行ってらしゃいー」と船出 道音が私達を見ながらちょっとだけ物寂しそうな表情をしつつ見送る。
「また後でねっ」
「待ってるー」
道音の方に振り向き、そう告げてから私は再び一ノ瀬先輩に付いていくのだった。
――――
会議室に到着すると、まだ私達しか着ていなかった。疑問に思って時計を見ると、実行委員の会議予定時刻よりも10分ほど先に着いていたようだ。
一ノ瀬先輩もそれに気づいたのか、「思ったよりも早かったね」と苦笑する。
彼女は手に持った弁当箱を机の上に置いたのを見てふと気にかかった私は声を掛けることにした。
「一ノ瀬先輩は弁当箱置いてこないんですか?まだ時間余裕ありますよ」
「いや、行ったり来たりするの面倒だから別にいいかな、って」
「あ、確かにそれもそうですね」
言われてみればそれもそうだった。今いる会議室と、一ノ瀬先輩が所属するクラスとはフロアが分かれており、階段を上り下りする必要がある。確かに時間に余裕があるとは言え、弁当箱の為だけにそれをする必要があるかと言われれば無い。
まだ会議も始まっておらず、暇だったので私は持ってきた議事録をまとめたノートを改めて見返す。
模擬店の話は大まかな方向性としては許可は下りており、あとは各自の模擬店の店舗作成の進捗を確認する程度だろう。保健所への書類提出は教員の役割であり、私達が介入する余地はない。
本日は9月9日。文化祭の開催日は10月21日であり話の進行速度で言えば順調であると思う。
ふと気づけば一ノ瀬先輩もノートをのぞき込んで一緒に見ていることに気づき、私はノートを彼女の方向へとずらす。すると、彼女は首を横に振った。
「あ、いいよいいよ気を遣わなくて、ありがとね」
「いえ、何か気になることありました?」
「ううん、ちょっと視界に入っただけ。結構順調に進んでるなあ、って思って」
「一ノ瀬先輩の采配が上手なんですよ、他の人じゃこうはいきません」
「そうかな?」一ノ瀬先輩は不思議そうに首を傾げる。
事実だと思うのだが、あまり無理に理解してもらうような話でもないか、と思った私は話題を切り替えることにした。
「あ、そう言えば先輩。昨日言った通り放課後にもう一度文芸部の方に行ってみます」
「うん」
その言葉を発した瞬間、一ノ瀬先輩の目が一瞬据わった気がして身震いした。ただそれもつかの間のことで、普段通りの穏やかな笑顔に戻る。
「あの、先輩?」
「ん?あー、何でもないよ……ちゃんと友坂君……だっけ、から言葉を聞けるといいね」
「はい……あ、足音聞こえてきましたね」
遠くから複数の足音が重なるのが聞こえ、私は廊下の方に目をやる。
「ほんとだね、じゃあそろそろ切り替えよう」
「ですね」
――――
「さて、本日も皆さま集まっていただきありがとうございます。前回は模擬店開催について、2年1組の生クリーム使用は控えてほしい、との旨について触れましたが、それ以降代替案は決まりましたか?」
「あ、はい。シナモンを掛ける案で行こうと思います」
「分かりました。また用紙を私……2年2組、一ノ瀬へと渡してくださいね」
「あ、この会議の後渡します」
「はい。お願いします……さて、模擬店の方なのですが、現状進められる話はまとまったと思いますので各自食材の準備をお願いいたします。また、模擬店で使用する食材の仕込みを家庭で行うことは市の方から禁じられております。その為、万が一仕込み等を行いたい場合は調理室を開放しますので予め伝達をお願いいたします」
「はーい」
「秋城さん、議事録追いついてる?」
「あ、はい。大丈夫です」
「ありがとう。……それでは、次に文化祭当日のプログラムについてのマニュアルを先生より頂きましたので、また皆さん目を通しておいてください。……はい、机の上に置いているそれです。次の会議は水曜日の予定ですので、それまでに確認をお願いいたします」
――――
「先輩,お疲れ様です」
実行委員会議が終わり、皆散り散りとなり二人しかいなくなった会議室で一ノ瀬先輩に声を掛けた。
「うん、お疲れさまー。私はちょっと片付けしてから出るよ。先戻ってていいよ」
「え、それじゃあ私も手伝いますよ」
彼女は会議室に配置された椅子の位置がずれているのが気になるらしく、その一つ一つの位置を直しにかかっていた。私が彼女の隣に立つと、困惑したような笑みをこぼす。
「あ、別にいいのに、私が気になって直してるだけだし」
「でも先輩一人にさせるのも悪いですし」
「そう言ってくれるのは嬉しいけどね……あー……わかった!じゃあ向こうの方からやってもらっていい?」
「分かりました!」
先輩が目で促した方向へと私は移動し、ズレた椅子が平行になるように位置調整を行う。椅子を引く時に地面を擦ったらしく、ぎぃ、と不快な音が鳴った。
「あんまり床を擦らないように、持ち上げて動かしてねー」
「ご、ごめんなさい!」
一ノ瀬先輩に指導されながらも、少しずつ椅子を直していく。その最中、先輩は私に声を掛けてきた。
「そういやさ、秋城さん」
「?どうしました?」
私は椅子を直しながら彼女の方を振り返る。その時椅子が再び地面を擦ってしまい、不快な音を立てた。
慌てて取り繕うように椅子を持ち上げるが、それをしたところで誤魔化せるものではないと気づき大人しく位置を直す。
彼女は私の一連の動作に苦笑しながら、言葉を続けた。
「いやね、今日放課後文芸部の方に行くって言ってたけど、友坂君に会ってどんな言葉が聞けたらいいと思うの?」
「そうですね……せめて、私が退部届を置いて行ってしまったことに対してどう思ったのか、知りたいです」
「……そっか。もし、だよ?思った答えが得られなかったらどうするの?」
「……」
その発想には至らなかった。友坂 悠先輩がそんな無責任な態度をとる人には見えないからだ。
だけど、私は友坂先輩のすべてを知っているわけではない。ただ、部活動が一緒で私に対して優しくしてくれた人。ひたむきに誠実で、私に対して色々と世話を焼いてくれたからこそ、何かしらの答えを得られるものだと思っていた。
……でも、事実先輩からメッセージは届いていない。私が退部届を出したことに対して、何かしらの言葉は欲しかった。
あの日、最後に聞いた「ごめん」の一言を最後に、私は先輩から何も聞いてはいない。その事実が、棘となる。そして更に一ノ瀬先輩の疑問の言葉がそれを私の心の奥深くへと抉りこむ。
私が見ていた先輩は、本当に先輩の全部だったのだろうか?
一ノ瀬先輩は、言葉に詰まらせた私を見てどこか思慮するような様子を見せていた。
☆★☆☆
そして、その時間は来てしまった。いや、ようやく来たという認識なのか。どっちが正しい表現なのか、相反する二つの想いを持った私には分からなかったが、ついに放課後を迎えた。
教師によるホームルームを終え、道音は私の元へとやってきた。
「紺ちゃん、今日一緒に帰らないー?」
そう言えば道音には今日、友坂先輩の所に顔を出しに行くって言ってなかったなあ。とふと思い出した。せっかく相談に乗ってくれた彼女に、その事を言わないのはどこか不誠実だな、と思った。
「ごめん、今日はもう一回文芸部に行ってみようと思うんだ」
「……大丈夫?」その言葉を聞いた道音の表情が心配のそれに移行する。
私はこくりと頷いた。
「うん、一ノ瀬先輩にいっぱい相談に乗ってもらった。面と向かって話さないと分からないこともあるもんね」
「そうだね、うん。分かった。もしまた辛いことがあったら相談に乗るし」
「ありがと!」
そうして、私は教室を後にした。
廊下を抜け、やがて食堂へとたどり着く。
そこで私は見知った人影を見かけた。一ノ瀬先輩だ。
だが、彼女は私が通りがかっていることに気づかないようで、一人の男子生徒と談笑していた。杖を持った状態で椅子に腰かけている、どこか気の抜けた雰囲気の男子だ。
実行委員の会議の後に彼女と話をした為、別にわざわざもう一度報告する必要はないだろうと思い、私は二人の前を無言で通り過ぎることにした。
――――
「有紀」
「ん、どうした?」
「君がさっき言ってた女の子、さっき通り過ぎたみたいだよ」
「え、ほんと?気づかなかったな」
「気になるんでしょ、行ってきなよ」
「まあね、こっそり後をつけてみるよ」
「……その場の勢いで突っ走る真似は止めてよね?」
「……善処はするよ」
[続く]