①狐の嫁入り
処女作「雨雲の涙」の続編にあたる作品です。
読まなくても、ストーリーが理解できないという事がないように作成していきます。
気が向いた時に読んでいただければ幸いです。
ペルソナという言葉がある。英語で人を意味する「person」の語源と言われているものだ。
人にはそれぞれの人格を持つ。しかし、自分を客観的に評価して説明する自己像と、自分の心のうちに存在する人格は必ずしも同一ではないらしい。
ということは、私も知らず知らずのうちに自分が「こうだと評価されたい自分」に化けて偽っているということではないのだろうか。
また、言葉には、呪いが宿るとも思っている。
一度口に出して届いた言葉によって、誰かの行動や思考が縛られる可能性があるからだ。それは周りの人かもしれないし、私自身かもしれない。
――
「迷ってそうだったけど大丈夫かな?よかったら案内するよ」
あの日、友坂 悠先輩は、私に恋という呪いをかけた。
周りの友達はみんな違う高校に進学して、誰も頼れる人がおらず初めて通う学校で迷子になった。そんな時に手を差し伸べてくれたのが彼だった。
ちょっと口下手だけど、困っている人を見捨てず寄り添う姿勢を見せる先輩のことをいつしか私は好きになっていた。
だけど、そんな先輩には幼馴染の女の子がいた。
ある日のことだ。
「先輩、文芸部まで一緒に行きましょう」
「ん?うん、いいよ」
私はいつものように文芸部に誘って部室へと向かっている時、私はその人と出会った。
「友坂君」と呼ばれて、先輩は声のする方へと振り返る。
そこには、黒髪をおさげにした大人しい雰囲気をした女性が、おずおずといった様子で先輩の方を見ていた。
まるで、私のことなど眼中にも入っていない様子だ。
「……今日は時間ある?」
「ごめん、これから部活あるから……」と先輩は申し訳なさそうに答える。目前の女の子よりも私のことを優先する姿にどこか嬉しさを覚えた。
「……ねえ、部活って何時くらいに終わりそう?」彼女は食い下がらず、更に問い詰めた。
先輩が返事に窮するのを見た私は、どこか自分がヒーローにでもなった気分で先輩の前に立ち塞がった。
「友坂先輩が困ってるじゃないですか。止めてください」と彼女を睨んだ。それが先輩の為になるんだと信じていた。
少女は「……っ」と小さく息を吞んだのち、踵を返して小走りに去っていった。
それを確認してから、どこか勝ち誇ったような感覚を覚えた私は先輩の方を見た。
「先輩、行きましょう……ぁ」
彼の表情を見た私は気づいてしまった。気づきたくなかった。
先輩は彼女の後ろ姿を心配そうに眺めていた。その姿を見た時、どこか私は後悔の念を感じていた。
自分の行動は間違っていたんじゃないのか。
心のどこかで、そう思う私がいた。
文芸部の部室は、経年劣化によるものかコンクリートの壁は風化し、ところどころにヒビが走っている。床のタイルはところどころが剥がれ、無機質な石材を露出させていた。
いつもの私は歴史を感じさせる部室にもはや愛着に似たものを感じていたのだが、今日はそんな気分にはなれなかった。
理由は分かっている。先ほどの先輩と彼女との一件だ。
自分の行動が正しかったのか、それとも間違っていたのか、確かめないわけにはいかなかった。
「……さっきの人、友坂先輩の知り合いですか?」
「……ただのクラスメイト、だよ」
「へー……」
そんなはずはない、そう直感的に私は思った。その言葉にはどこか躊躇のようなものが秘められていたからだ。
「あの人とは、何か接点があるんですか?」
私の問いかけに彼の目線が逡巡するように泳ぎ始めた。答えに窮している、という様子だ。どこか落ち着かない様子で、回答を誤魔化すかのように彼は机の上に教科書とペンを広げ始めていた。
自分が置いた、その教科書とペンを眺めながら彼はぽつりと答える。
「……勉強を教えたりしてるよ」
「本当に、それだけですか?」私は逃がすまいと更に問い詰める。
「ただの友達だよ」彼はまるで怒りをぶつけるかのように、強く言い切った。
「……」
「さあ、今日も活動を始めようか」
まるで取り付く島もない、と言わんばかりの様子に私はそれ以上問い詰めることができなかった。
仕方なく、私も持ってきた文庫本を開く。自分が感じている感情を他人が理解できない苦しみを抱えながら逆境と戦う主人公の姿が描かれていた。
そして、私と彼だけの二人きりの静寂の時間が流れ始めた。
夏休み前までは三年生の先輩達も居て、とても賑やかな空間だった。
しかし先輩達は皆夏休み明けに受験に専念する必要があり、部活を引退せざるを得なかった。そして、残ったのが私達二人だけ。
先輩はいつでも他の部活に移ってもいい、と退部届の用紙を手渡して言ってくれたけど私は断った。
だって、先輩と二人きりになれるから。
けれど、永遠なんてものはない。
そのことは先輩が幼馴染の彼女を見た時の表情から、どこか分かっていた。私がずっと、彼の隣に立つ資格が無いことも。
今は私の胸中には毛玉のようなモヤが消えずにわだかまりとして、そこに残る。これを吐き出すには、私は覚悟を決めなければいけないことに気が付いていた。
その結果、この関係が崩れ去るとしても。
「ねえ、先輩」
そういいながら私は座っていた椅子から立ち上がる。そして先輩の座る机の前に立ち手を乗せて体重をかける。古ぼけた長机が軋む音がした。
「……どうしたの?」いきなり呼びかけられた友坂先輩は不思議そうに私を見た。
この言葉を言ってしまえば、もう後戻りはできないことは分かっていた。唇は震え、視界は涙に潤む。
この言葉は、きっと私と先輩に、呪いを刻む。
「私は、先輩が好きです。だからこそ、この時間が安心できて、そして不安なんです」
彼の表情が固まる。引きつったような表情で、私の目を見つめている。
もう言葉という呪いを解き放ってしまった。ならば、最後まで私は吐き出さないわけにはいかなかった。
「何か思っていることがあるなら言葉にしてください……!あの人は本当にただの友達ですか……?」紡ぐ言葉の語尾は私の涙声に掠れ、濁りを生み出していた。
私の告白に先輩は答えを示さない。きゅっと口を紡ぎ俯く。
その時、突如として雨音が窓を叩く音が聞こえた。先ほどまでは快晴だったはずなのだが……狐の嫁入り、というものだろうか。
外からは学生の慌てるような声が遠くから聞こえていた。
先輩も外の様子が気になるようでちらりと窓の外の景色を見やる。すると、突如として弾かれたように彼は椅子から立ち上がる。
「ごめん!」
そう言って部室に置いていた置き傘を持って、行ってしまった。
部室に残されたのは私一人だけ。
私の告白への返事もすることもなく、走り去った先輩を追うように廊下を覗き込む。
しかし、既に先輩の姿は無いことに気づいた私の口から思わず、言葉が漏れた。
「……先輩のバカ」
その言葉は、誰の耳に届くこともなく空気に溶けて消えた。
結局どうすることもできなかった私は、遠巻きに窓から外の景色を見ていた。
雨の中先ほどの先輩の幼馴染の女性が空を眺めて立ち尽くしていた。そこに慌てた様子で駆けよる傘を持った先輩。大きく肩が上下し息が荒くなっているのが遠巻きにも分かった。
一息ついた後に何やら、二人はお互いの目を見て話をしているのが分かる。
そして、一通り会話をした後友坂先輩は傘を開く。一緒に一つの傘の中に入り、お互いに微笑む二人。
その姿を見て、二人の告白が成立したことを悟る。それと共に、私の失恋が確定したことも暗に示していた。
内に秘めた感情を押し殺し、笑顔をつくる。
「そっか、良かったですね……友坂先輩」
涙はとめどなく溢れる。必死に笑って誤魔化そうとして、誤魔化しきれない涙は私の頬を濡らしていく。
笑顔を作っても消えない涙は、まるで狐の嫁入りを彷彿とさせていた。
退部届 1年×組 秋城 紺
私は先輩からもらった退部届を使って、誰もいない部室の机の上に置いて部室を後にした。
こんなことで使いたくなんてなかった。
[続く]