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「嫌い」だと言ったじゃないですか

作者: もよん

「え? 婚約? 申込みじゃなくて決定?」


 そう両親から言われたのは、王太子の婚約者候補から解放されて、日も浅い、ある日のことだった。


 元々、候補者は私も含め5人いた。

 婚約者に決まったご令嬢について、それぞれ内心で思うことはあるかもしれない。

 私も両親の期待に応えられなかったことに関しては、少し負い目を感じていた。

 けれど、王太子と気持ちを通わせ合っていたのは、婚約者に正式に決まった彼女だと私は感じていたから、個人的にはこの結果に満足している。

 10代前半であれば緊張も合わさって、王太子に恋をしていると思うこともあったが。17歳の今、憧れや尊敬はあっても、恋ではないと分かっているから、落ち込んではいなかった。それに王太子の婚約者候補だったのだ。マナー、教養、王太子妃教育も、全てでないが学んだ。箔が付いて、これからどんどんと縁談が申し込まれる。

 そういう流れになるはずだった。



「お相手はネバーシュ様だ。良い方に見初められたな」


 父と母の誇らしげな顔。対照的に私は顔が強張った。

 ネバーシュ様は21歳。若くして王宮の中枢で、文官として勤めている。ゆくゆくは宰相だろうと、周囲の評判も高い。


 長く癖のない、ゆったりと1つに結ばれた髪。髪と瞳は青みがかった銀色。その色味と、表情が余り表に出ないことが合わさって、氷のようだと言われている。冷たい表情と、誰であろうと冷静に接する彼のそこが良いと、女性たちから人気もある。


 彼が冷たいのは知っている。だが、無表情という訳ではないのも知っている。

 会えば常にその顔には、私に対する嫌悪感がありありと浮かんでいたからだ。


 候補者たちは、王太子にお会いする日以外は、それぞれ決まった日に城を訪れ、講義を受けていた。そして、候補者の世話役がネバーシュ様だった。

 今後の勉学の予定や、部屋へ移動する際の案内などは彼が行っていた。



『ミュリエット嬢。………今日のお召し物は見ていられませんね。濃い紫………。いくら王太子の色だとしても、目が痛くなってしまう。王妃にはセンスも必要だというのを、ご存知でないようで』


『先生からお聞きしました。貴女は他言語が苦手らしい。きちんと勉強されているのですか? それともそれが限界ということでしょうか?』


『今日は2度、ステップを間違えられていましたね。誤魔化していらっしゃいましたが、分かるものです。本番であれば恥ですよ』


 どれも、耳が痛い指摘だった。これだけであれば、厳しい人と言う印象で済んだかもしれない。



 その日、初めて習う言語に躓き、先生からも才能がないとはっきりと告げられた。

 飲み込みが早い方ではない。何度も重ねて、自分のものにするタイプだ。要領が悪いのは自覚していたけれど、落ち込んだ。帰る頃には、視界が涙で滲むほど。


『今日は酷かったそうですね。先生が嘆いてらっしゃいましたよ。それに、そうすぐ分かりやすく顔に出すのも、王妃になる人間としては相応しくありませんね』


『ネバーシュ様………。それはいま私に、言わなければならないお言葉でしょうか』


 いつもであれば、大人しく聞き、謝罪と今後も励むと、述べるだけだった。

 けれどその日は受け流せなかった。私は立ち止まり、視線は下へと下がってしまう。

 彼も立ち止まり、一瞬息を呑む音が聞こえた。


『えぇ、ご指摘するのも私の仕事ですから。言い方が厳しかったでしょうか?』


『………はい』


『申し訳ありません。事実を述べたつもりでした。………

どうも私はミュリエット嬢と合わないらしい』


『えっ?』


 思わず顔を上げると、ネバーシュ様に距離を詰められていた。


『はっきりお伝えします。私は貴女が嫌いなのです』


 耳元で互いにしか聞こえない声量で、そう言われた。彼がどんな顔でそう言ったのか………。顔が見えなくて良かった。見えてしまっていたら、怖くて更に泣き出していたかもしれない。


 呆然とする私に、彼は何事もなかったようにまた背を向け歩き出し、帰りを促した。


 そんなネバーシュ様と私が婚約。


 嫌な想像しか浮かばない。


 この婚約は、彼の方から持ち掛けられたもの。

 私をどうしたいのだろう。これから彼に痛めつけられ、彼に服従するような結婚生活を送ることになるのか。


 嫌いな相手を結婚相手として選ぶ理由って………?

 嫌い………なのに結婚。


 考えて、一つ可能性が浮かんだ。

 嫌いを通り越して、恨まれているのかもしれない。恨まれる理由は分からないが、ものすごい嫌われようだったのだ。

 恨まれていてもおかしくないほど。



❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖


 ネバーシュ様のご実家である本宅へ両親と伺う日。私の気はとても重かった。



「こんなめでたい日に、そんな顔でどういうつもり?」


 両親の言葉に、緊張で申し訳ないと返すのがやっとだった。


 ネバーシュ様と彼のご両親が揃って出迎えてくれた。彼はほんの少しだけだが、笑っていた。その表情は初めて見たもので、私の困惑を加速させた。


 両親を交えたお茶会は、想像以上に和やかに進んだ。私の内心は修羅場だったが………。とにかく、ネバーシュ様が私のことを褒めまくるのだ。婚約が決まったことを、嬉しく思うと言いながら。彼の両親も私の両親も、微笑ましく彼を見ていた。この顔合わせの主役は、間違いなくネバーシュ様だった。


 そして、彼と庭へと送り出されてしまった。

 いつもの癖で、彼の後ろについた。


「ミュリエット嬢………。いえ、ミュリエット。さぁ、お手をどうぞ」


 彼の腕が差し出される。


「いえ、そんな………」


 傍から見たら、私が恥ずかしがっているだけに見えただろう。私が断ろうとした時、彼から圧のようなものを感じ、逃げられないと悟った。震えながら彼の腕を取り、庭をエスコートされた。


 庭の四阿に置かれた椅子へ、座るよう促された。彼は私の対面に座る。彼からの視線を感じ、思わずテーブルへと視線を落とした。


「ミュリエット。申し訳ありません。そのままで結構ですから、しばらく話を聞いてもらいたいのです」


 普段の突き放すような声色とは違う。先程の穏やかな声色とも違う。その声は緊張をはらんでいた。彼の緊張が空気を通して、こちらにも伝わってくるほど。

 

「私は貴女に酷いことをし、貴女を傷つけました。そんな私と婚約をさせ、不快にさせてしまったと思います。今までのことも、婚約も。私の勝手で本当に申し訳ありません」


 彼から謝罪をされると思っていなかった私は、反射的に瞳をあげていた。

 彼は頭を下げていたのだ。



「ネバーシュ様………どうして………」


 問いかけと言うよりも、心の声が漏れたというのが近かった。


「………私が貴女を一方的に愛していたから」


 消え入りそうな声だったが、確かにそう聞こえた。彼はゆっくりと顔を上げた。

 彼の顔をきちんと見たのは、いつぶりか分からない。けれど、そらすという選択肢が浮かばないほど、私の体と瞳は硬直したようになっていた。


「私が12歳の時。貴女に会いました。私の名前は偽りでしたし、貴女は覚えていないかもしれません。父の命で貴女と2人、お茶会をし、それを報告するように言われました」


 確かに8歳頃から、お茶会が増え、いろんな相手と交流が始まった。そのせいだろうか、私はネバーシュ様を思い出せなかった。

 


「2度、私達はお茶会をしています。初めてのお茶会から、貴女は私に色々話してくれた。情けないことに、私は話すことに慣れていなくて。貴女が場を和やかにしてくれた」


 その時を思い出したのか、ネバーシュ様の顔が和らいだ気がした。


「私が疲れさせてしまったせいでしょう。お茶会の終盤で、君の手がカップに当たり、お茶が溢れてしまった。良くあることだと、私は気に留めませんでした」


 そう言われた瞬間、お茶が溢れた絵が私の頭にふと蘇った。


「2度目のお茶会。ミュリエットはお茶会のマナーが、完璧になっていました。たった数ヶ月で大人のように。尊敬しました。それで、ミュリエットのことが更に好ましくなりました。

 だから父に、ミュリエットは素晴らしいと2度とも報告したんです。私の婚約者になるのだと思って、浮かれて。けれど………。しばらく経って、父に言われたのは、お陰で、王太子の婚約者候補が揃ったと言う言葉でした」


 ネバーシュ様の表情が、苦々しいものに変わった。


 お茶を溢してしまい、恥ずかしいやら、悲しいやらで、以降気をつけるようになったことは思い出した。それ以外はさっぱりだ。

 何より自身を王太子の婚約者候補として見定めたのがネバーシュ様だったと知って、ただただ驚いた。


「令嬢にとって、王妃に選ばれるのはとても名誉なこと。努力もできる。思いやりもあり、気遣いも出来る。何より可愛らしい。ミュリエットが選ばれて当然………。だから諦めようと決めました」


 大丈夫だろうか。本当にそれは私だろうか。だとしたら、随分とネバーシュ様に過大評価されすぎてしまっている。


「それからは、ミュリエットも知っている通り。私は王宮で働き始め、世話役を任せられるようになりました。仕事なのだから割り切れると思っていたんです。けれど、貴女から挨拶の笑みを向けられただけで………。私は勘違いしてしまいそうになっていました。それで、貴女と距離を取らなければと思う内、無礼で失礼な態度に………。至らない人間で、本当にお恥ずかしいです」


「………妃候補教育の初めの頃であればいざ知らず。ここ数年で王太子妃は彼女に決まったようなものでしたのに」


「そんなことはない! 最後まで貴女の可能性は高かった! いえ、正確に言うと最後まで誰に決まってもおかしく無かったと思います………。だから今でも、婚約者が変わる可能性は十分あるんです。それで事を急ぎました………。私はこの機会を逃す訳にはいなかった。諦めようとしてもう9年。まだ貴女への気持ちを捨てられない」


 私は彼女で決まりだと思っていたのだが。他者から見れば違ったようだ。


 そして随分と長く、ネバーシュ様から想われていたようだ。しかも熱烈に。夢にも思っていなかった。恋愛ごとに慣れていないせいだろうか。今とても逃げ出したい。ほんの数刻前までは、彼が畏怖の対象故にだったが、今は自身に向けられるその熱量の高さ故だ。


「ミュリエット………」


 箍が外れたような、熱い瞳でこちらを見つめてくる。無表情な彼の面影はない。いるのは熱に浮かされた顔をした彼だけ。瞳も声も蕩けてしまっている。

 ただ、名前を呼ばれただけにも関わらず、その背景には私に対する様々な想いが入り乱れている気がした。愛おしいなんて可愛らしいものでは済まされない。こちらが苦しくなるくらいの、9年分の愛してるをぶつけられ、雁字搦めにされている気分だ。



「愛していました、とても。この9年ずっと………。もう私………、我慢できるほど、物分りが良くないんです」


 ネバーシュ様の瞳から涙が一筋落ちた。気持ちが昂っているとは思ったが、まさか泣かれると思わず、私は唖然とした。

 ネバーシュ様の瞳から涙が次々と溢れてくる。


「酷い態度をとって、勝手に貴女を私の婚約者にしてしまって。本当に申し訳ありません。私にできることは何でもします! 貴女の願いなら、私が叶えます! 私を使ってください! だから………、お願いします。私を貴女の夫にしてください」



 私を『嫌い』だと言ったのは貴方の方じゃないかと詰る言葉は、泣きむ………、涙脆そうな彼を前にしてとうとう出なかった。


 



❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖



 けれど、嫌いだと言われ、冷たくされてきた相手だ。苦手意識はそうすぐに消えない。


 会うたび、熱に浮かされたような顔でこちらを見つめられても。異様なほど気を使われ、優しくされても。


 私はネバーシュ様に対して、ぎこちなさが拭えなかった。


 ある日、たまたま侍女数人と、街に買い物に出かけた日。

 ちょうど、建物から出てきたネバーシュ様を見かけた。


 あちらは部下や仕事仲間と一緒のようで、建物の前で会話を始めていた。


 仕事中なのだから、邪魔しないほうが良いだろうと、移動しようとした時。

 ネバーシュ様の視線がふいっと、こちらに向けられ、目が合ってしまった


 私をみとめたその瞬間。ネバーシュ様の顔や雰囲気が、一瞬の驚きののち、花が咲くよう明るく綻んだ。

 ネバーシュ様には申し訳ないが、例えるならまさに恋する乙女のような顔であった。


 侍女たちから思わずといったように、黄色い声が漏れる。

 

 ネバーシュ様は、周りに何かを伝えると、足早にこちらに来た。


「ミュリエット!! こんにちは。こんなところで偶然会えるなんて! とても嬉しいです」


「こんにちは。ネバーシュ様。えぇ、偶然ですね。ネバーシュ様は、お仕事ですよね? お邪魔になりますから、もう私はこれで」



「えっ………、あっ………。そう………そうですね。つい………、ミュリエットと偶然会えたことが、嬉しくて。すみません。私舞い上がってしまって………。」


 ネバーシュ様が先程の嬉しそうな顔から、元気がなくなっていく。

 その顔を見て、つい、言うつもりもなかった言葉が漏れた。


「………私も偶然ネバーシュ様に会えて、嬉しかったですよ」


「えっ?」


「また、次のお約束の日に」


 いつもより早口でそう伝えると、私は早足にその場を離れた。 

 

「お嬢様。とても婚約者様に愛されておりますね!」

「好きな方を見つけた瞬間って、あんなに表情って変わるものなのですね」

「恋をしていると、一目で分かるあの顔! もう、私達までドキドキしてしまいました!」


 侍女たちの熱は収まらず、しばらく興奮気味に、話に花を咲かせていた。


 興奮していたのは私の心もだった。


 仕事をしていた真面目な顔から、私を見つけた瞬間。

 彼の顔は一瞬にして変わった。


 最近は、その顔が当たり前になっていたから忘れていた。


 ネバーシュ様のあの顔は、常のものとは違う。

 自分に向けられた特別なもの。


 こちらしか、目に入ってないようなあの顔。

 ネバーシュ様が私に恋をしている顔。



 そう理解した瞬間。

 私の心臓は、けたたましくなった。


 彼は私に恋をしている。


 言葉で、態度で。婚約してからネバーシュ様は、伝えてくれていたのに。


 私はこの日、ようやくそれが本当だと受け入れることが出来た。


 私は単純なのかもしれないと思いつつ。


 この日から、ネバーシュ様との距離が縮み始めた気がした。





ー完ー

(おまけ小話1『ミュリエットからネバーシュに、嫌いと言ってみた』)


「私ネバーシュ様のこと、きら」


「あっ!! いやっ! それはっ! その言葉を言われるとっ………。いえ、すみません。取り乱してしまって。存分に言ってください」


「きら…」


「ゔっ!!」


「きら……」


「あ゛っ!!」


「ネバーシュ様………」


「すみませんっ! すみません! 声が勝手に漏れてしまって、すみませんっ………。ミュリエットのことが、好きで、好き過ぎて………。自分でも可笑しいと思ってるんですが、貴女に嫌いだと言われるのを想像しただけで私………」


「うーん………。綺麗な人が必死で涙をこらえても、可愛くなるだけですね………。ネバーシュ様、どこまでもズルすぎる………」


 結局ネバーシュに、絆されることになるミュリエット。





(おまけ小話2『幼いネバーシュ』)


 ネバーシュは幼い時、太っていた。他の子に笑いものにされるほど。話すのも苦手で、極力同年代の子の集まりは避けていた。


 そんなある日、父の頼みで断れず、お茶会をした。


 そこで、ミュリエットに出会ったのだ。


 ネバーシュの見た目など目に入っていないように、ただ、楽しいお茶会にしようと話しかけてくれる、年下の女の子。


 情けない、恥ずかしい、気遣いが嬉しい、優しい。


 拒絶せず、自分のことを見てくれるミュリエットが愛しい。


 もっと好かれたい。もっとミュリエットの好ましい人になりたい。


 ミュリエットが王太子の婚約者候補になり、何度も自分に諦めろと言い聞かせたが。結局その気持は変わらなかった。


 そして9年もこじらせた重い気持ちを抱えたわけだが、それが現在でもネバーシュの標準体型維持に繋がっていたりする。


 振り向いて欲しい。ミュリエットのように自分も頑張る人間になるから。王太子よりも魅力的になるから。

 ミュリエットに選ばれたい。ミュリエットと気持ちを通わせたい。

 自分以外の男の為に励まないで。優しく微笑まないで。嘘。王妃になって、手の届かないところで幸せになって………。


 世話役の期間、ネバーシュは毎夜のように魘されていた。


 2人が結婚した後、ネバーシュの幼い頃の姿絵がミュリエットに見つかり。

 半泣きになりながら必死に隠すネバーシュと、また知らなかったネバーシュの一面に驚かされたミュリエットがいた。



ーおまけ完ー

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