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0000「教授と命」

 わたしは生まれた時から、前世の“感情”を引き継いでいた。記憶ではなく、ただの感情だけである。記憶がないので理由は分からないが、わたしは常に大きな悲しみと愛しさに苦しみ、そしてひたすら“特定の誰か”を探していた。


 記憶もない中、前世での誰かを今生で探すなど、なんとも途方の無いことである。しかしそれは最早本能に近く、わたしは時間の許す限りそのたった一人を探し続けた。


 顔も分からない。声も分からない。よく言うように“出会えばビビッとくる”かどうかも、自信がない。ただ諦めるという選択肢は一度も浮かばなかった。


 前世で関係のあった人ならば、過去に何らかのヒントがあるのではないか。そう考えたわたしは、世界各国のあらゆる歴史を学んだ。かつて人々がまだ地上と地底に住み分け争っていた大昔から、妖怪の蔓延っていた時代、戦乱の世、そして全世界が平和条約を結び戦争の無くなった現代に至るまで、一つも見逃さないように全てを学んだ。取り憑かれたように学び続けたわたしは、気付けば大学の教授となっており、博士号まで手にしていた。歴史学の第一人者として、世界中に名を知られるまでになっていた。


 だが、それでも君はわたしを尋ねてこない。わたしは君を見つけられないまま、今、人生の幕を閉じようとしているところだった。平均寿命を優に超えてはいるが、大往生とは言えない。わたしは成すべきことを成していないのだから。


(本当に……君はどこに居るのだろうか?)

 世界中を回った気でいたが、どこかに見逃しがあったかもしれない。それとも、既にどこかですれ違っていて、わたしが気付けなかっただけかもしれない。


(ひいらぎ)博士!」

 病室の扉が開き、助手のタカシが飛び込んできた。わたしの危篤を聞きつけてきたのだろう。わたしは酸素マスクの中で、なんとか彼に笑みを浮かべた……つもりだったが、顔の筋肉が機能しているかはもうよく分からなかった。


「博士、博士」とタカシが悲痛な声でわたしを呼んでいる。ああ、彼はとても良い助手だった。明るく真面目でよく働き、わたしの当ての無い人探しを笑わずにいてくれた。伴侶も子もないわたしは密かに、孫ほど年の離れた彼を、実の息子のように思っていた。タカシもまた、わたしを父の様に思ってくれていただろう。


(タカシ、ありがとう。どうか幸せに)

 彼のような人が居たから、わたしの人生も中々悪くないものだったと、穏やかな気持ちで最期を迎えられるのだ。


 もう苦しみは無かった。ただ眠いようなそんな感覚で、全てを投げ出したかった。しかし何故か、失いかけていた聴覚がいきなり蘇る。耳元で赤ん坊の大きな泣き声が聞こえて、わたしは驚き目を開けた。視界に映るのは、恰幅の良い女性に抱かれた、まだ猿のような赤ん坊。


「博士!ようやく、ようやく妻に子供ができたんです!俺の娘です!見てやってください!」

 彼の妻がわたしに歩み寄ると、その腕の中に居る赤ん坊の顔がはっきり見える。今度は視覚も戻ったようだと思ったが、赤ん坊以外はまだぼやけていた。姿も声も、赤ん坊だけが鮮明なのだ。

 赤ん坊はわたしと目が合うと、途端に泣き止みキャッキャッと楽しそうに笑う。赤ん坊の反応に、もうよく見えはしないタカシ達が驚いているように感じた。


(ああ……神とは何と残酷なのだ)


 君が、まだ生まれていなかったなんて。

 そして、わたしの今際の際になって会わせてくれるなんて。


 目から熱いものが零れ落ちる。わたしは赤ん坊の楽しそうな笑い声を聞きながら、意識を奈落の底へと手放していった。



 ――ああ、もしも次があるのならば、わたしは君と同じ時間に生きたい。それさえ叶えば、他にはもう何もいらないから。どうか。

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