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00「月白姫と人喰い妖怪(後編)」

 ある月の無い晩、城に火が放たれた。燃え盛る城内にはアヤカシの不気味な笑い声が満ち、それは外の街にまで響き渡り、人々は恐怖に囚われる。その混乱に乗じるようにして、二つの影が城の屋根から空に舞った。


「曲者!曲者だ!殿の首を撥ね、姫君を攫う曲者を、誰か捕えよ!」

 主を失った家臣が叫びを上げた。兵士達は曲者を追おうとするが、人間離れしたその動きに誰も付いていけない。全身を黒い布で覆ったその影は、片方の腕で少女を抱え、もう片方で撥ねた首を振り回しながら、屋根から屋根を風の様に駆けていく。


「ちょ、ちょっと!そんなもの捨てなさいよ!」

「そんなものとはなんと非情な。君の父君だろう?」

 手に持つそれを月白に近付けると、彼女は逃げるように夜顔の胸元に顔を埋めた。夜顔は楽しそうにくつくつ笑う。月白は、そんな夜顔に深く溜息を吐いた。


「やっぱり、あなたの考えは私には理解できないわ。正直今でも時々、悍ましいと思うもの」

「それでは、何故わたしの誘いを受けたんだい?」

「時々以外は、悍ましく思わなくなったからだわ」

 月白は顔を埋めたまま、密かに笑みを浮かべた。……夜顔が、自分のことを暇つぶしの道具にしか思っていなくとも構わない。共に生きてみたいと思ってしまった。この残酷で惨いアヤカシが時々見せる優しさに、月白は絆されてしまったのである。


「ねえ。これからは朝も昼も、ずっと私と居てくれる?」

「……わたしが、飽きなければね」

「ふふ、じゃあ大丈夫ね。わたし、あなたに飽きられないようにするもの。毎日怒ってあげるし、悲しんであげるし、怖がってあげるわ」

「最近は君のそんな様子にも飽きてきたのか、あまり面白いと感じないんだ」

「あらそう。じゃあ、新しい面白いことを見つけましょう」

「新しい面白いこと?」

「そうね。じゃあ今日は、私の秘密を教えてあげる。人の秘密を暴くの、好きでしょう?」

 風が凪いだ。人々の悲鳴が遠のいて、世界には二人ぼっちのような、そんな錯覚に陥る。


「私ね、夜顔、あなたのことが――」


 その時、一本の矢が黒い影を捕えた。白く眩い光を放つその矢は、邪を祓う浄化の力を帯びている。夜顔が放たれた一閃に気付いたとき、既に鏃はその肩に深く突き刺さっていた。身体を焼くような痛烈な痛みに呻き、アヤカシは重力を思い出す。地上から人々の歓声が沸いたが、夜顔には月白の悲鳴しか聞こえていなかった。


 夜顔は必死に腕の中の少女を抱きしめ、屋根を転げ、道の真ん中へと落ちる。人々の前には少女を抱える黒い塊と、畏怖の対象であった男の生首が転がった。それを見て、屈強そうな男までもが腰を抜かし情けない声を漏らす。


「この方が、攫われた姫君で間違いないですか?」

 矢を放った旅の“退治屋”が、淡々と兵士に問う。黒い布に包まれた何かと、それに抱かれている白く細い少女。落ちた時の衝撃で気を失ったのだろうその少女は、姫というにはあまりに貧相な姿をしていた。


「ああ!そして姿を隠している方が曲者だ!その黒い布の下に、殿を殺め、城に火を放った化け物が居る!」

 殺せ!殺せ!殺せ!街の人々は口々にそう言った。退治屋は、喚きたてるその声に煩わしそうに眉を顰めると、止めをさすべく黒い影に歩み寄った。その時、影が意識を取り戻したのか身動きする。黒い布がぱさりと地面に落ちた。


 退治屋の男は息を呑んだ。そこに現れたのは醜い化け物などではなく、まだあどけなさの残る少女の顔だったのである。夜顔は左肩の痛みに顔を歪ませながら、月白を背後に匿うように起き上がった。


「……人間め、わたしを見たな!身の程知らずめ!殺してやる!」

 露わになった少女の姿は、誰もの予想を裏切るものだった。布の下から現れたのは、透き通るような肌、輝く髪、煌めく瞳。化け物というよりは空から落ちてきた天女であった。退治屋はかつて見たことの無い美しいアヤカシに、攻撃を躊躇してしまう。


 しかし兵士や街の人々は、恐れていた化け物が華奢な娘だと知るや否や、鎌や鋤を手に彼女ににじり寄った。嬲り殺してやろう、そうしよう、とあちこちから嗜虐性を含んだ声が上がる。人々は彼女の姿に完全に油断しきっていた。――その瞬間だった。一番先頭に立っていた男の首が、飛沫を上げて宙を舞う。少女の手には武器一つ無く、あるのは血濡れたその手だけだった。研いだ刃のような鋭い爪。少女の背後では、蛇の尾がうねりを上げる。


 化け物だ、と誰かが言った。恐怖に狂った人々は一斉に少女に襲いかかる。夜顔は飛んできた虫を払うように、造作もなく人を殺めていった。しかし、一掃して再びここから飛び立つことが出来るかといえば、難しい。退治屋の放った矢は、アヤカシの肉を溶かす聖なる力を宿しており、今の夜顔には片腕しか残っていないのだ。


 退治屋は、目の前に積み重なる人々の屍を見て、躊躇いながらも弓を構える。狂ったように一人の少女に襲いかかる男達と、冷ややかな目でそれらを殺めていく可憐な少女。どちらがどうであるかなど、関係は無いのだ。自分が人間である以上、生まれた時から敵と味方は決められている。


「退け」という退治屋の声に、人々は彼の軌道線上から離れた。まっすぐに構えた弓から、再び聖なる矢が夜顔に向けて放たれる。――しかし、その矢がアヤカシを殺すことは無かった。


「あなた、女だったのね。そんな気はしていたんだけど……ちょっと、残念」

 いつの間に目覚めたのか、夜顔を庇うように飛び出し、背に矢を受けた月白がそう言う。


「……何、をして、」

「しかも、結構可愛いんじゃないの。悔しいわ」

 呆然としているその浮世離れした顔を、月白は震える手で撫でた。彼女の薄い体はそのまま、先程空でそうしたように、夜顔の胸元に埋もれる。その顔は穏やかに、幸福な笑みを浮かべていた。


「姫は化け物に惑わされた反逆者だ!化け物共々討て!」と誰かが言ったが、一人も動こうとはしなかった。誰もが、哀しく美しい二人の少女に魅せられていた。


「月白、君は、何故、何故わたしを庇ったんだ!」

「分からない筈、無いでしょう。だからあなたも、泣いているんでしょう」

 力ない声の月白に、夜顔は『何を馬鹿なことを』と思った。アヤカシである自分の瞳から、人間のように涙が流れることはないのだ。だから、内側に溢れるそれは行き場なく彼女を溺れさせる。


「ねぇ、私を、食べてよ。約束……でしょう?」

 その言葉を最後に、夜顔の頬に置かれていた白く細い手は滑り落ち、愛おしそうに見上げていた目は眠るように閉じられ、月明りのような仄かに温かい笑みは、二度と浮かべられなくなった。


 夜顔は虚ろな目で、腕の中の骸を見下ろす。徐々に冷たくなる肌とは相反して、腕に滴る赤は温かかった。


「君には期待していたのに。……全く面白くないな」

 夜顔は心あらずな様子でそう呟くと、地面に散らばった刀を取り上げ、自らの朽ちていく左腕を肩ごと切り落とした。忌々しい浄化の浸食をこれで防げるかと思ったが、それは既に全身に回っているらしく、体がバラバラになりそうに軋んでいる。夜顔は叫び声一つ上げずに溜息だけ漏らすと、月白の頬に散ってしまった血飛沫を指で拭った。

 そして彼女を片腕に抱き上げ立ち上がり、最後に一度だけ退治屋を見て、小さな嘲笑を浮かべ空へと飛び立っていった。誰も、その後を追おうとする者は居なかった。


 新月の山はただ闇に包まれている。夜顔は柔らかな草の上に月白を横たえると、自らもその隣に身体を投げ出した。そして愛おしそうに、隣の少女を見つめる。


「やっぱり君は、面白くないねえ。こんなにもわたしの心を虚しくさせる」

 わたしが矢に撃たれる前、君はなんと言おうとしていたのだろうか。それが分からない。分かるようで、分からない。人間は、分からない。


 夜顔はもう、自らの痛みも、目の前の少女の顔もあやふやになっていた。懐にはどんな怪我にも病にも効く天狗の妙薬があったが、今の夜顔にとっては無価値で不必要なものである。“飽きるまでは共に居る”と彼女に言った言葉に、嘘偽りは無いからだ。


 夜顔は僅かに残った感覚だけで、硬く冷たい月白の手をとると、心地よいそれに唇で触れ、舌で撫でる。そして彼女との約束を果たすために、最後の力を振り絞ってその死肉に歯を立てた。


 朦朧とする意識の中、彼女の甘味に溺れながら、夜顔はありもしない未来を想う。



 ――もし、彼女と自分が最初から同じものであったならば、このような苦悩はありはしなかっただろうか、と。



 翌朝。一人のアヤカシの屍の横で、夜顔の花が静かにしおれた。

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