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6.夜会


柊理は忙しい人だ。


朝食の後は邸を出て、帰りは深夜に及ぶこともある。


出張で十日も邸を明けた後で、わたしを伴って夜会に出かけた。


前にあつらえたドレスを着ていた。洋装に慣れた柊理はいいが、わたしは落ち着かない。


鏡の前では婦人雑誌の流行の格好にも見え、気分が華やいだ。しかし胸元が開きすぎな気もするし、生地が薄い気もした。


自動車の中で、そわそわしてしまう。


「よく似合っている。あんたを見せびらかしたい」


「新しいおもちゃのように言うな」


小声で聞いた。


「花魁とばれやしないか? 妻が遊女上がりではそなたに都合が悪いだろう。『武器屋』に通った者もいるのでは?」


「あの真っ白厚化粧を取ったら、あんたは別人だ。保証する。ばれっこないさ」


「そうか…」


夕霧花魁の頃は、わたしの美貌は吉原に轟いていた。自分もそれを信じ、少ない価値の一つにしていた。

それが、厚化粧の成果だとしたら、自分の根底がくつがえりそうなほど気持ちがふさぐ。わたしの価値は、ほぼ外見でしかない。


そういえば、柊理も「あんたは化ける」ともらしていた。


そうなのか。


わたしは自分で思うほど美しくないのか。



有明の君と称される華族の邸での会だった。


着飾って集った人々が談笑している様子は、身を売る女たちをよく知るわたしには、別の人種に見えた。実際そうだろう。例えば『武器屋』の紫が、あの中に交じることはきっと許されない。


給仕の男が盆に乗せた飲み物を配って歩く。口をつけた。甘い酒で美味しい。喉も乾いていたから、一息で半分も飲むと、柊理に注意された。


「急いで飲むな。酔っ払うぞ」


うなずいておいたが、わたしは酔わない。というか、とてつもなく酒が強い。酒豪のおじい様の相手が務まったのも、気に入られた要因だと思う。


わたしを連れた柊理に人が集って来る。


「君が妻女を迎えたと聞いたが、本当だったのか」


「御前の喪の関係で、式も披露もないとか。仕方がないが、夫人にとっては寂しいだろう」


柊理が彼らに応じているうち、別な男がこちらへやって来る。わたしに微笑んで会釈した。恰幅のいい上品な人物だった。三十ほどだろうか。柊理より少し年上に見える。


「ようこそ。ご婦人には男の長話は退屈でしょう」


男はどうやら主人の有明の君らしい。柊理に短く何か告げ、わたしを促した。


会場の一隅に長椅子が置かれ、そこには女性が数名腰掛けていた。


「わたしの妻もいます。こちらで寛がれて」


そう、わたしを彼女たちへ引き渡した。ちらりと柊理を見ると、話につり込まれてしまっているようだ。

誘われるままに椅子に掛けた。


お茶を勧められる。さっきの酒の方が欲しかったが、この場の女性は誰も飲んでいない。お茶を受け取り、カップの赤い茶を眺めた。


「有明の妻の香子です。高司卿の奥様、お名前は?」


「帰蝶です」


「素敵なお衣装ね。よくお似合い」


「ねえ、香子さん。わたしもさっきから、思っていたの」


「皆さん、高橋卿のご子息、洋行から帰られたのですって。ほらあちらに」


「本当、ハンサムな方ね」


「この間、騒がれていらしたわね。ほら踊り子との仲が。婚約者もいらっしゃるのに」


「二戸様のご令嬢ね。どうなさるのかしら?」


「あら、このケーキ美味しいわ。味見なさって」


会話は上品で和やかだ。けれど、内容は衣装の話と男の外見と醜聞と食べ物。どこの女も口にするのは大して違わない。


勧められたケーキを頬張っていると、聞かれた。


「帰蝶さんはどちらの女学校を出られたの?」


女学校とは確か、『武器屋』の楼主の妹が通っていたと聞いた。行儀作法も習うようで、お嬢さんが通う花嫁学校だ。


「あなたが都内の女学校を出られたのなら、さぞ目立つ生徒だったろうな、なんて思ったの」


有明の妻の香子が言う。


目立つとはどういう意味だろう。


遊郭上がりの雰囲気がばれたのかと、落ち着かない気分になる。


声を落として答えた。


「女学校には行っていません。手習いは邸の老女が。稽古事は師範を招いて教えを請うていました」


返答に、皆が絶句した。間違ったことを言ってしまったのかと、焦る。茶事以外の稽古事は実は遊郭仕込みだ。しかし嘘は言っていない。


「ご実家は?」


「家は絶えました。父は筑後守霧林清永」


『武器屋』は武家の子女を遊女に抱えていたが、さすがに素性までは明かしていない。旗本や公家だの、匂わせるだけだった。


女たちが静かにざわめいた。


そこへ、若い男がやってきた。香子の横の手もたれに腰を下ろした。皿の盛られた菓子をつまんで口に放り込む。


目鼻の整った男で、女たちは嬉しげにそわそわし出した。「礼司様」と聞こえた。男の名だろう。


「筑後守霧林様なら、大名格でしょう。拝領のお屋敷も相当だ。それで皆さん仰天しているのです。ここに集うほぼ全員が、一代前は御家人以下だから」


「礼司、失礼でしょう」


香子は弟の礼司だと、わたしに紹介した。


「でも、弟の言うとおりよ。深窓の本物のお姫様の登場で、正直驚いたの」


「いえ…。貧乏をしただけです」


「高司卿が秘蔵にして隠していらっしゃたのもうなずけるわ」


香子が感嘆したように言う。


「急にご結婚のお知らせで、社交界も驚いたものよ。誰が柊理様を射止められるのかなんて、噂の的でしたものね」


「麒麟の息子は相当女性に人気があったのですよ」


礼司はまたぼりぼりと菓子をつまみながら言う。いきなり飛び出た麒麟の文字にどきりとしたが、おじい様が麒麟を持っていたと噂されていたことは有名な話だ。


やっと柊理がこちらへ来た。


女たちに挨拶をし、礼司の肩をたたいた。


「新作は描けたのか?」


「まだデッサン中。またアトリエに見にきてよ。意見を聞きたいな」


親しいようだ。


「柊理様、奥様との馴れ初めを教えて下さいません?」


女の問いに、柊理は、


「彼女の父上が邸を終われる際に、親父が姫を引き取り面倒を見ていたのです。そんなことから、自然に…」


と答えながらわたしを見た。視線から、話を合わせろという無言の威圧を感じた。それがどう映るのか、


「物語みたいね。素敵。お二人は出会う運命だったのかしら」


「零落した高貴な姫君を柊理様が見初めて奥様になさるのですもの。ロマンティックだわ」


などとはしゃいだ声が上がる。女学校を出たお嬢さんはきっとこうなのだろう。愚にもつかないことをきゃっきゃと話して喜ぶ。幸せな人種だと思った。


わたしと柊理の本当の出会いを目にしたら、彼女らは卒倒するのではないか。


「では、失礼します」


柊理はわたしを連れ、彼が紹介したいという人物を回った。はき慣れない靴で足が痛んだ。


どれほどかして、やや足を引きずるわたしに彼が気づいた。


「どうした?」


声にわたしも靴へ目をやった。足を入れた靴の後ろが血で汚れている。


「ひどいな。早く言え」


柊理は手近な人物に辞去を伝えた。そのままわたしの手を引き、会場を出る。人気のないところで、いきなり背を向けて屈んだ。


「乗れ。おぶってやる」


「え」


「車を停めた場所まで少し歩く。いいから乗れ」


おずおずと彼の背に身を預ける。洋装でよかった。着物であれば裾が割れて、ひどくみっともない姿になる。


盛会で、車寄せからあふれた自動車が敷地をずらりと埋めている。


「重くないか?」


「そうでもない」


高みから見る光景は新鮮で、いつも柊理はこんな風にものを見ているのかと納得したりした。


「そなたは女に人気だったと聞いた」


「麒麟の息子だからな」


「きれいな女もいる。上品で人もよさげに見えた。普通なら、ああいう中から妻を選ぶのではないのか?」


「俺は普通か?」


麒麟の色が見える男に拾われた、麒麟を持つ男。それが柊理だ。麒麟をこれ以上痩せさせないために、餌となるわたしを選ばざるを得なかった。


何でも持ち、何でもが叶う男なのに。


窓から邸の明るい照明がもれている。それに照らされて敷石が輝いて見えた。わたしを背負う彼の靴が、石を踏んでかつかつと音を立てる。


「あれは外せないのか?」


「あれ?」


「そなたの持つ、例のあれだ。ご利益は十分だろう。外して自由になってもいいのじゃないか?」


「きの字のことなら無理だ。好きに剥がしたり憑けたりするものじゃない。俺の一部だ」


そうなのか。


たとえば高位の僧侶に祈祷させれば、外すことも出来るのではないかと思った。彼自身が滝行を行うとか。


「怖くなったか?」


「え」


「…何でもない」


「すまぬ」


「何が?」


柊理が立ち止まる。


「わたしはさほど美しくないようだ。悪かった」


「は」


香子も言っていた。わたしが女学校にいれば目立った、と。元花魁だ。令嬢育ちの彼女らのように無垢ではない。


「姫は、俺が会ったどんな女よりも清楚な美女だ。さっきだって、男どもがあんたをちらちら目で追っていた。気分が悪い」


「何だ、見せびらかしたいと言っていたではないか」


「物欲しげに見られると腹が立つ。俺のものだ」


はっきりと言葉をもらうと心が安らぐ。自分はやはり誇っていいほど美しいのだと、自負もわく。


柊理の声はわたしを安心させる。彼がわたしを美人だと言うのなら、それ以外の判断は不要な気がした。


「そうか、ならいい」


あくびが出た。


「早く歩け。眠くなった」




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