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 .安息の地

 かいた嫌な汗を風呂で流し、自分の部屋着に着替えて居間に戻った。

 アランの姿はなかった。二階の書庫をのぞいてもいない。

「アランさん?」

 屋上へ続く戸をノックしても反応はない。

 しかたなく階段をおりると、もっと下のほうから声が聞こえた。

「ここだよ」

 階段の下に開いている上げ蓋がある。アランはその中でランタンを掲げた。

「地下室があったんですね」

「ちょっと楽しいことをしようと思ってるんだ。おりてこない?」

 ジェイナは頷いた。階段は狭くて急なので後ろ向きでおりた。

 ランタン以外に光源がないため地下室の様子はほとんどわからない。光源の持ち主であるアランが、戸棚から瓶を探し出してはテーブルに置いている様子はよく見える。テーブルの上には金属製の短い筒がいくつか用意されている。

「何のご用意ですか?」

「火を使った実験だよ。ところできみは化学に詳しい?」

「いいえ……空気や水のことしか知りません」

「僕も詳しくはないんだ。けどこれは失敗しないと思う。準備が終わるまで待っていて」

「はい」

 アランは瓶の液体や粉末、結晶を筒に入れる作業に集中しはじめた。下手に手伝うよりも離れていたほうがよさそうだ。

 周囲を見回すと、戸棚にはたくさんの薬品や実験器具、書物がある。専門的な物ばかりだ。

「この塔の前の住人は屋敷専属の薬師だったそうなんだ。けどある日、手荷物だけ持って出ていってしまったらしい。よほど雇用条件が悪かったのか、はたまた何かの口封じに追い出されたか……。とにかく、危険な物も残っているから触らないようにね」

「わかりました」

 ふとジェイナは書物の並びに目をとめた。ほとんどが分厚い専門書なのに、一冊だけ絵本がある。

「『塔の王子』……?」

 有名だが人気は高くないおとぎ話だ。

 つぶやきを耳にしてアランが振り向く。

「ああ、それはそこでいいんだ。その話知ってる?」

「小さいころ読んだことがあります。たしか、塔に閉じ込められている王子様が魔女にもらった霊薬の力で女の子と恋人になるんですよね」

「でも王子は塔から出られないから決して少女と結ばれない。自分との恋に身をやつす少女を解放するために、魔女から次は失恋の霊薬をもらう。それを飲んだ少女は王子への愛をすっかり失い、幸せだった日々すら忘れてしまう。悲しいね」

 この話は王子が塔から出られたか不明なまま終わってしまう。その曖昧さもあって好きではない物語に挙げる人もいる。

「将来しあわせになれないと分かっているから今諦めさせるって、正しいことなのでしょうか」

「大人びた考えだよね。王子は閉じ込められて育ったにしては達観してると思うよ。いや、閉じ込められていたからこそなのかな? ……さぁ、準備できた」

 アランはテーブルの前に椅子を持ってきてジェイナを座らせた。並んでいる五つの筒の目の前だ。そこに火が入れられる。

「わ……」

 ジェイナは目を瞠った。筒の炎がそれぞれ違う色に燃えたのだ。深紅、橙、緑、青、紫。物質と反応を起こした結果だ。

 椅子をもうひとつ持ってきてアランも隣に座った。

 二人はしばらく美しい炎のゆらぎを眺めた。

「どうだった?」

 おもむろにアランが口を開く。そのころにはジェイナの心は落ち着いていた。

「あのセシルという人はいませんでした」

「そう。それを聞いて何があったのかなんとなくわかったよ」

 膝の上の手に大きな手が重ねられた。乾いていてあたたかい手だ。

「僕はあのいやらしい親父と同じことをしているのかな」

「……いいえ。同じじゃありません」

「よかった。きみに拒絶されるのはこわいよ」

「あなたを拒絶なんて……」

 言い終えてしまうほどの勇気はなかった。代わりにアランの手にもう片方の手を重ねる。すると、アランは顔を近づけてきた。炎の光を照り返す瞳がジェイナの視線を絡め取る。

「よく頑張ったね」

 頬にやわらかなものが触れた。

 口づけだと気づいて驚いたが、同時に胸の奥が暖かくなった。鼓動が少し早まって頭をぼんやりさせる。

「お茶でも淹れるよ。火を見張っててくれる?」

「はい……」

 アランが地下室を出ていく。上げ蓋を閉めなかったので余計な光が差し込み、幻想的な空間は現実を取り戻した。ジェイナはそれでもしばし呆然としていた。

 階段の上に影がかかり、反射的に姿勢を正す。

「そろそろお湯が沸くよ」

「はい。もう出ます」

「じゃあ火を消すね。先に出ていて」

 アランが入れ替わりに地下室におり、ジェイナは台所に立った。カップとポットは完璧に用意されていたので、できることといえば湧いたお湯をそそいで砂時計をひっくり返すことくらいだった。戻ってきたアランが軽く目を見開く。

「入れておいてくれたの? やけどしなかった?」

「大丈夫です、このくらいはできますよ。あの……」

 気恥ずかしさのあまり手遊びする。アランは言葉を待って土間との段差に腰かけた。

「あの炎、とてもきれいでした。私をなぐさめてくれたのですよね。とても嬉しかったです」

「うん。元気が出たみたいでよかった。実験は成功だ」

 ほほえみを交わす。まるで何事もなかったような態度で。

「あそこは正直持て余しているんだ。暗すぎるし、掃除もままならないから。簡単な遊びをするにはちょうどいいんだけどね」

「アランさんは何年もここにいると聞きました」

「じつはね、十六歳のころからいるよ。もう二十四歳になる」

 思わず目を瞬いた。

「そんなに……!?」

「もっと若く見えた?」

「いえ、そこじゃなくて、八年もここに一人でいるって。あと見かけは年齢なりに見えます」

 アランは頬杖をついた。

「なんだ。家族はいたんだけど僕を置き去りにしていったんだ。それで他に行くあてがなくて、この塔にいるようになったわけ」

「なんだか……気楽そうに聞こえます」

「ああ。正直、家族のことはそんなに好きじゃなかったんだ。うるさかったからね。だからここの静けさをすぐに気に入ったよ。君も静かな人でよかった」

「私のこと、気に入っていただけたんですか?」

 アランの目がかすかに瞠られた。微笑が浮かべられる。

「もちろん。まぁ、隠者が女性と二人きりなんてふしだらだけど、僕は本当はただの男だから平気だよ。でしょう?」

 いたずらっぽく見上げられてジェイナは頬を赤らめた。あわてて身体を反転させる。ちょうど砂時計の砂が落ちきりそうだ。

「へ、変ですね。それなのに隠者として雇われているだなんて……」

「いい仕事だよ」

 お茶をカップにそそぐ手が少し震えた。頭の中にアランの言葉がこだましている。

『僕は本当はただの男だから』

 ――ただの男になら、どうしようもなく惹かれてもいいでしょうか?

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