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 .初対面

 セシルは興奮した犬のように部屋を右往左往していた。

「ちくしょう……ちくしょう! 許しだ? 愛だ? 慈悲だ? 何も与えられないだ!? なんでそうなるんだ! 頭を床にこすりつけて命乞いでもすればよかったのか!?」

 ダークブロンドの髪をかきむしる。衝動はそれでも収まらずデスクの上をかき回した。きちんと揃えられていた書類があたりに飛び散る。

「全部に名前が書いてある! 全部にだ! 彼女がいないと何も意味がない……!」

 部屋の隅から無様を笑う声が上がった。その主は黒髪の少女だ。椅子の背に後ろ手を縛りつけられているが、怯えの表情はもうない。

「あはっ……幼馴染なんだっけ? 運命の赤い糸で結ばれてるんだ~って言いながらわたしの胸を触ってたよね」

「うるさい、この尻軽め!」

 乱暴に腕を振って投げた書類は枯れ葉のように足元へ落ちた。少女は顔をしかめる。

「先に手を出すのは男のほう。でも悪く言われるのは女のほう……」

「生徒気取りで近づいてきたくせに、よく言う……!」

「未婚の年下女に先生気取りで鼻の下のばしてたのは誰なのよ?」

 セシルは後悔と屈辱で顔をゆがめた。

 この少女はセシルが自分の事業を持つ予定だと知っていて、将来の参考にするから話を聞きたいと言って近づいてきたのだった。

 恥ずかしさで顔が赤くなる前にかぶりを振る。

「お前、ずいぶん冷静じゃないか。こういう状況に慣れてるみたいだな? 問題が起きてるのに余裕そうだし」

「だって痴話喧嘩はわたしの問題じゃないもの。監禁なんてされなければとっくに姿を消してやって、話を簡単にしてあげてたのに!」

「残念だったな。身の程知らずにもこのぼくを誘惑しただなんて醜聞が世に広まれば、お前もどうなるかわからないな?」

「あら、わたしはまだ十五歳よ? 十年後だってどうとでもなるわ」

「……なるほど。だからお前の家はこの淫魔を自由にさせているわけか」

 細めた目で少女を睨む。年齢以上に成熟した体は少女を童顔なだけの女に見せている。本人はそれを利用しているのだ。

 セシルはデスクチェアから上衣を取った。

「おい、お前の家に行くぞ」

「え、ちょっと待ってよ。家は関係ないじゃない」

「だから巻き込んでやるんだよ。お前の堕落ぶりにいくらの値がつくのか確かめてやる。いいか、こうなった以上ぼくは容赦しないからな」

 そう言って底意地の悪い笑みを浮かべる。少女は明らかにうろたえた。


   *


 カーテンの隙間からさしこむ朝日がジェイナを起こした。うるわしく、幸運を予感させるような朝だった。

 しかし身を起こすと頭がじんじんと痛みだしたので、再びベッドに寝そべった。そのとき気づく。

「ここは……?」

 再び起き上がってあたりを見回す。

 知らない部屋だった。古くて小さな書庫なのにベッドがある。窓がはめ込まれている壁が湾曲しているため、部屋の形は切り分けたドーナツのようだ。

 カーテンを開ける。外は木々しか見えない。

「え……?」

 部屋の形から考えると、ここは塔の上だ。しかし自宅にも知り合いの家にも塔はない。だとすれば――。

 誘拐?

 自分を見おろす。知らない生成りの上下を着ている。男物だ……。

 さぁ、と顔から血の気が引く。

 ベッドから静かに下りてドアノブをひねってみる。鍵はない。開いて外を覗いた。

 水の音がする。目の前に踊り場の手すりがあり、すぐそこは階段だ。音は階段が途切れている階の台所から聞こえる。

 男性の後ろ姿がある。修道士のような灰色のローブを着ていて若そうだ。

 出入り口は台所の横にある。男性はなにやら作業に集中しているので、後ろを通り抜ければたどり着けるだろう。

 ジェイナは緊張を呼吸でなだめ、裸足で部屋を出た。

 階段は音もなく下りられた。次は狭い居間を通り抜けにかかる。

 その時、二階の出てきた部屋のドアがひとりでに音を立てた。

 男性が振り返る。二階を、いや、一階の家具の間を。

「……あれ? 起きたの?」

 ジェイナは食卓テーブルと椅子の後ろにしゃがみこんでいた。当然、脚の隙間から姿が見えている。

「おはよう。どうしたの? そんなところで」

 男性が近づいてくる。

 万事休すだ。

 やぶれかぶれに笑顔を作って見上げた。

「おはようございます」

「ああ。しゃがんでないで、どうぞ座って」

 差し伸べられた手を淑女らしく取って立ち上がり、引かれた椅子に従順に腰かけた。

 男性は整った顔立ちをしていた。青空色の瞳がはめこまれている目元は切れ長で甘く、鼻は高すぎず、口元はちょうどいい形だ。少し癖のある茶色の髪がなめらかな頬にかかりそうになっている。大人っぽく余裕のある雰囲気のせいか歳は二十前後にも、半ばにも見えた。

「今日は顔色がいいね。昨日はケーキでも焼かないと慰められそうにないと思うくらいだったけど。杞憂に終わったね」

「……昨日?」

「そう、昨日。きみ、泣きながらここへ来たじゃない」

 ――昨日? 昨日……昨日は……。

 思い出そうとすると浅い頭痛がした。手でその場所をさすりながらさらに考えてみる。

「私……昨日……? どうしてここに? あなたはどなたでしたっけ……?」

 おそるおそるたずねる。男性は小さく吹きだした。

「名乗らなかったっけ? 僕はアラン。ルズバリー卿に雇われてる隠者だよ」

「ルズバリー卿……丘の上の伯爵ですよね」

「そう。きみは昨日、森を迷ってここにたどりついたんだ。元々は伯爵の屋敷のお客かな? もしかしたら隠者に助言を求めてここに来たのかも。とにかく今は僕に保護されてるわけ」

 ジェイナはやはり何も思い出せなかったが、アランと名乗った男性の態度に嘘はないように思えた。

「そうでしたか。私なにも覚えていなくて……。てっきり事件に巻き込まれたのかと思ってしまいました。ご親切にしてくださってありがとうございます」

「ああ、それでこっそり出ていこうとしたんだ。ごめんね、こわがらせてしまったね」

 物腰柔らかなアランには好感が持てた。不思議と人を安心させる雰囲気がある。

 そこへ出入り口からノックが聞こえた。

「朝の使いだ。待ってて」

 アランがドアを開けた。やって来た人の姿はジェイナの位置からはよく見えないが男性の事務的な声がする。アランは鍋をやり取りしたり、大きな鞄を受け取ったりしてドアを閉めた。

「ご両親からきみへの荷物と手紙だよ」

「手紙……?」

「きみ、昨日ここにほうほうのていでやってきて、うわ言のように自分の名前を言っていたじゃない。それで屋敷の者に調べてもらって、家に連絡したんだよ」

「私がそんなことを……。本当にお手数をおかけしました」

「気にしないで。はい」

 ジェイナは手渡された手紙を読んだ。両親の名前とともに短い文章が書かれている。

『よろしい、そちらでの滞在を許します。この際、二人の仲を尊重することにします。ただし着替えは適切なものを見繕っておきました。ご迷惑をかけないように、でも好きなだけいていらっしゃい。セシル様と仲良くね。』

「セシル……?」

 女性だろうか、男性だろうか。思い出そうとすると強い目眩が起こった。平衡感覚を失い、食卓にもたれかかる。しかし一瞬のことだったのでアランが支えようとしたときにはもう治まっていた。

「大丈夫?」

「ええ……少しめまいがしただけです。でもどうしてなんでしょう……」

「昨日、何時間も飲まず食わずで森をさまよっていたからだろう。安静にしてて」

 アランはマグカップに湯冷ましを入れて持ってきた。ジェイナはそれを飲んでみて喉が渇いていたことに気づいた。

「ごめんなさい、ご迷惑をかけて。隠者の方を邪魔してはいけないのに」

「僕はただのお飾りだから構わないよ。金持ちの遊びさ。庭に置く飾り石と同じだよ」

「でも、詮索するようで失礼ですが、お若いのになぜ……?」

「孤独が好きなんだ、今はね。でもおしゃべりが久しぶりに楽しいよ。きみはまるで小説の主人公みたいだから。記憶をなくしたお嬢さん、森の中で隠者と出会う。……冒険小説か、まあ、そんなところみたいだ」

 ジェイナは好青年だがとらえところのないアランに惹かれつつあるのを自覚した。

「冒険する女性主人公がいるでしょうか」

「典型から少し外れているほうが面白いでしょう?」

「そうなんですか? 隠者の方でも小説をお読みになるんですね」

「意外だった? きみが寝ていた部屋は僕の寝室兼書庫なんだ。昨日はきみにベッドを貸していたんだよ。興味があるなら本棚も貸すよ」

「あぁ、面白そうですが……たぶん私にはすべきことがあると思うのです」

 ジェイナは手紙をアランに見せた。

「このセシルという人をご存知ですか? 私ととても仲良しで、お家に泊まることになったみたいなのですが……なぜか誰のことなのか分からないのです」

 アランはやかんの湯冷ましをカップに注ぎ足した。

「同じ名前の男が屋敷にいるよ。ルズバリー卿の十九歳の一人息子さ。きみはその人を訪ねたんじゃないかな?」

「男性を? ルズバリー卿とも面識がないのに……。でも、用事がなければ街はずれの丘まで来たりはしないし……」

「もっとよく思い出してみたら? たとえば、昔の友だちだったとか? 幼馴染じゃなかった?」

「う……」

 ジェイナはまた一瞬のめまいをやりすごし、軽く息をつく。

 アランはその様子をつぶさに見ていた。

「どうやら何か思い出そうとするとよくないみたいだね」

 たしかにそのとおりだ。記憶をたどろうとすると異変が起こる。だが、だからこそ思い出さなければいけないのではないか?

「ここはルズバリー卿のお屋敷に近いんですよね? お屋敷がどちらにあるか教えていただけませんか?」

「いいけど、行くのかい?」

「思い出せないなら聞き出すしかありませんから」

 真っ直ぐに見つめ続けると、アランは諦めたようにほほえんだ。

「わかったよ」

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