5.おとぎ話のように
屋敷を訪ねる旨をアランから夕の使いの者に伝えてもらった、その翌日。
朝の使いが朝食とともにジェイナあての荷物を届けた。ルズバリー卿からだ。包装をほどくと新品の紺色のワンピースが入っていた。
「これこそ気を遣うってことだね」
同じ服装で訪ねることは仕方ないが恥ずかしくも思っていたところだったので、実際ありがたい支援だった。しかしジェイナは少々なやんだ。
「まだルズバリー卿には会ったことがないのです。どうやって感謝を伝えるべきでしょうか?」
「息子とは何年も付き合いがあるのに、主人には会ったことがないの? 不思議だね。まあ、僕ももう何年も会っていないけど。今度改めて手紙を書いたらいいんじゃないかな?」
「そうですね、そうします。ルズバリー卿とアランさんも、何年も会っていないなんて不思議ですよ」
「人が住んでるってことを忘れてるのかもね」
ジェイナは笑えなかった。
その昼、もらったワンピースに着替えて出発した。
森を抜けるまではアランに付き添ってもらった。日に三度、使いの者が行き来するだけあって、森には小道が通っていた。
「帰りはどうする? ここで待っていようか?」
「いえ、それには及びません。どんな話になるかわかりませんから」
「それもそうだね。やっぱり家に帰るかもしれないわけだし。入り口の目印だけつけておくよ」
アランはそばの木の枝に黒いリボンタイを結んだ。
「うまくいくといいね」
ジェイナは頷いて森を後にした。
ごくなだらかな斜面をのぼり、屋敷の門をくぐって大きなドアを叩く。
セシルはすぐに出迎えた。
「あぁ! やぁジェイナ、元気そうで嬉しいよ! あの森に入ってしまったからずっと心配してたんだ、怪我はない、のかな? 君は無事らしいって使用人に聞くまで本当に気が気でなかったよ。まあ森にいるってだけで心配なんだけど……」
にこやかな表情を保とうと無理をしているらしく頬が引きつっている。痛々しい姿だ。すると突然、腰を直角に曲げて頭を下げた。
「本当に申し訳なかった! あの女はすぐにどこかへやるから許してくれ! おい、こっちへこい!」
一階の客間からあの見知らぬ少女が出てきた。前のめりの体勢なのは、執事に両手を後ろでひねり上げられているからだ。
セシルは少女の黒い髪をひっつかんでしかめっ面を上げさせ、己はジェイナへ笑顔を向ける。
「こいつはいろんな男を渡り歩いてる尻軽なんだ。男なら誰でもいいんだよ! だからぼくのところにも抜け目なく来たってわけ。ぼくだから、じゃない。ぼくは偶然なんだ! こいつを家に上げてしまったのは単なる偶然で、事故なんだ! ねぇジェイナ、君はこいつとは比べようもない素晴らしい人だよ。そんな君とずっと付き合ってきたぼくが、今さら粗悪な女になびくわけがないでしょう! ね?」
視界が一瞬くらりと回った。あまりにも醜悪な言葉に目眩がしたのだ。
彼は決して演技をしているわけではない。本気だ。きらきらと浅ましい期待に目をかがやかせ、薄っぺらい返事を予想しているのだ。
ジェイナは震える声できっぱりと言った。
「ひどいわ。なぜそんなことが言えるの?」
「え……?」
「追いかけても来ずに、人を痛めつけて、私に服従して、一体何を得ようというの。許し? 愛? 慈悲? 私にはもう何も与えられない。あげるものなんてない。あなたは悪魔よ」
「え……? ジェイナ……?」
本気でわからない、という顔だった。もう一度打ちのめされ、気づくと屋敷から走り出していた。
滂沱の涙が頬を滑り落ちていく。追いかけてくる者はいない。森へ向かって、塔へ向かって走り続けた。
ぜいぜいと息を切らして戻ると、アランはノックをする前にドアを開けた。その口元に優しい笑みを浮かべる。
「もう迷わなかった?」
「……う、うぅっ……!」
崩れ落ちそうになったジェイナの肩を支える。ローブに涙の跡がつくのも構わず背中を優しくたたいてなだめる。
「さ……お茶にしようか。隠してたビスケットも出してあげるよ」
アランはジェイナを塔へ入れてドアを閉じた。
涙がおさまるまで長い時間がかかった。気分が落ち着いたころ、お茶はすっかり冷めていた。
「……彼を見損なっていました。失望させられるなんて、思わなかった……」
アランは詳細を聞きたがらなかった。
「なぜここに戻ってきたの? きみにはそいつを煮たり焼いたりすることもできるっていうのに?」
「……わかりません。でもここに戻りたかったんです。他の人には会いたくなかったから……」
「うぬぼれだと思われてもいいけど、僕のおもてなしを気に入ってくれたのかな?」
ジェイナは力なく笑った。
「ここはいいところですよ。家に帰ったらここのように静かではいられないだろうし……。きっと醜聞を隠したり、次の婚約者を見つけたりするのに忙しくなるでしょうから。私はもう十八歳だから両親は焦るはずです。でもここにいればいるほど猶予が伸びる気がします」
「時の流れはどこでも同じさ。ここでも歳は積み重なる」
「それでもいいです……」
すてばちな態度でつぶやく。何度も裏切られた上に自分の言葉でも傷ついたのだ。もう石にでもなりたい気分だった。
「つらかったね」
アランが手を差し伸べてくる。修道士のような格好の彼がそうするとまるで天使の慈悲に思える。そっと握ると、その手は暖かく握り返した。
涙がまたこみ上げた。次は静かな涙だった。
「ジェイナ。愛を失った痛みはいつか形を変えてくれるけど、一生消えることはないんだ。でももし、その痛みがなくなる魔法があるとしたら、どうする?」
「……それは、童話のはなし?」
「ねえ、どうする?」
眼差しが真剣味を帯びている。ジェイナはほのかに笑んだ。
「この痛みが消えたら、あの頃に戻れるのでしょうか?」
「あるいは、もっと素敵になるかもしれないね」
「そうならいいのに……。もう大人なんですもの」
アランは手をほどくと、戸棚から新しいワインを出して開けてくれた。
辛く、苦く、複雑に香るワインを。




