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13.灰より生まれしもの

「――ジェイナ起きて。ジェイナ……」

 ひとまず目を開けたが、頭がぼんやりしていて状況がよくわからない。

 ジェイナはまだ地下収納にいて、アランに抱きかかえられていた。

「外に出よう」

 全身に力を込めて立ちあがる。地面を踏んでいる感覚がない。まるで他人の体を操っているかのような奇妙さだ。アランはそんな茫洋としているジェイナの手を引いて地下収納から、地下室から、そして灰の海から外へ出た。

 塔は内側と外側から燃やされてもその形だけは保っていた。とはいえ一階部分の外壁は火の跡で真っ黒だ。張り付いていた蔦も無残に燃え尽きている。

 あれから何時間たったのか、空は暮れなずんでいた。

 先に出ていたセシルが振り返る。

「ジェイナはどうしたんだ!?」

「薬品の臭いにあてられたんだろう。ここから離れてもっといい空気を吸わせないと」

「水が飲みたい……。屋敷に戻ろう」

 アランとセシルの声は枯れていた。

 ジェイナは半分抱えられて歩いた。森を抜けると夏の風が火照った頬に涼しかった。

 そこへ、屋敷のほうから数人の男たちがやってきた。アランは止まったが、セシルは駆け寄った。

「ウォルター、来るのが遅いんじゃないか!? バケツすら持たずに何しに来た!」

「申し訳ございません、若様。全てはご主人様のご指示なのです」

 使用人が馬の手綱のように頑丈な紐を持っている。執事はそれを受け取って、繋げられている犬に指を鳴らして合図した。犬は背丈こそ人の膝にも及ばないが、いかにも凶暴そうな筋骨隆々の体をしている。セシルはあとずさった。

「おい……ぼくの婚約者の目の前でそいつをけしかけるつもりか?」

 執事は冷酷にアランを指してリードを外した。

 犬が牙を剥いて走り出した。セシルの股をくぐり、うしろのアランへおどりかかる。

 その牙が食い込めばただでは済まないだろう。だがアランは犬の大きく開かれた顎に拳を突き入れた。

 驚きの声が使用人たちから、犬からあがる。

「やあボン、久しぶり。僕を忘れてしまったの?」

 犬はぎょっと目を剥いた。

 尻尾を巻き、吐き出した拳を必死になめる。

「昔よくセシルが同じことをしてくれたよね。この対処法は君のお陰で身につけたんだよ」

 執事が舌打ちする。

「駄犬め……」

「ひどいやつだな、ウォルター。相手は何も知らない動物だよ。駄犬は君じゃない?」

 その薄笑いは神経を逆なでするのに十分だったようだ。

「あの雑種を捕らえろ。女もだ!」

 執事の指示で使用人たちが二人を両脇から拘束した。アランも、未だぼんやりしているジェイナも抵抗しなかった。

 一行は屋敷へ二人を連行した。セシルもおろおろしながらついていった。


 ジェイナが我に返ると、そこは屋敷の応接間だった。

 隣にはアランが後ろ手を椅子に縛りつけられている。ジェイナも体を両腕ごと椅子の背にシーツで巻きつけられている。腕を回して結び目をほどくのは難しそうだ。

「ジェイナ、気分はどう?」

「……よくないわ。アラン……」

 悲痛な顔で恋人を振り返る。

「忘れていたことを思い出したわ。ねえ、私に何をしたの……?」

 アランは別人のように淡々と口を開いた。

「失恋の霊薬。飲んだ者は最愛の者への愛を失い、感情に伴って記憶障害も起こす。副作用として、失った愛情のかわりに愛する対象を求めてしまう」

「……なんなの?」

「『塔の王子』だよ。きみは元々セシルが大好きだった。けど僕がワインに霊薬を混ぜて飲ませることでその愛情を消し去った。それで心に欠落ができたきみは、セシルの代わりにそばにいた僕を好きになったんだ」

 ジェイナはゆっくりとかぶりを振った。だがアランに冗談はない様子だった。

「あれはただの童話じゃない。あの話を現実に再現してしまった連中がいるんだ。薬を作った魔女、女に薬を飲ませた王子、薬を飲んで最愛の人を忘れた女。全員、一度現実になったことがあった。僕はそれを模倣したんだ」

 胸が詰まりそうだ。ジェイナはあえぐ。

「変よ。なんのために? それにその霊薬はどうして存在するの? むちゃくちゃよ……」

「霊薬はあの塔に住んでいた薬師が作ったんだよ」

 アランは読み聞かせるように話し始めた。

「真実を知るには、母から聞いた話と、薬師の手記を照らし合わせる必要があった。――僕が生まれる前、フェリス夫妻は不妊に悩んでいて、治療のために薬師が呼び寄せられた。しかしルズバリー卿はある日、薬師を訪ねて言ったんだ。私たち夫婦はお互いをこの上なく愛しているのに、家の存続という重荷のせいで謝りあってばかりいる。このまま幸せを忘れてしまうのは妻がかわいそうだ。だから妻の私への愛をなくしてやりたい。そうすれば妻は別の誰かと新しい幸せを築けるだろうから、……とね。薬師は最初は猛反対したが、何度も頼み込まれて最後は折れ、童話のような失恋の霊薬を作る研究を始めた。でも、もうわかったよね。ルズバリー卿の本当の狙いは僕の母、薬師の暮らしを支えていたメイドの若い娘だったわけだ。母は毎日、塔に通っては食事や洗濯物の世話をしていて、そのあいだに薬師と恋に落ちた。ルズバリー卿は、自分たち夫婦をよそに幸せそうにしている薬師が妬ましくなったのか……まあ理由は本人にしかわからないが、薬師から母を奪うため、当の本人に霊薬を依頼したんだ。残酷な話だよ。薬師は霊薬という毒薬を作った事実から逃れるために全てを捨てて塔を出ていった。母は悲しみに暮れるなか、ルズバリー卿に騙されてその薬を飲んでしまい、最愛の人を忘れてしまった。そしてその代わりにルズバリー卿に多大な好意を抱いてしまい、結果、僕が生まれた」

 口元に暗い笑みを浮かべる。

「手記はあの地下収納に隠されてあったんだ。霊薬を作った際に使った道具と一緒にね。薬師は成分が付着している器具の処分に困って、地下収納に隠すことにしたそうだ。元々あの蓋には鍵がかかってたんだけど僕が壊したんだ。成分が空気に溶け込んでいたせいで、蓋を開けた時に少し吸い込んでしまった。けど、その瞬間、母が僕を置き去りにした悲しみが薄れて、何をすべきか分かったんだ。なんのために生きるのか、と言い換えてもいい。僕の目的は母の帰りを待ったり、薬師を真似て腰抜けになることではない。犬じゃない、人間としての人生を取り戻すことだと分かったんだ」

 自嘲のような笑みへと変わる。

「だから、霊薬はそのための有効な道具になりえると思って、残り滓を集めて酒に溶かしておいた。かわいらしい君に毒薬を飲ませるのは気が引けたけど、この屋敷の連中に長年抱き続けてきた憎しみの前にはささいな感情だったよ。酒に混ぜていた霊薬の量はほんの僅かだったから、きみがセシルをきれいさっぱり忘れてしまったのは驚きだった。きみを味方につけるための嘘も驚くほどすらすら言えた。悔しいけど僕もやっぱりあいつの子なのかな、きみを操るのは楽しかったよ。でも同時に焦ってもいた。霊薬の効果はふとしたはずみで消えかねないことは母の例で知っていたから、僕はきみが記憶を取り戻すまでに事を進めなければいけなかった」

「……『事』?」

 ジェイナはようやく声を出した。

 アランの目が奇妙に穏やかな光をたたえる。

「そう、事を。僕が模倣の手本にした人物は、僕と違って計画を大成功させ、権威さえ手に入れた。だから僕は自分の人生を自分で決められなくなった。母はあいつから僕を解放してくれようとしたけど失敗した。屋敷を出る前に、階段の上から突き落としたんだ。でも残念ながら、脚が悪くなっただけで生き残られてしまった。それを考えると、僕の復讐は親孝行にもなるのかな」

 ジェイナが口を開こうとしたそのとき、応接間のドアの鍵が静かに開いた。

 忍び込んできたのは黒髪の少女だった。

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