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 .恋心

 話を終え、アランは目を上げた。

「どうして泣くの?」

 ジェイナは目尻に涙をためていた。指摘されて手の甲でぬぐう。

「ごめんなさい。とてもつらかっただろうと思うと……」

「……いや、違うんだ。たしかにあの頃はつらかったけど、今は気持ちが軽くなったよ。こんなことを誰かに話したのは初めてなんだ。今までは話せる相手もいなかったから。聞いてくれてありがとう、ジェイナ」

 清らかなほほえみにジェイナは思わず見とれた。

「そ、それで……本当にあの人が私の婚約者なんでしょうか?」

「婚約していたこと自体しらなかったよ。なにせ顔を見るのも数年ぶりだったんだ。でも、これで何があったか推測することができるね。きみは屋敷で何事かに巻き込まれて、泣きながら森へ逃げ込んできた。けどあいつはきみをまた現場に引きずり出したがっているらしい」

「私、何も覚えてない……」

 セシルの声を聞いても記憶は戻ってこなかった。思い出そうとしても正体不明の小さな頭痛がするだけだ。

「まぁ、肩を持つわけじゃないけど、あいつは腰抜けだから凶悪な行為に手を染めたりはしていないはずさ。そこは兄の僕が保証するよ」

「……ええ」

 気楽そうな物言いをひとまず信じることにした。それでも不気味さは残ったが。

 アランは姿勢を崩して片方の手で頬杖を突いた。

「さて、次はどうやってきみをなぐさめようかな。また同じ手は食わないだろうし……。森の散策でもしてみる? 明るいうちは怖くないよ」

「あ……行きたいです」

「じゃ、決まり」

 ジェイナはドキドキしながら後片付けを手伝った。


 フェリス家の敷地内であるこの森では昔、狩り遊びが頻繁に行われていたという。だが、主な獲物である鹿を狩りすぎてしまったので、今は狩猟を禁止しているそうだ。

 そんな話をしながら、アランは森の中をまさに庭のように案内した。当時の矢傷が残る木や、狩人気分を味わうために建てられた古い小屋を見物してまわる。

「でも、ここも一時期は戦場になりかけたんだ。森の奥の崖まで敵が迫ってきて……っていう有名な話さ。あの塔はその頃に崖の上を見張るために建てられたんだって。最も腕のいい射手を置いて睨みを効かせていたんだ。普通、戦いでは位置が高いほうが有利だといわれているのに、崖のふちから少しでも顔をのぞかせた敵は決して生き延びられなかったそうだ。矢はまさに弓なりの軌道で飛ぶから、相手が走って逃げてもその背を射抜くことができたんだ。そうやってこの森は戦火から守られたんだって」

 最後にアランは小さな泉へジェイナを案内した。

 鏡のような水面が青空をのびのびと覆い尽くす枝葉の緑を鮮やかに映し出している。

「きれい……」

 二人はそばの岩に並んで腰かけた。

「誰かとこんなに穏やかな時間を過ごしたのは初めてだ。心が洗われるようだよ」

 ジェイナはアランと微笑みを見合わせた。

「自分のことをお話してくれてありがとう。私も誰かに秘密を打ち明けられたのはこれが初めてでした」

「初めて同士か。うまくいったね」

 きょとんとして目を瞬く。アランはふきだすように笑った。

「何でもない。忘れて」

「……あっ。あ、あなたって本当に隠者、……じゃないからか……」

「アハハ……今頃かい?」

 恥じらいで顔が熱いのに視線は笑顔に釘付けだった。

 ――なんて素敵なのだろう。涼やかなのに甘くて、まるで春の風。自分にだけ吹く風……。


 その夜、アランは採って帰ってきた硬い実を食卓で選別していた。食べられる実から器用な指先でゴミを取り除いてはボウルに入れている。

 ジェイナは裸足のまま戸を開けた。

「何をしていらっしゃるんですか?」

「昼摘んできた実を洗おうと思って。ジャムにするんだよ。こういう食べ物を屋敷の者は知らないんだ」

 返事がないことでようやく気づいたようだ。

 ジェイナがバスローブ一枚で己を見ているということに。

「あの、ここは大きな鏡がないからわからなくて……私、覚えていないあいだに何かされていないか、やっぱり心配で……その……」

 アランは目を瞠ったままだ。今さら怖くなり顔をそむける。

「嫌わないでください……」

「嫌わないよ。だから本当の気持ちを教えて」

 ジェイナの喉がこくりと鳴る。緊張で全身が脈打っていた。

「私……あなたが好きなんです。どうしようもなく好きなんです」

 しばしして、椅子から立ち上がった音が聞こえた。

 目の前に背の高い人の影ができる。うつむいていると胸から下しか見えない。その彼が腰紐を解いてローブを脱ぎ、ジェイナの肩に羽織らせた。

「こっちを見て?」

 おそるおそる見上げると、ハッとするほど優しい笑顔があった。

 アランはそっと抱きついてきた。薄いシャツとズボンだけの体から体温が伝わってくる。

「こんなに想ってくれていたのに気づかなくてごめんね。いつの間にかきみの心を閉じ込めてしまっていたんだね……苦しかっただろう?」

「わ、私こそごめんなさい。自分のこと何もわかっていないうちにこんな気持ちを持ってしまってはいけないのに……」

「いいんだよ、素直なかわいらしい人。自分を責めないで、どうか気づかなかった僕を恨んで。これからはきみの心をすべてもらいたいから」

「ほんとう……?」

 緑色の目をこぼれそうなほど大きくする。

「ああ、真実だ。本当は僕がきみを奪ってしまおうと思っていたんだ。先を越されちゃったね」

「あぁ……。恨むなんてできません」

 嬉しさのあまりため息がもれた。シャツを小さくつまむと、アランはその手を取って自身の胸にはわせた。薄いがしっかりした感触がある。

「そうは言っても僕はこのとおり強い男ではないから、きみを抱きかかえるなんて素敵なことはできないんだ。靴を履いておいで。一緒に上のベッドへ行こう……」


 二人はシーツの上に並んで体を休めた。小さなベッドなので互いの方を向いて横にならなければ収まらなかった。

「ずっと思ってたけど、二人で乗るといっそう軋むね」

「これも古い家具なの?」

「そうみたい。明日どこが緩んでるか見てみよう」

 アランの手がジェイナの金髪をなでる。優しい手つきが肌をくすぐった。

「修理できる?」

「もしかしたらね。ベッドが軋む音は嫌いだったんだけど、きみと鳴らすとちょっと違って聞こえるな」

 ジェイナはブランケットの中で裸の腕を叩いた。クスクス笑いが上がり、その腕が細い体を抱き寄せる。

「アランさん。私、あの人との婚約を解消するわ」

 出し抜けにそう言った。

 二人は間近で見つめ合う。

「賢明だね。そう言ってくれる時を待ってたよ」

「待たせてごめんなさい」

「いいんだ。僕にはまだ約束できることがないけど、とても嬉しいよ。ご両親が許してくれるといいね」

「うん」

 ジェイナの額に口づけが落ちた。

「おやすみ、僕のお星様」

「おやすみなさい……」

 二人は幸せの中へまどろんでいった。

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