トキメキとピンチの通勤ラッシュ(3)
彼女が俺の腕を引っ張った瞬間、俺は自分の体の異変をすぐに察知した。
あれ?力が……入らない……
俺は、綿毛が宙に浮いているような浮遊感に襲われ、とてつもなく自分が軽い存在になっている事に気づいた。
俺は何の抵抗も出来ないまま、彼女に導かれるかのように引きずり降ろされた。
何で力が入らないんだろうか。
彼女の腕力がスゴイのか。いや、そんな風には見えない。
何なんだこの奇妙な感覚は。
とっさの出来事に痴漢の弁明どころではなくなる俺。
アナログテレビの配線のように頭の中がごちゃごちゃになりパニックに陥る。
彼女は、俺の腕を掴んだままどこかに向かって歩いていた。
もちろん、掴まれている自分は力が入らないため何の抵抗もできない。
ただただ、俺は彼女に連れていかれていく。
彼女の向かっている先はおそらく駅長室。
痴漢魔として俺を申告し、すぐに駆けつけてきた警察に捕まり俺は即刻鉄格子で囲まれた暗い牢屋行きなのか……
複雑に入り乱れた思考の中から生まれたのは、この先に訪れるであろう負の光景とみじめな自分の姿であった。
いやいや、それではまずい!何としてでもこの状況を打破しなければ!
俺は、大きく一つため息をついて頭と心を少し落ち着かせると、思考回路は少し正常に戻ったようで、脳内をフル回転させて何か案を導き出そうとする。
だが、こんな時に限って良い案は思いつかない。
額から吹き出した汗が頬を伝っていく。
そして、俺は唯一の解決案を彼女に持ち出した。
「あっ、あのー……何かの誤解だと思うんで、一度話し合いませんか?」
謙虚な姿勢で話し合いを申し出る。
これが俺のフル回転させた結果である。何とも初歩的な提案だ。
しかし、彼女の反応はなし。聞こえていないのかと思い俺はもう一度彼女に向かって言うが、やはり反応はない。完全無視だ。
終わった……
こんな状態では、もう次の手段を考える余裕はない……
テレビでしか見た事ないがあの薄暗い空間に俺はこれから何年も閉じ込められるのか……
コンクリート出来ているであろう澱んだ雲のような濃いグレー色の天井を見つめながら大きくため息をついた。
階段を上がると、改札口が見えその横に駅長室が見えた。
彼女は駅長室の方へと足を進める。
徐々に駅長室と俺たちのの距離が近づいてくる。
俺は額から流れた汗をシャツの袖口で拭い、覚悟を決める。
そして、とうとう、彼女に連れられて駅長室の前に来てしまった。