奇跡
●登場人物
ANTIQUE
・吉田大地…土の能力を身につけた地球の少年。クールを装いながら実は仲間想いの熱い男。
・アクー…水の能力を操るイーダスタの少年。冷静沈着にして弓の名手。
フェズヴェティノス
・ハナ…フェズヴェティノスの次期首領。元気のいいメガネ少女の姿でヤック村の人々を扇動する。
・ヒカル…ハナが率いるシキのメンバー。スタイルのいい美しい女の姿で人々を魅了する。
・タマ…同じくシキのメンバーの一人。愛らしい少女の姿で人気を誇る。
・ガウビ…フェズヴェティノスの知恵袋。ずる賢い作戦で純朴なヤック村の人々を操っている。
・クウダン…巨大な体をした男でオヤシロサマの口寄せをする。
・ラプス…ANTIQUEに破れたオオグチ一族の長。
ヤック村の人々
・導師…イータンダティルの教えを伝導する男。
●前回までのあらすじ
何とかオヤシロサマとフェズヴェティノスが関係を探ろうと儀式会場の奥へ侵入を試みた大地とシルバーであったが、寸でのところでガウビに止められてしまう。
そこへ遂にイーダスタ共和国 首長の一人が儀式を見る為会場に到着した。首長に認められる為そのご機嫌をとろうとガウビは必死になる。
一方儀式会場の裏口から追い払われてしまった大地とシルバーは、同じく会場に入る事ができずに困っていたアクーと合流。大地は身の軽いアクーに儀式会場の舞台裏へ侵入するよう指示を出す。承知したアクーが会場の壁に登ったその時、突然儀式の音楽が止んだ。
静まり返る会場に違和感を感じたアクーが見下ろすシキが奉納の舞を踊っていたステージ上には、突如十名程の男女が乱入していた。
「導師…」
「導師だ…」
大地の周りにいる村人達がそんな呟きを漏らしている。
「何事ですか?」
少し慌てたそんな声に大地が振り向くと、ステージの様子を伺おうとガウビが何度も飛び跳ねている。
「あれは何ですか?誰かあの人達をステージから降ろしなさい!」
状況を理解したガウビが近くにいるスタッフらしい若者数人に向かって叫んでいる。しかし、言われた村の若者達は皆 一様に戸惑った顔をして動こうとしない。
今や村人の殆どがオヤシロサマの信者であるとは言え、ほんの数か月前まではその全員がイータンダティルを信仰しており、今突然ステージ上に乗り込んで来た導師の教えに従っていたのだ。
袂を分かってはいても、力づくでその場から引きずり降ろせと言われてもすぐにその通り動ける者など純朴なヤック村の中には一人もいなかった。
「で、でも…」
「ええい!」
埒が明かないとを悟ったガウビは、それ以上誰かに頼らず会場の外に飛び出すと、スタッフ通用口へ向け走り出した。走りながら、その顔に薄く不気味な文様が浮かび上がると、その速度は人間離れした驚異的なものに変わっていった。
「おじさんだあれ?」
突然ステージの上に上がってきた一団の先頭に立つ初老の男に向け、白の巫女であるタマが無邪気な声を掛ける。
「ごめんねー、ステージ上は立ち入り禁止なんだよー」
興奮のあまり抑制が効かなくなった村人達と思った黄色の巫女、ヒカルが相手を刺激しないように軽い口調で諫める。すると、集団の先頭に立っていた初老の男が静かに口を開いた。
「あなた方にとっては、これも神聖な儀式なのであろう。それを邪魔する事は大変心苦しいのだが…。どうしても今一度はっきりと聞いておきたいのだ」
「え?」
ハナが眼鏡の奥から怪訝な顔をして聞き返す。
「あなた達の布教するこの教えは、実のところ、何を目的としているのだろうか?」
「どうしたどうした?」
「おじさん、何言ってるの?」
この場の雰囲気には全くそぐわない声音で訊ねてくる導師に、タマとヒカルが半笑いで訊き返す。しかし二人の小馬鹿にしたような態度も気に留めず、導師は続けた。
「あなた方の神は、この村に何を与えようとしている?」
よく見れば後ろに控える十数人の若者達の目はみな、挑みかかるように光りながら三人を睨みつけていた。
「わっ…」
タマが小さな声を上げる。いつの間にかステージの下最前列にも、舞台上に上がり込んだ彼らと同じ目をした人々が十人程横に並び、自分達を見上げていた。
「おじさん、誰?」
顔を流れる汗を拭う事もなくもう一度言ったハナの声から笑いが消えていた。
「私は、イータンダティルの教えを伝える者」
「はっ!」
男の言葉に眼鏡の奥で一瞬目を見開いたハナは、次の瞬間笑顔になって声を出した。
「そっかー、イータンダティルの伝道師さんかー。で、何?村のみんながこっちに来ちゃったんで、慌てて邪魔しに来た訳―?」
「結果的には、そうなってしまったが…。決してそのようなつもりではないのだよ」
「じゃあどんなつもりなの?」
「君の言う通り、今やイータンダティルの儀式でこれだけの村人を集める事はできない」
決して大きくはない導師の声であったが、静まり返った会場には届いていた。集まった村人達が、その声を聞こうと必死であったからだ。そして、その声は壁の上に立つアクーの耳にも届いていた。
ハッと我に返ったアクーは一度振り返る。通りに大地とシルバーの姿は見えない。どうやら二人も会場の異変に気が付いたようだ。
そう考えた途端自分の役目を思い出したアクーは、目立たないよう静かに壁の上を移動し始めた。
「ここには、村の殆どの人間が集まっている。ここにいる全員の前で、もう一度はっきりと教えてほしいのだ。あなた達の神はこの村に、この人々に、一体何を伝え、何を与えようとしているのか」
「で?それを聞いて納得行ったらおじさん達も私らの仲間になる?」
ハナが究極に可愛らしい笑顔で訊き返す。しかし、導師は静かに微笑みながら首を振った。
「それはできない。私達はイータンダティルの意思を伝える事が法。それを捨て、君達と同じ信仰の道を進む事はできない」
「じゃあ聞いても意味ないじゃーん」
「信仰は自由だ。何者にも強要も、束縛もされはしない。だから、誰が何を信じようと私達は一向に構いはしない。しかし…」
「ん?」
導師はゆっくりと顔を上げると、真っ直ぐにハナの目を見つめて言い放った。
「多くの人々を導く信仰が明らかに誤ったものであるのならば、私達は、私達の愛する人々を救う為、争う事も辞さない」
同朋同士による一切の争いを禁じるイータンダティルの教えを伝える男が、誤った道に踏み込もうとしている人々を救う為に敢えて闘争の意志を表明した事に会場に集まった人々は驚きの声を上げた。あのように挑戦的な導師を見た事は未だかつてなかった。
と、突然会場にケラケラと甲高い笑い声が響き渡った。ハナが大声で笑っていた。体を折り、腹を抱えて正に爆笑をしていた。
「ふ――――っ」
ようやく笑いを収めたハナは一つ大きく息を吐くと、まだ笑顔を残したまま導師に向かって言った。
「やだなあ、もお!怖い顔しちゃって。信じる人が多い方が真実!そうでしょ?オヤシロサマの言葉はわかりやすい、そんでもって実際みんなの役に立ってる。何を与えるって?みんなに幸せになってもらいたいだけに決まってんじゃん?」
「そのわかりやすい言葉で人々を動かし、その果てに何を命じるつもりなのかな?」
導師の変わらぬ冷静な声に、ハナの顔から一瞬にして笑顔が消えた。マイクを持った右手でスッと眼鏡を上げる。
「その言葉を完全に信じ、その言葉通りに動くようになった人々に、最後はどんな言葉を降ろしてくるのだろうか?」
更に導師が言葉を続けると、無表情であったハナの顔に怒りの表情が浮き上がってきた。
「ちょっとおっさん、粋がるのもいーかげんにしたら?自分達の教えが受け入れられなくなったからって、僻んでんじゃないよぉ。みんなは何でイータンダティルを見放したと思ってんの?わかり辛いからじゃん」
「日々の行動一つ一つまで指示してやる事が教えだとは思えない」
「その方が楽でしょおが!何をどおしたら楽しくて、どおしなかったら辛いのか、もしはっきり知る事ができるならその方がいいでしょう?余計な事に悩む時間を、もっと幸せに生きる為に使えるんだよ?何でそんな事がわからないの?」
「神の意思を受け止め、悩み考える事で人々は今ある姿へと進化したのだ。悩む時間は、決して無駄ではない」
「無駄だよ、いつか死んじゃうなら一分一秒を惜しんで幸せになるべきでしょう?」
「幸せとは一代で完結するものではない、長い時間をかけ、後世に伝える知恵を導き出す事こそが、生きる、と言う事だ」
「詭弁!」
「詭弁ではない」
「詭弁だよ!詭弁でしょうが!結局無能で何も伝える事ができないから、それっぽい事言ってるだけでしょう?それを詭弁って言うの、キ・べ・ン!」
「神は無能ではない」
「有能でもないね!ここにこれだけの人が集まっているのが何よりの証拠!それでもまだわからない?じゃあ聞くけど、おたくの神様には何ができるの?具体的な何ができるの?例えばこんな風に奇跡を見せる事ができる?」
そう言ったかともうと、ハナはスカートの中が見えてしまうのも構わずその場で後ろ向きに宙返りをした。その瞬間、ぼんっと白い煙が薄く上がり、美しいハナの姿は一瞬にして一匹の狸に変わった。
言葉を失った導師に反して、会場からは地を揺るがすようなどよめきが沸き上がった。ハナが姿を変えた狸は、物凄い速さでイータンダティルの信者達の足元を駆け巡った。
「キャ!」
「わあ!」
狸が自分の足を掠めるたび、ステージの上に短い悲鳴が上がる。そこを潜り抜けた狸は、ステージ下手にある柱の凹凸に駆け上ると会場を見下ろす場所で止まった。
再び白い煙が上がったかと思うと、その場に元の姿をしたハナが現れた。
「イェ――――――――――イ!」
ハナは柱の上で、楽し気に群衆に向かって手を振って見せた。会場は目の前で起きた疑いようのない奇跡に歓声を上げた。
「神様ってんなら、この位はできてよねー。こんなのタマちゃんだってできるよ?ねえタマちゃん?」
「う―――ん」
振られたタマは大きく頷くと、真っ白い衣装をひらめかせながらハナとは逆に、空中で前回りに回った。タマの姿は一瞬にして、長毛種の白い猫に変わり、すっぽりとヒカルの胸に収まった。
「タマちゃんサイコォォォ――――!」
咥えるように口に近づけたマイクに向かい、ハナが自棄を起こしたように叫ぶ。ヒカルの腕の中で白い猫がもとの愛らしい娘へと変わる。
「見た?ねえねえ、今の見た?こっんなわかりやすい奇跡とか起こせる?イータンダティルの神様はさあ!」
言葉を失い、目を見開く導師に向かいそう叫ぶと、ハナは身軽に取りついていた柱からステージの上に飛び降りた。
「何だ?何が起きた?」
何とか人を掻き分け前に出ようとしていた大地は、今舞台の上で起きた事が見えていなかった。しかし、周囲の人々の雰囲気が一気に変わったのだけは察する事ができた。
「奇跡だ…」
大地の前に立ち塞がる村の男がポツリと呟く。今までシキの歌声やその美しさに夢中になっていただけの村人達は、目の前で起きた奇跡に本当の信仰に目覚め始めていた。
「フェズヴェティノスは獣の習性を持つ、やっぱりあいつらも…」
壁の上で一部始終を見ていたアクーが腰の矢に手を当てる。ステージの真ん中に進んだハナは大きく息を吸うと、空気を切り裂くような大声で叫んだ。
「みんな―――!オヤシロサマの事が、好きだよね――――!?」
次の瞬間起きた村人達の雄叫びに会場中が震えた。その余りの衝撃にアクーの手が止まった。
「クウダン!」
ステージの裏から、いわゆる「奈落」と呼ばれるステージ下の空間に向かってガウビが叫んだ。そこに置かれた大きな椅子には、背の高い帽子で頭を隠したクウダンが静かに座っていた。
「問題が起きた、予定を早める!準備はいいか?」
呼ばれたクウダンが暗がりに光る鋭い眼をガウビに向ける。
「モリガノは戻ったのか?」
「あいつの事だ、抜かりはないと思うが…。お前は予定通りに話せ!私は例のものを用意する!」
そう言うとガウビは、獣じみた素早さでその場から去った。
「と言う訳でおじさん」
会場の賛同を得たハナが、満足気な笑顔で導師を振り向く。
「儀式を続けるから、降りてくれる?ステージから。今すぐ」
「あ…」
「降りて」
何か言いかけた導師の言葉を一切聞かずハナは繰り返した。ステージ上には再びノリのいい音楽が戻ってきた。
「さあ、みんな!もうすぐ今日のお言葉が降りてくるよ!もう一曲、一緒に歌ってね!」
戸惑ったように動けないでいるイータンダティルの信者達を完全に無視し、ハナは観衆に向けて叫んだ。彼女を支持する雄叫びが夜空に響く。
「さすがはハナさんだ。よく立て直したもんだ。これでダメ押しだな」
そこはステージの背後に立つ高い壁の裏。その暗がりで何事か準備をしていたガウビがにやけた顔で呟く。
作業を進めるガウビの背後から近づく黒い影があった。野性的感覚でガウビはすぐにそれに気が付いたが、気にも留めずに作業を進める。
「何をしている?」
ガウビの背中に声を掛けたのは、先のANTIQUEとの戦いで傷つき戦線を離脱していたラプスであった。
「お前には関係がない。今日の作戦は私とモリガノ、クウダンだけで進める」
「………。」
「それより傷はもういいのか?さっさと治してくれ、ANTIQUEとの決戦の日は、思ったよりも近いぞ」
「それは何だ?」
ガウビの言葉を無視するように発せられたラプスの言葉に、ガウビはイラついたため息をつくと振り返った。
「言っただろう?お前には関係ないと!邪魔だ、消えろ!」
ラプスは、赤い目を光らせたまま黙って動こうとしない。ガウビは諦めたようにラプスの前に行くと、人差し指を立てて忠告するように言った。
「いいか?お前は負けたんだ!負けたんだよ、ANTQUEに!私達がこんな事をしなくてはならないのは誰のせいだ?お前らオオグチの一族が負けなけりゃ、私達だってこんな事をする必要はないんだ!」
ラプスは猛り狂ったように早口で捲し立てるガウビの言葉が聞こえていないかのように今、彼が作業をしていた場所を軽く見上げ、立ち尽くしていた。反応のないラプスにガウビが更に続ける。
「今日の作戦についてはオヤシロサマも承知の事だ。余計な事はするなよ?もし私達の邪魔をしようものなら…、殺してやるからな?」
そう言われたラプスの表情が初めて動いた。口の端を歪め、不気味に笑ったようだった。ラプスの赤い宝石のような目がガウビの顔に向けられる。
「できるのか?お前に」
「今のお前だったら、子供にだって倒せるさ。わかったか?わかったらそこをどけ。部屋の中で大人しくしているんだ」
ラプスの大きな体を押しのけ、ガウビがその場を立ち去ろうとしたその時、壁の向こう、儀式が行われている会場から再びどよめきが上がった。
「今度は何だ?」
ガウビは壁の隙間からステージを見下ろした。眼下に広がる会場では、多くの参加者が舞台の方を指さしながら騒がし気に何事か話していた。
慌ててガウビは彼らが指さすステージの上に目を向けた。中央にはハナ、上手側にヒカルとタマの姿が見える。流れている音楽を無視して三人が見つめる先には、見慣れない二人の少女が立っていた。イータンダティルの信者達に続き、またしても乱入者があったらしい。
「なんて日だ!」
ガウビは頭を抱えて叫ぶと、足早にその場を去った。ガウビがいなくなった場所にラプスがゆっくりと近づく。同じように会場を見下ろすラプスの目がある一点で止まる。
その目が炎のように輝きを増した。燃えるような彼の目には、ステージ横に立つ壁の上で下を見下ろす、青い髪の少年が映った。
「アクー…」
巨大な犬歯の覗く大きな口から憎い相手の名前が漏れ出た。黒い鉤爪がギシギシと音を立てる。
「一族の仇…。貴様は、俺がこの手で引き裂いてやる」
そんな呪いの言葉をかけられている事に気が付いてないアクーは、ステージ裏に忍び込む本来の目的を忘れ、高見からステージ上の成り行きを見守っていた。