教会
●登場人物
・ポーラー…元は東の大国フェスタルドの出身であったが匹敵する大国「風の国クナスジア」へと亡命、軍人となる。しかしそのクナスジアからも逃げ出し、この世界で「旅人」と呼ばれる放浪者となってイーダスタへと流れ着いた。そこで意識を失ったアクーと出会い今日まで共に暮らして来た。
・導師…イーダスタの国教であるイータンダティルを信仰する数少ない信者を導く教祖。
●前回までのあらすじ
遂に始まったオヤシロサマの「言葉卸の儀」。その儀式に侵入したココロとキイタ、そしてガイの三人はその儀式に奉納されるシキの巫女による舞に魅せられてしまう。
儀式会場を明るく照らす人工の光やシキの巫女が見せるアイドル張りのパフォーマンスにフェズヴェティノスが関わっている事を確信した大地は、ただ一人冷静さを保っていたシルバーを連れ、そっと会場を離れたのだった。
ヤック村の中心部から外れた小高い丘の上、数人の男女が遠くに見える光を見つめ、風に乗って微かに聞こえてくる喧噪に耳を澄ましている。見える明かりや聞こえてくる音は、オヤシロサマの言葉卸の儀であった。
「さあみんな、時間だよ」
儀式を見下ろす男女の背後から声がした。全員が振り向く先には、大きいが古ぼけた一軒の家が建っており、その家の前に火を灯した蝋燭を手に持った男が一人立っていた。
その男の呼び掛けに表にいた男女はぞろぞろと家の中に入っていった。みんなを呼んだ男が最後に扉を閉めようとして、そこにまだ誰かが立っている事に気が付いた。
「君は…」
男が掲げた蝋燭の灯に浮かび上がったのは、今朝早くイーダスタの森を旅立った筈のポーラーであった。
「イーダスタの祈りを捧げる時間ですか?導師」
丘の上に立つこの家は、今やヤック村では僅かしかいなくなってしまったイータンダティル信仰の信者達が集う教会であった。
「無事だったのか…」
導師と呼ばれた男は驚いた声を出した。自分達を呼び入れておきながらなかなか入ってこない導師を心配した数人の信者が入り口に戻ってきた。彼らもポーラーの姿を見て驚いた顔を見せた。
「ポーラーが帰ってきた!」
信者の一人が叫ぶと、教会の中にいた信者達も次々と出てきた。みな口々にポーラーの名を呼び、森に消えたまま消息を絶っていた彼の無事を喜んだ。
どうやらただの旅人であった筈のポーラーは、数か月の逗留の間に旅人を手厚く出迎えるよう教えを受けたオヤシロサマの信者のみならず、イータンダティルの信仰者達とも交流を深めていたらしい。誰からも好かれるポーラーの人柄ならではであろう。
ひとしきりポーラーの無事を喜んだ後、ふと一人の信者が呟いた。
「待てよ、ポーラーが無事って事は、オヤシロサマの予言が外れたって事じゃないか?」
「そうだ、そうだよ!森へ行っていたんだろう?ポーラー。それでもちゃんと帰ってきた!森が危険だなんて言うのは、オヤシロサマのでまかせだった証拠だ!」
ポーラーの無事をそのままオヤシロサマのペテンを暴く事に結び付けたい信者達がいきり立った声を出す。しかしポーラーはそんな彼らを押し止めた。
「待て、待って。違う、そうじゃない!」
ポーラーの出した大きな声で、喜び合っていた信者達が静まり返る。それを確認したポーラーは一つ息をつくと、冷静な声で話し始めた。
「オヤシロサマの予言は五人の狩人の死だ、それ以外の事は言っていない。そして、その予言は果たされた。ロキの死体は、発見されたのでしょう?」
一人の女性信者が怯えたような顔でポーラーを見る。ポーラーは彼女の顔を見ながらゆっくりと言った。
「俺は森で彼の死を確認した。ロキを殺したのは、フェズヴェティノスと呼ばれる化け物どもだ。間違いなく他の四人の狩人もそいつらにやられたに違いない。狩人達を助けに行った村人も数名やられた。つまり、森が危険になった、と言うオヤシロサマの言葉は正しかった訳だ」
ポーラーの言葉を聞きながら、信者達の顔からみるみる色が失われていった。それと同時に導師と呼ばれた男の顔が険しくなっていく。
「みな中に入れ。祈りを始めよう」
導師がこれ以上ポーラーの話しを聞かせまいとするように信者達を促した。
「だが俺もオヤシロサマを信じる事はできない!」
背中を向け始めた信者達に慌ててポーラーが声を掛ける。行きかけていた彼らの足が止まった。
「余りにも当たりすぎる。人々が生き、栄えていく為の縁こそ宗教のあるべき姿ではないか?働く為の根拠となるべきものが信仰ではないのか?今日明日の人の生き死にを予言して的中させるなんて、例えできたとしても、それを直接伝えて人の行動を決める神がいるなんて俺には信じられないんだ」
ポーラーの顔を見つめたまま動かない信者達の輪の中で、ただ一人振り向かない導師の痩せた背中が見える。ポーラーの声が聞こえているのは間違いない、そう信じ、彼はその背中に向かって話し続けた。
「このままでよろしいのですか?イーダスタ共和国は建国たかだか百年の若い国だ。しかし、イータンダティルの歴史は古い。複数の国が集まり巨大国家を成す際に、その国名は数世紀に渡りこの土地を導いてきた神の名を借り、その導きの教えを国教と定めた。イーダスタが生まれる遥か昔からあなた達の先祖が信じ、指針としてきた教えだ。それが今、消えようとしている。このままで、よろしいのですか?」
ポーラーは、同じ質問を動かぬ背中に投げかけた。
「イータンダティルは、多神教だ」
導師がポツリと言った。そして彼はゆっくりとポーラーを振り返る。
「神の数は、そのまま自然の数でもある。この神々は、我ら人間に対し実に厳しい。神、すなわち自然の与える喜びも、試練も、常に我らが生き抜く為の答えではありえない」
導師は言いながらゆっくりと振り向き、ポーラーに近づいてきた。彼の動きに合わせて信者達の輪が崩れていく。
「収穫の恵み、冬の苦しみ、春の喜び、干ばつの恐怖…。それらをどう受け止め、どう活用し、どう回避し、どう耐え、そしてどう発展させていくか…。その答えはどこにもない」
導師はポーラーの目を見たまま首を小さく振った。
「神は、我らを導かない。我らに歩み寄ってはこない…。そして、神は我らに歩み寄るよう促したりはしない。神はただ、勝手気ままにそこにあるべき事を投げかけるだけなのだ。そして、我ら人間もまた、投げかけられたそれらを自分の勝手で拾い集め、生き抜く為の方法を生み出す礎とするだけなのだ」
「歩み寄れと、促さない?」
ポーラーが聞いた言葉を繰り返すと、導師は穏やかな笑顔を見せて頷いた。
「如何にも。人間が、神の投げかけたあるべき事を拾い集め、生き抜き栄えようが、それら全てから目を背け、耳を塞ぎ、結果滅びてしまおうが…。どの道を選ぶかは人間次第、その結末に、神は一切 頓着はしない。親が子に与えるような、無条件の愛はそこには存在しない。だから、イータンダティルの神々は限りなく優しく、恐ろしいまでに厳しいのだ」
「だが、オヤシロサマは違う。今日起きる事をはっきりと伝え、取るべき行動をわかる言葉で教えてくれる。人々はその言葉を聞こうと、求められるままに貢物を供え、夜な夜な舞を捧げる」
「その道を選んだのもまた人なのだ、ポーラー。踊り狂う彼らの選択が誤っているのか、或いは誰からも顧みられる事なく、朽ちかけた家に集まり陰気に祈る我らこそ誤っているのか…。そこに大した意味はないのだ。彼らの選択に、我が神は怒る事もなく、導くこともない。イータンダティルが、彼らに再び信仰を取り戻させようと自ら動く事はあり得ないのだ」
導師の言葉に、ポーラーは大きなため息を一つついた。
「わかったね?では、我らは我らの信仰の為、祈りを捧げる事にするよ?」
導師は優しくそう言うと、ポーラーに背を向けかけた。
「数世紀も続いた信仰が終わる時ってのは、こんなもんか?こんなにも、脆いものなのか…」
ポーラーの呟きに行きかけた導師が再び振り向く。ポーラーは目を上げ、もう一度導師の顔を見ると口調強く語り始めた。
「イータンダティルの教えを信じたあなた達の先祖は、神の与えるヒントを基にどうしたら長く、子々孫々までこの土地で生きていけるかを考えた筈だ。その末に今の繁栄がある、そうでしょう導師?」
導師は何も言わずポーラーの目を見つめている。ポーラーも負けじとその目を見つめ返したまま続けた。
「オヤシロサマの教えは、人々から自ら考える力を奪う。彼らは、言われるがままに踊りあかし、自らの力で教えを得ていると勘違いをしている。オヤシロサマは自分だけを信じろと教え、自分の言葉だけに従えと人々を扇動している」
ポーラーの言葉が強さを増し始めた。導師も、他の信者達も言葉を挟まずその声を聞いていた。
「オヤシロサマの言葉が正しいのか正しくないのかは問題じゃない。問題なのは、その教えの在り方だ、そうだろう?何も考えず、ただ言われた言葉に従順になる事に慣れ切った人々に、もし間違った事を伝えたらどうなると思う?」
導師が眉間に深い皺を刻み、ポーラーから目を逸らした。
「今はまだ大丈夫かもしれない。でもこれが続いて、村のみんなが物事の正誤を考える事を完全にやめた時、オヤシロサマがもし、もし…愛する者を殺せ、と伝えたらどうなる?自らに捧げよと、愛する者を神の下に送り込みなさいと、そう囁いたらどうなると思う?それが神に報いるただ一つの方法と信じて夫は妻を殺し、子は親を殺すかもしれない」
信者達が不安げな顔で導師の顔を見る。それに気づいた導師は、それらの目から逃れようと更に目を泳がせた。
「そんな準備が今、あの怪しい光の下で行われているかもしれないんだぞ!」
ポーラーが指さす背後には、ぼんやりと光る言葉卸の儀式会場が見える。全員の目がその光を見つめた。微かにシキの巫女が上げる甲高い声や、それに応える村人達の歓声が聞こえてくる。
「イータンダティルの神々が、自ら信仰を取り戻そうと動かないのはわかったよ。だけど、あなた達は神ではない筈だ。あなた達の先祖があなた達に希望を託し、今日の繁栄を信じてこの土地を開拓したように、あなた達も十年後、五十年後、百年後の人々が、今あるこの国で平和に生きる為に、今、立つべきではないですか?同じ人間として、彼らを救おうとは思いませんか?」
「導師!」
一人の信者が叫んだ。それを皮切りに他の信者達も次々に導師の名を呼んだ。しかし、導師の顔に刻まれた苦悶の表情が変わる事はない。
「神の意思に逆らい動いたとして、理解が得られなければ歴史の中で我らは罪人となるだろう」
導師の口から苦し気な言葉が吐き出された。
「それは、イータンダティルの信仰が、偽教、邪教として伝えられる事に他ならない」
「神が殺されるよりはましな筈だ」
ポーラーの言葉に導師は目を上げた。
「神は死なない!」
「誰も信じない神など死んだも同然だ!」
「信仰は死んだりはせん!」
「その信仰が消えかけているんだよ!」
ポーラーの強い言葉に導師が声を失った。
「こんなに脆い筈がない!人々がこの地に立ったその日から続く教えが、こんなに簡単に消え去る筈がないんだ。時の流れと諦める前に、もっと足掻いたっていいでしょう?」
「導師!」
再び数人の信者が叫ぶ。
「導師…」
ポーラーが、数歩歩み寄る。
「彼らに信仰を取り戻させましょう。イーダスタ建国の礎である、イータンダティルの信仰を…。それに失敗すれば、新たな信仰に抗った罪人になるかもしれない。けれど、このままあの善良な人々が自らの力で道を切り開く術を失ったとしたら、その時何もしなかったあなたはやっぱり大罪人だ」
導師は大きく目を見開き、ポーラーの顔を見る。呼吸が荒くなっていた。
「導師…」
導師とポーラーを囲む輪の一番後ろから、一人の男性信者が静かに進み出てきて言った。
「私達は今、岐路に立たされています。どの道を選んでも罪人となるなら、私は甘んじてそれを受けます。ですが、同じ罪人になるならば、何も成さぬ罪を咎められるよりは、何かを成した罪を問われたい」
導師がその信者の目を見た。
「どうか、導いてください。最後まで従います」
信者の言葉を聞いた導師は一度目を伏せると、ゆっくりと背を伸ばした。全員の目がその動きに合わせ、彼の次の言葉を待った。
「豊かな水と、美しい森に覆われたこの大地に人々が足を踏み入れたのは、千年もの昔と伝えられている…」
導師が静かに話し始めた。
「その日以来、神は一度たりとも人を愛さず、まして、媚びる事などありえなかったのだ」
信者達の顔に、明らかに失望の色が広がり始めた。
「その長い歴史の中で、イータンダティルは今日初めて、信仰を得る為に自ら動く!」
「導師…」
ポーラーの顔に笑顔が広がった。他の信者達の表情も明るくなる。
「今日、これから起きる事が、正しいのか正しくないのかは時の流れが決めてくれるだろう。しかし、その行動は我ら人間にしか行えない事だ。そして、過ちの道に足を踏み入れた友を導く事ができるのは、我ら神の言葉を聞くものだけだ…。ここに起きた小さな風は、或いは国をも動かす大風となるかもしれない…。その覚悟はあるか?」
導師が信者達の顔を見回す。全員が笑顔のまま力強く頷いた。それを認めた導師は、ポーラーに目を向ける。
「その小さな風は、一人の、異国の旅人によってもたらされた」
「導師」
ポーラーは少し照れくさそうに呟いた。
「灯りを用意しろ!」
「会場に行こう!」
信者達が慌ただしく動き始めた。そんな中、導師はポーラーの顔を見つめ、静かな声で言った。
「我らは誰とも争わぬ。新しき信仰が、本当にこの村を栄えさせ、そこに住む人々を幸せにするのであれば、共に歩む道を探すまで」
ポーラーは導師の顔を見ながら、それでいいと言う風に何度も頷いた。
「導師、準備ができました!」
「出発しましょう!」
カンテラを掲げた数人の信者が、導師の前に立って暗い山道を照らしながら進んでいく。
「導師!」
信者達に囲まれて山道を下りだした導師の背中にポーラーが声を掛けた。今や自信に満ちた顔となった導師が振り返る。その顔を見ながらポーラーが言う。
「私の愛する人々に、悠久の幸せが訪れる事を祈っています」
導師は小さく微笑むと無言のまま頷き、再びポーラーに背を向けて歩き出した。それを見送るポーラーに声を掛けてきたのは、導師に決意を促した男性信者だった。
「風を起こした旅人の名もまた、長い歴史に刻まれる事でしょう」
「その名前が、罪人としてか、英雄として刻まれる事になるか…」
「自分の起こした風の結末を、ご覧にならなくてよいのですか?」
ポーラーはふと微笑むと答えた。
「俺に、導師の言ったような力が本当にあるのかどうかはわからない。でも、もしもそんな力を俺が持っているのだとしたら…。俺はその力で、自分の故郷を救ってみたい」
信者は無邪気にも見える笑顔を顔いっぱいに広げた。
「正しき道が照らされますように。よい旅を」
そう言うと彼はポーラーに背を向け、仲間の後を追って足早に山を下って行った。
一人残されたポーラーは空を見上げた。そこには満点の星が広がる夜空があった。その雄大な空が続く先に、自分の故郷もまた確かにある。
生まれ育った国、愛する親兄弟、友の暮らす巨大国家、フェスタルド。しかし、その故郷は暴君の支配する独裁国家になり果てた。それを嫌い、国を捨てた自分を息子と呼んでくれた男が国王を務める第二の故郷クナスジア…。
しかし、その大国もまた多くの国々に背を向け、関係を断とうとし始めている。なぜそんな事になったのかはまったくわからない。わかろうともせず、不穏な雰囲気を悟った瞬間、自分はクナスジアをも捨て流浪の民となった。
そうしていくつもの国を渡り歩く内に辿り着いたこの文明の遅れた小さな村で、自分は忘れかけていた穏やかな気持ちを取り戻し、人を想う気持ちを取り戻した。
思うが故に助けられない苦しみに襲われる事もあったが、今、自分は本当にこの村を助けたいと心から感じていた。
その為に人々をよく知り、ここで起きている現状をよく調べ、その事がどうよくなくてどう良いものなのかを考え続け、自分の考え得る最良の選択をし、行動した。
どうしてそうなったのか?国を想うあまり本気でその事に目を向けて行動すれば、あの巨大な故郷をも動かす事ができるのではないか?助けられぬまでも、小さな風を起こす事位はできるのではないだろうか?
だとしたら自分はこれからどこへ向かうべきなのか?生まれ故郷のフェスタルドか、第二の故郷である、風の国、クナスジアか…。
ポーラーはもう一度満天の星空を見上げた。答えは出ない。出ないままにやがてポーラーは導師達が向かったのとは逆の方向へ顔を向けた。
どこへ行こうとも、何をしようとも、無条件に自分を信じ続けてくれたアクーに恥じない行いをしよう。ただそれだけを胸にポーラーは暗い山道に一歩を踏み出した。




