儀式当日
●登場人物
・ココロ…僅か十四歳の公爵令嬢であるが、持ち前の明るさと誰とでもすぐに打ち解ける性格。その為戦闘能力はないが、リーダーとして仲間達からは慕われ、信頼されている。
・吉田大地…土の能力を身につけた地球の少年。六年前に闇のANTIQUEに攫われた幼馴染を助け出す事を目的に仲間になった。冷静で頭がよく、チームの知恵袋として活躍する。
・シルバー…鋼のANTIQUEに選ばれた能力者。ココロの生まれ故郷であるアスビティ公国にて大隊長を務めた軍人。戦闘能力に優れ、的確な判断と指示で戦場ではリーダーシップを執る。
・キイタ…西諸国一の大国ンダライ王国の第二王女。幼い頃から火のANTIQUEに見出されていた能力者。敵の手に落ちたと思われる姉の行方を探そうと旅の仲間となる。
・ガイ…元はシルバーの部下であった軍人。雷のANTIQUEに選ばれた大男。自慢の怪力と雷の能力を駆使して戦う。また、剣や馬の腕も確かで、シルバーとのコンビで活躍する。
・アクー…水のANTIQUEに選ばれた少年。失われた記憶を取り戻そうと六番目の仲間として同行する事となった。人間離れした身体能力と矢を武器に戦う。また順応力に優れ、非常に賢い。
・オウオソの民…三種の魔族の一つであるフェズヴェティノスの中でも一、二を争う強さを誇る戦闘集団。黒い体と大きな翼を持つ。
・モリガノ…オウオソの民の首領。部下達からは「大将」と呼ばれ大きな信頼を得ている。
・テン…モリガノの知恵袋と呼ばれる老齢のオウオソ。
●前回までのあらすじ
ポーラーの旅立ちを受け、本格的に仲間となったアクー。そんな彼が父親のように慕うポーラーが気に掛けていたイーダスタ共和国ヤック村の宗教戦争の事を同じく心配している事を悟ったシルバーは、敢えてそれを無視するようアクーに伝える。
自分達はこの宇宙を構成するANTIQUEと力を合わせ魔族と戦う為に能力者となった。人間同士の諍いに関わる権利も時間も持っていないとシルバーはアクーを諭す。
シルバーの言葉を理解したアクーは、後ろ髪を引かれる思いでヤック村への拘りを振り切ろうと決意した。自分の故郷とも呼べるイーダスタの行く末を見届けたい想いを断ち切る為、「この戦いが終わるまでは仲間でいてくれるんでしょう?」と気丈な笑顔で言うアクーの健気さに、戦いが終わった後も自分達は生涯の仲間なのだとココロはアクーに約束をする。
そんな彼らに大地は一つの疑問を投げ掛ける。ポーラーが見たオオグチは、斬殺した人間の死体を人目につくよう晒す相談をしていたと言う。つまりそれはオヤシロサマの預言が当たったように見せかける為にオオグチ達が手を貸していたと言えるのではないか?と。
一預言者に何故フェズヴェティノスであるオオグチが協力するのかと訊くキイタに、大地はあっさりと答えた。オヤシロサマもまた、フェズヴェティノスなのだと。
フェズヴェティノス達は村人達にオヤシロサマの神託を盲信させる事でこの国を裏から操ろうと企てているのだと推理する大地。それを聞いたシルバーは予定を変更し、ヤック村を調べる事を決める。
素朴な田舎の村に突然現れた新興宗教団体のオヤシロサマ。それが実は三種の魔族の一つであるフェズヴェティノスと大きく関わっているのではないか?いや、オヤシロサマの正体自体が実はフェズヴェティノスなのではないか?そんな疑いを胸に六人の能力者達は一路ヤック村へと向かっていた。
そんな彼らを狙い、今新たな勢力が動き始めていた。オオグチの一族と並び、フェズヴェティノスの双璧を成す戦闘集団、モリガノが率いるオウオソの民だ。
彼らはリーダー格のモリガノを先頭に立て、森の中を疾駆していた。大きな翼の羽ばたきは木々を揺らし、一陣の黒い風の如く半死半生のオオグチの長、ラプスから聞き出したANTIQUEの隠れ家に向かい、目にも留まらぬ速さで移動していた。
ただ、ひたすらに強くあろうとする彼らは残虐非道なオオグチよりも更に好戦的な一族であった。その上、高い知性を持ち合わせている分オオグチよりも遥かに厄介な存在だ。
あらゆる世界の、あらゆる時代において勃発する戦争のその裏側で常に暗躍し、時には表舞台に立って戦い続けてきた種族。それがオウオソの民であった。
そうでありながら、彼らは一時身を置いたある世界の武器に固執していた。短めではあるが鋭い一振りの剣。柄には美しい糸が巻かれ、刃と柄の間には見事な透かし彫りを施した鍔が付いている。鍛え上げられた片刃の剣は、木を張り合わせて作った鞘の中で冷たく銀色の光を放っている。
めいめい移動の妨げとならぬようその剣を背中に背負うように差していた。膝上を隠す裾の長い銀色の上着をはためかせながら虚空を舞う姿は、恐ろしくも、一種の凛々しさを感じさせた。
不意に一団の先頭を行くモリガノが長い爪を蓄えた指を左右に向けると、後続のオウオソ達はその都度数匹のグループを作り、モリガノが示した方向へと散っていった。
どうやら彼らは森の方々に見張りを立て、ANTIQUEの能力者達を森の中から一歩も出さないつもりでいるらしい。
オウオソの民に限らず、フェズヴェティノスの種族がこのイーダスタ共和国へ根をおろしたのはつい最近の話しだ。それにも関わらず、モリガノはこの森の広さを大凡把握しているらしかった。
いくつかのグループをポイントとなる場所に配置したあと、モリガノはただひたすらにラプスから聞き出した場所を目指して空を駆けた。
一方その頃。オウオソと言う刺客が放たれているなどとは夢にも思わないココロ達能力者一行は、既に仮宿としていた洞窟を発ち、ヤック村へと向け移動を開始していた。とは言え、テリアンドスの戦いで二頭の馬を失った彼らの進行は決して早くはなかった。
イーダスタの広大な森を踏破するには歩きなれた大人の足でも六時間は掛かると言われている。
その森の中央付近にあった彼らが過ごした洞窟は、ヤック村から三時間程歩いた場所に位置していた。
桁違いの身体能力を誇るアクーやオオグチ、オウオソの民であれば三十分程度で辿り着く事ができる。しかし、ココロ、大地、キイタに馬を譲ったシルバーとガイの二人はその道を駆け足でついて行く外ない。
彼らが如何に常人離れした体力を有していたとしても、馬の足並みに合わせて駆け続け、それでも村まで二時間。アクーは頭の中でそんな行程を組み立てていた。
しかし、オヤシロサマの正体を探ろうと必死で走る彼らを木の上から見下ろしながら、アクーは決して急がせる事はしなかった。
フェズヴェティノスが自分一人で挑んで敵う相手でない事は先の戦いで嫌と言う程思い知らされた。そして何より、アクーにとって汗を飛ばして走る五人は間違いなく仲間であった。彼らと共に行動する事こそ、今のアクーには重要事に思えたのだ。
「アクー!」
呼ばれたアクーが下を見ると、木の根元に二頭の馬がいた。大きな馬の背中には大地とキイタ。スマートな馬にはココロが跨り、自分を見上げている。
今自分を呼んだのは大地であったようだ。しかし、話しを続けたのはココロであった。
「ごめんアクー、二人ももうすぐ来るから」
ココロが言い終わるよりも早く、彼らの後方から繁みを割ってシルバーとガイが現れる。全身を流れる汗が水蒸気となって両肩から立ち上っているのが、木の上からでも見て取れた。
「少し休もうか?」
ポーラーの看護を受け全快したとは言えシルバーもガイも病み上がりだ。そんな二人を気遣ってアクーが大きな声で言うと、ココロはシルバーの方を振り返った。しかし、そんな様子に真っ先に応えたのはガイであった。
「何言ってやがる!俺達なら大丈夫だ!」
シルバーもそれに続く。
「アクー、私達の事は気にするな。この程度で潰れたりはしない」
シルバーもガイも強がりだ。そんな彼らがそう言う以上、アクーが何を言おうがそれを曲げて休憩を取りたいなどとは言わないだろう。アクーはクスリと笑うと再び体の向きを変え、次の木を目指す構えを取った。
その時、アクーの肌に異様な感覚が走った。アクーは木の上で大きく振り返った。
(何だ、今の?)
何かが物凄い勢いで飛んでいくのを感じた。肌に触れる風として、耳に届くはばたきとして、そして、不安を掻き立てる悪意としてアクーに届いた。
「アクー?どうした?」
大地が木の下から問い掛けて来る。アクーはじっと自分の後方に広がる森を見渡した。風に吹かれ静かに揺れる森に、変わった所は見受けられない。
「いや…、何でもない」
アクーは呟くと、今度こそ次の木に向かい軽々と宙を飛んだ。
「一足違いであったか…」
場所はココロ達が旅立ち、無人となった洞窟であった。その場所を前に、モリガノがぼそりと呟く。
「誰も隠れている気配はありません」
ゆったりとした足取りでモリガノの元にやって来たオウオソが報告する。テンと言う名のこのオウオソは、モリガノの知恵袋とされる老年の戦士であった。
テンの報告を聞いたモリガノは、十数匹の手下によって徹底的に調べ尽くされ散々に荒らされた洞穴に背を向けた。
(ANTIQUE…)
何かヒントを掴もうと捜索を続ける部下の行動を背に、モリガノは静かに両の拳を握りしめた。
(どこに行こうと、このモリガノが必ず仕留めてみせる…)
テンが再びモリガノの傍に寄って来た。
「ここを去ってまだ間もない様子…。大将、どうしますか?」
「儀式まではまだ間がある。村へ向かう道はほかの連中に任せるとして、少し先まで見に行こう。」
モリガノが答える。目指す相手がいないのでは他にする事もない。
「撤収!移動を開始する、ANTIQUEを追うぞ!」
作業を続ける部下達に向かい、テンが大きな声で叫んだ。
「見ろ」
時間はとうに昼を回っていた。モリガノの声なき指示により木の上で見張りをしていたオウオソの一人が声を出した。傍にいたもう一人のオウオソが仲間の指し示す方を見る。
蹄の音も高らかに、二頭の馬が砂埃を巻き上げながら森の中を疾駆する姿が目に映った。
「あれはまさか、ANTIQUE…?」
「どうかな?しかし村ではこの森への出入りは禁止している筈。可能性は高い」
「大将達は、すれ違いであったか…」
彼らにはそれが何者であるかはわからなかった。ただ、今この森にいるのは宿敵ANTIQUEの能力者達だけと聞いていた。
「ならば、倒すほかはあるまい」
「うむ」
そう言い合った二人のオウオソは指笛を鳴らして周囲の仲間を呼び集めた。ココロ、大地、キイタの乗る馬が自分達のいる木の下まで来た時、彼らは躊躇なくその目の前に降り立った。
突然現れた黒い集団に、ココロ達三人は慌てて馬の手綱を引いた。目の前に立ち塞がる集団の全員が、見た事もない異形の姿をしていた。
顔の半分は鋭い歯の並ぶ大きな口だ。顔と言わず手と言わず、見える肌は全て漆黒の毛で覆われ、その背中には巨大な黒い翼が大きく蠢いていた。
「フェズヴェティノスね!」
その異様な姿にココロが声を上げる。言葉もなく三人の前に立ち塞がるオウオソの一団は、やや緊張した面持ちで立ったまま、動く気配を見せなかった。
自分達の実力に絶対の自信と誇りを持つオウオソの民とは言え、相手があのオオグチ一族を壊滅寸前にまで追い込んだANTIQUEの能力者かもしれないと思えば慎重にならざるを得ない。
オウオソにとって目の前の相手がANTIQUEであるかどうかは特に問題ではなかった。その可能性があるのならばこれを排除する。結果、間違いであったとしてもその犠牲となった命に対する良心の呵責などは持ち合わせてはいなかった。
一人のオウオソがざっと音を立てて間合いを詰めたその時、どこから射られたものかその右肩に深々と矢が突き刺さった。
矢に射られたオウオソは悲鳴を上げて地を転がった。仲間を射抜いた矢がどこから飛んできたのか、周りにいたオウオソ達は咄嗟に辺りを見回した。前方上空より射られたものだと言う事だけはわかっていた。
次の瞬間、大地は馬の脇腹を蹴ると敵の一団へと突っ込んだ。不意を突いた矢による攻撃で慌てていたオウオソ達は、大地のその行動に思わず陣形を崩した。
大地の操る黒く巨大な馬はオウオソの集団を蹴散らそうとその場で回転しながら大槌のような蹄を振り回す。
すぐに冷静さを取り戻したオウオソの一人が翼を広げ宙に舞う。手綱を手に馬を操る黒髪の少年を目にしたオウオソは、背中の剣を抜き去ると上空からその騎手に襲い掛かろうと身構えた。
しかしその時、またしても射手不明の鋭い矢が空気を切って飛んでくると、その胸を深々と貫いた。
突然始まった戦いの混乱の中で大きな声が上がった。木の上に隠れ、眼下のオウオソを弓で狙っていたアクーはその声にハッとして顔を上げた。
そこに見たのは、俄かには信じられない光景だった。敵を引き付けるようにその中心で暴れていた馬が火を噴いている。
その馬の動きに合わせ、まるで大蛇のように長く伸びる灼熱の炎が踊りうねっていた。間違いなく、馬上のキイタが生み出したANTIQUEの炎だ。
「キイタ!控えめに!」
アクーが叫んだが、その声は阿鼻叫喚の灼熱地獄と化した敵陣の中で掻き消された。
「早く!」
「キイタ!ココロと一緒に!」
そんな言葉と同時に大地が馬の背から地に飛び降りた。それを合図としたように敵に向かって伸びていた真っ赤な炎は嘘のように消え失せた。
「ココロ!」
キイタの鋭い声に、後方で控えていたココロが顔を上げる。キイタが自分には大きすぎる馬体を必死に操りながら叫んでいた。ココロは強く頷くとキイタの後を追って戦場を離脱しようと走り出した。
「大地…」
走りながらココロは、一人残った大地を振り返る。激しく揺れる視界に、自分に背を向けて一人立ち尽くしている大地の姿が遠のいていく。
彼の体は薄い黄色の光に包まれていた。いくつもの小石が、まるで生き物のように彼のその輝く体を取り巻いてるのが見えた。それを確認したココロは、顔を前に戻すと迷う事なく村へ続く道を駆け抜けていった。
油断なく大地を取り巻くオウオソの一団がその輪を縮めようとしたその瞬間、、地を揺るがすような野太い叫び声と共に藪の中から更に二人の屈強な男が、それぞれ剣を手に飛び込んできた。言うまでもなく、遅れて追いついたシルバーとガイだ。
「行って!」
「逃がすな!」
「追え!追え!」
突然の襲撃により任務を邪魔されたオウオソ達は、狼狽えながらも叫んだ。その声に数人が反応し、翼を広げた。
「アクー!行け!お二人を頼む!」
「わかった!」
敵と剣を交えながらシルバーが飛ばした指示に木の上にいたアクーはすぐに答えると、あっという間にココロ達を追って森の中へ姿を消した。
木を渡って行くアクーをを追うとしたのか、何人かのオウオソが大きな音と共に翼を広げ宙に舞った。
「どこへ、行く気だっ!」
大地が気合一閃鋭い声を発すると、彼の体を取り巻いていた数十の小石が一斉に飛び立った敵目がけて撃ち出された。
広げた翼に弾丸のような石礫を食らったオウオソの一団は、錐揉み状態で地に叩きつけられた。
ココロ、キイタ、そしてアクーの去った小道を塞ぐようにシルバーとガイ、そして大地が横並びに立った。
「前の連中とは違うな」
シルバーがぼそりと呟く。
「まんまカラス天狗だ」
大地が笑いを含んだ声で言うと、オウオソの集団は一瞬 怯んだように身を退いた。
「あんだって?」
敵から目を逸らす事無くガイが訊き返す。
「俺の生まれた国にある伝説の妖怪でね。そうか、こいつらの事だったんだなきっと」
そう言うと大地の目が急にキラキラと輝き始めた。大地はまるで友人にでも接するように目の前に立つオウオソの一団に馴れ馴れしく話し掛けた。
「そうなんでしょう?君達は地球に来た事があるよね?妖怪って、フェズヴェティノスの事だったんだね!じゃあさ、河童とかもいるの?一つ目小僧やろくろ首は?」
顔を上気させながら興奮気味に聞く大地に答えるオウオソはいなかった。代わりに彼らは全員無言のまま背負った剣に手をかけると、低い姿勢のまま半歩身を退いた。
先に逃げた三人を追う事を諦めたのか、残ったオウオソ達は手に手に剣を持ちジリジリと三人を取り囲んだ。
「お前と会話をする気はないようだぞ、大地」
シルバーがそっと言う。
「ちぇー、つまんねえ連中」
「大地、お前もココロ様達と行った方が良かったんじゃねえか?」
ガイが揶揄うような声で言う。その言葉に大地がニヤリと口元を歪めた。
「やだなぁ、なめてもらっちゃ困りますよ先生」
「後悔するなよ」
「自分の身ぐらい自分で守ります」
「さっさと片づけるぞ!」
言いながらシルバーは剣を肩に背負うようにして身を落とした。大地の右腕が光を増し、みるみる大きく膨らんでいく。
二人の一歩前に出たガイが剣を天に突き上げ大声を張り上げた。それを合図に一斉にオウオソ達が三人に向かって襲い掛かって来た。
自分の手に余る馬の巨体を必死に制御しながら可能な限りの速度で走っていたキイタは、駆ける道の先に光を見つけた。
森の出口だ、確か森を抜ければすぐにヤック村の筈。励まさられる思いでキイタは先に見える光に向かい更に馬の腹を蹴ろうとした。
その時、突然目の前に一つの影が降り立った。木の上を渡り、ココロはおろか、先頭を行くキイタさえも追い抜いたアクーであった。
彼の突然の出現に、キイタは慌てて手綱を力いっぱいに引いた。突然の急制動に馬が激しく嘶きながら前足で立ち上がる。危うく落馬しそうになったキイタは固く目を瞑り、必死に馬の首にしがみついた。
「キイタ!」
急いで駆け付けたアクーがその手綱を取り、何とか馬を落ち着かせる。寸での所で落馬を免れたキイタが、大きなため息をついた。
「大丈夫?」
馬の轡を持ったままアクーが心配そうに馬上のキイタに声を掛ける。
「う、うん…」
まだ動揺の残る声でキイタが答える。そんな二人の耳に、後方から迫る蹄の音が聞こえてきた。キイタとアクーが音の方を振り返ると、森の中から馬を走らせるココロの姿が見えてきた。
「大丈夫、追手はないようだ」
アクーの言葉に、ココロとキイタは息を弾ませながら今 駆け抜けてきた森の小道を振り返った。
(シルバー、大地…ガイ…)
追手)がないと言う事は、三人がそれを食い止めてくれている証だ。必死に戦う三人の姿を思い浮かべたアクーは、すぐにでも彼らの元へ駆け戻りたい衝動を覚えた。
しかし、今自分はそうするべきでない事も同時に理解していた。胸の張り裂けそうな思いを堪えてアクーはココロに話し掛けた。
「さあ行こう。あのフェズヴェティノスは三人に任せて。僕らには僕らの役目がある、そうだろう?」
不安げな顔を森の奥へ向けていたココロは、アクーの言葉に顔を戻すと言った。
「そうね…。私達だけでも儀式に潜り込んで、オヤシロサマの正体を掴まないと。じゃなきゃ三人の行為が無駄になってしまう…」
村の入り口には立ったものの、まだ人と出会ってはいなかった。三人は何に遮られる事もない午後の日差しの降り注ぐ平坦な地を見渡した。
「ココロ」
キイタの小さな呼び掛けにココロが顔を向けると、彼女は馬上のまま前方を指さしている。キイタの指し示す方向へと顔を巡らせると、その先に一軒の家が建っているのが見えた。
然程大きな家ではないが柵がされ、水汲み場があった。間違いなく生活する者のある家であった。ココロは一度キイタと目を見交わすと頷きあった。
「アクー」
ココロの声にアクーが馬上を見上げる。
「言葉卸の儀について私達は何も知らなすぎる。まずは情報を集めましょう」
そう言うとココロはゆっくりと自分の馬を前方に見える家へと向けた。アクーもキイタの乗る馬の轡を持ったまま後に続いた。
柵の前まで来たココロが馬を降りるとキイタもそれに倣い、アクーの手を借りながら巨大な馬の背から地に降り立った。
すぐに馬の鼻面を優しく撫でながら労う。アクーは、手近な柵に手綱を回すと、ゆっくりと家の入口に近づいた。
人の気配がしない。扉は硬く閉ざされていた。そっと扉を叩いてみたが、案の定返事はない。一度ココロとキイタを振り返ったアクーは、大きく息を吸い込むと声を張り上げた。
「あの…、すみませーん。えっと、旅の者なんですけどー」
「はーい」
女の声が家の中からではなく、裏手から聞こえてきた。暫くすると、家の横からよく肥えた年配の女が現れた。水仕事でもしていたのか、前掛けで手を拭きながら愛想のよい笑顔で近づいて来る。
「あらあら、これはこれは…」
そう言った女はアクーの顔を見るなり満面の笑顔を作った。
「すみません、馬に水を貰えませんか?」
その笑顔に勇気を得た思いで、アクーが訊ねる。
「ああ、勿論いいよ。いくらでも飲ましてやりな。外国の方かい?どこから来ました?」
「後ろのお二人はンダライ王国の貴族の娘さん方で、僕は通訳 兼ガイドなんだ」
「へえ!ンダライから?女の子二人だけで?随分とまあ遠くまで来たもんだねえ!」
アクーの説明に、女はココロとキイタの方を見ながら大袈裟に驚いた声を上げた。
「この村で行われる言葉卸の儀を見物なさりたいそうなんだ」
二頭の馬を水飲み場に連れて行きながらアクーが説明すると、女は再び笑顔に戻り嬉しそうな声を出した。
「そうかい、それはついていたねぇ。今日はちょうどその儀式が行われる日なんだよ。ああ、でも儀式は夜からだから、良かったらそれまでうちで休んでいくといいよ。さ、上がりな」
女は笑顔でそう言うと、家の扉を開いた。
「馬をつないだら僕も行くから、先に行っていて」
アクーが言うと、持ち前の人懐っこさで笑顔を作ったココロは、女の促すまま家の中へと入っていった。それを見たアクーが近くにいるキイタにそっと言った。
「君達はンダライの貴族の娘で、この村の儀式見物に来た。僕はその為に雇われた通訳 兼ガイドと言う事にしておいた」
「どうしてンダライ?」
「大国の方が身元が割れにくい。別々の国のお姫様が揃って来たなんて言ったら、話しがややこしくなるよ」
「なるほどね」
納得したキイタが頷く。
「さ、行って」
そう言うとアクーは馬の世話に戻った。アクーから離れ、家に向かいながらキイタは思った。
(アクーは何て頭がいいんだろ。今の一瞬でよくもまあ咄嗟にあんな言葉が出てくるもんだわ)
シルバーやガイの戦闘能力は大いに頼りになるが、このような場面では正直アクーや大地の知恵が何よりも心強く感じる。
これから先、更にいくつもの国を渡っていく以上自分もあの位の事がすぐに言えるようでなければ、ココロを守って旅なんかできない。とキイタは思った。
(私はもう守ってもらうお姫様じゃない。ココロを守って戦う戦士なんだから)