鋼の能力者 ~デュール~
●登場人物
・ココロ…アスビティ公国公爵令嬢。始まりの存在、ゲンムのバディとして仲間を探す旅に出た。
・シルバー…アスビティ公国第二境界警備小宮第三警備隊隊長。しかし、その正体は…?
・フルゥズァ…同じく警備隊第六分隊筆頭隊士。ココロとは幼馴染であり、彼女の初恋の相手。
・ダキルダ…アテイルの斥候。ANTIQUEの声を聞く事ができる唯一の魔族。
・エルーラン…アテイル一族首領であるクロノワールの命令でダキルダの補佐をする下等竜。
鬱蒼とした暗い森の中から、ダキルダは湖の向こうで明るく光るアスビティ公国 第二境界警備小宮を見つめていた。
広いベディリィ湖を挟んでなお、小宮の中の楽しげな喧騒が聞こえてくる。
ダキルダは地面から近い太い枝に腰掛けたまま、暗闇に浮かぶ美しい輝きを見つめていた。
「ダキルダ殿」
ガサガサと茂みを掻き分けながらダキルダに声を掛ける者があった。主君クロノワールから預かった下等竜のエルーランだ。
本来は空を飛ぶ巨大なドラゴンである体を今は人間のように変化させ、略式の鎧を身に着けていた。しかし、その首から上はどう見ても人間ではなく、蛇か蜥蜴を思わせる爬虫類のような顔をしていた。
「よいのか、こんな所にいて。ここはまだアスビティ公国の領地、クロノワール様からは隣のンダライ王国へ行くようにとの命令が下っていたのでは?」
「気にするな。それよりエルーラン、メロ殿がアスビティに送り込んだアテイルの者はわかっているか?」
「無論だ。現在作戦進行中の同胞はすべて把握している」
「さすがだ。ではエルーラン、一つ頼まれてもらいたい。あそこに見えるアスビティ公国の砦へ侵入した同胞に、伝言をして来てほしい」
「しかし俺は変化の技はあまり得意ではないが…」
「方法は任せる。だが、あくまでも人間共には知られぬよう密やかに願いたい」
エルーランは少しの間黙ったままダキルダを見つた。ダキルダは自分を見もせずに遠く輝くアスビティの砦を見つめている。
クロノワールの側近であるダキルダには一応最低限の礼を尽くしてはいるが、正直なところ自分がなぜこんな小さい者の指図で動かなくてはならないのか理解してはいなかった。
クロノワールからは、すべてダキルダの指示で動くようにと命令が下っている。ダキルダはともかく、アテイル一族の実質的指導者であるクロノワールの命令とあらばいちいち理由を問う訳にはいかないし、ましてやそれに反抗する事などありえない話であった。
「承知した。それで、一体何を伝えれば?」
「うむ。あの砦の中にな、ANTIQUEの能力者が複数いる」
「な…!!それはまことか!?」
「私が嘘をついてどうなる?」
ダキルダは軽蔑したような笑い声を立てた。
「いや…」
「まだ、奴らは互いに出会ってはいないようだ…。そこでだエルーラン」
「うむ」
「砦に入り込んでいるアテイルの者に今夜半、ココロ殿の部屋を訪ねるよう伝えてほしい。奴らが出会う前にココロ殿に近づき…隙をついて捕らえるようにとな」
「捕らえる?なぜあの娘を?」
「お前に答える必要などないが、知りたいならば教えてやろう」
エルーランはあくまでも自分を手下扱いするダキルダに腹が立ったが、ANTIQUEの動きを知る能力を持つ以上逆らう訳にはいかなかった。
「あの公爵令嬢こそ、“始まりの存在”なのだよ」
「なんだと!?」
「大きな声を出すな、エルーラン」
ダキルダは迷惑そうに顔を顰めると、初めてエルーランを見た。
「これは…。しかし、そうであるならば捕らえるなどと言わず一気に亡き者としてしまえば…」
「短絡的な事を言うなエルーラン。ここであの娘が死んだら、それも自国の砦の中で殺されたとあってはそれこそ大騒ぎだ。秘密裏に事を進めようとしているクロノワール様の邪魔となる」
「捕らえたとしても、騒ぎになるのは同じでは?」
「生かしておけば何かと使い道はあるものだ。なにせ“始まりの存在”は他のANTIQUEを引き寄せる力を持っている…。奴らをおびき出す事ができるならば、ゴムンガ殿の仕事もかえってやりやすかろう」
短絡的と罵られた事でエルーランの怒りは増したが、同時にダキルダの言う事が正しいとも感じていた。
クロノワールの邪魔となるような事は避けるべきだし、ゴムンガの役に立つと聞かされればそれ以上言う事はなかった。
「わかったら行け。お前は余計な事は考えなくていい」
(こいつ…ガキみたいななりをして、なんと生意気なのだ…。今はクロノワール様の手前従っているが、作戦が成功したあとは必ず俺がぶっ殺してやる!)
エルーランは歯ぎしりをする思いでダキルダの背中を睨みつけた。
(ANTIQUEの声を聞く能力のお陰でクロノワール様に重宝されているようだが、そもそもこいつは我らアテイルの者ではないのだ。作戦が無事に終われば、クロノワール様とて何も言いはすまい。今のところは言う事を聞いておいてやる)
「わかった。では、すぐに」
そう言うとエルーランはダキルダに背を向け、再び闇の中へと姿を消して行った。
「ふん、雑魚が…。お前の考えなどお見通しだ」
闇に消えたエルーランにダキルダは小さく呟いた。勿論、当の本人には聞こえはしなかったであろうが。
(さて、うまくやってもらおうか。ここで始まりの存在をこちらの手に落とせば戦況は一気にアテイルに傾く…。私の目的達成の為にも、ここは是非とも勝っておきたい局面だ)
片足を胸元に引き寄せ、相変わらず明るい砦を遠くに見つめながらダキルダは、一人そんな事を考えていた。
ココロを囲んでの晩餐は賑やかな中で楽しく幕を閉じた。ココロは来た時と同じように女房の案内で部屋に戻り、同席した隊士達もそれぞれ食堂から散っていった。
給仕係達が後片付けに忙しく動き回る食堂の中で佇んでいるのは、第三警備隊の隊長、シルバーだ。
「隊長」
何を思っているのか、厳しい顔つきで立ち尽くすシルバーへ声を掛ける者があった。振り返ればそこには、第八分隊長のブルーが立っていた。
「ブルーか、どうした?」
「隊長、本日の私の同席にはどのような意味があったのですか?私以外の者はみな姫と面識があったと言うのに、私などが同席をしたもので姫も妙なお顔をされておりました」
「うむ」
片付けが進む食堂内を見回していたシルバーは短くそう答えたまま黙りこんでしまった。ブルーは辛抱強く隊長の答えを待った。
やがてシルバーはブルーの顔を見て言った。
「場合によってはお前の腕を必要とする状況もありうるかとも思ったのだが…。私の考え過ぎであったようだ」
「は?」
待ちに待って得られた答えは、却ってブルーを混乱させた。
「しかし…」
ブルーの怪訝そうな顔を気にも留めず、シルバーは続けて言った。
「姫は随分と、賢い女性に成長されたものだな」
「隊長?一体…」
「ブルー」
「はい」
「私はこの小宮の中でお前を一番に信頼している。いや、公軍全体の中で、と言ってもいい」
「ありがたい事です。しかし…」
「今日は居心地の悪い思いをさせてすまなかったな」
そう言うとシルバーはブルーに背中を向け、出口の方へ歩き出してしまった。
「あ、隊長…!」
まだ何も答えてもらえていない。去って行くシルバーをブルーは慌てて追いかける。
「そうだ」
そう言って何かを思い出した様子のシルバーが急に足を止めた。上官の背に当たりそうになったブルーは泡を食って立ち止まった。
「すまないついでにもう一つ頼みがある。お前、今夜は朝まで装備を付けたまま待機していてはくれないか?」
「それは勿論構いませんが…。どこの警備を?」
「警備ではない、待機だ。自分の部屋でいい」
「自室で?」
「決して他の者には知られるな。部下にも、上官にもだ」
「隊長、よくわかりませんが」
「ブルー」
「はい」
「頼む、何も聞かずに従ってくれ。それが功を奏するか無駄に終わるかは今夜中にはわかる。もし…」
シルバーはブルーから目を逸らすと苦しげにも見える表情を作った。しかしそれも一瞬の事で、すぐに顔を上げ再びブルーを見つめると言った。
「もし異変があった場合にはよく状況を見極め、お前が警備隊の隊士としてやるべきだと思う事をしてくれ」
「隊長は、何か起きるとお考えですか?」
「すべては今夜。朝までにはわかる事だ。今はそれ以上は言えない。頼まれてくれるか?」
「ご命令とあらば。…私は、私の正しいと思う事を行えばよいのですね?」
「その通りだ。…ブルー分隊長、今日はご苦労であった」
そう言うとシルバーはブルーに背を向け、今度こそ食堂を出て行った。一人取り残されたブルーは何が何だかわからないままシルバーの去った食堂の出口を見つめていた。
本来ならば入浴をし、旅の埃を落とした後で食卓につくべきであった。しかし小宮に着くなり泥のように眠ってしまったココロは、行儀が悪いと思いながらも同席者を待たせる訳にもいかず、すぐに食事の席についてしまった。
その晩餐も終わり私室に戻ると、今 漸く部屋の風呂で体を清めたところであった。
まだ火照りの治まらぬ体のまま窓辺に立つ。満天の星空を映して眼前に広がるベディリィ湖は、昼間とはまた違った美しさを見せていた。
ココロはそっとゲンムの石に手を触れた。食事の席で一度、「この中に能力者がいる」と伝えてきて以来ゲンムは沈黙を守っている。
ココロはゲンムの石に触りながらも、メッセージを送ろうとはしなかった。今夜半、鋼の能力者を名乗る者はそう言った。
(今夜半、お目にかかります)
その時刻はもう間もなくであった。
(姫)
突然であった。何の予告もなく、その声はココロの頭の中に響いてきた。ココロは目に見える程ビクンと肩を震わせた。
(来た!)
(姫、聞こえていますか?)
ココロは気持ちを落ち着けようと一つ息をつくと、一際ゆっくりとした声で答えた。
(聞こえています)
(私は鋼の能力者。ご推察の通り、この小宮の中におります。只今姫の部屋に向かっておりますが、先程申しあげました通り敵が近くにおります。念の為、不測の事態に備え、すぐに動けるようご準備を)
(わかっています。心配は無用です)
(では、間もなくお目にかかります。そのまま部屋にいらしてください)
そう言ってメッセージは途切れた。
ココロは大きなため息を一つついた。自分でも気づかぬ内にかなり緊張していたらしい。誰であるのか聞いてみたかったが「敵」と言われればそれも差し支える気がして敢えて聞かなかった。
(もうすぐ会える。最初の能力者、共に戦う同志に…。鋼のANTIQUE…)
一体誰であろうか?今の声を聞いても確信が持てない。緊張屋のザイルや、財務管理のイルファーではないように思えるが…。
ロズベル?デステル?ジャルアかもしれない。それに、彼の言う「敵」とは一体何者なのか?
食事の間中、すぐ隣にいながら殆ど会話らしい会話ををしていないあの冷たい目をしたシルバー隊長が自分の知らないブルーと言う分隊長を同席させたのにはどんな意図があったのか?
(それに…)
後で気がついたが、シルバーが隊長を務める第三警備隊の副隊長であるアローガは食事中、始終陽気でよく喋ってはいたが、今にして思えばあの男とは思い出話を交わしていない…
何故だろう?隊長のシルバーを筆頭に、彼に関わる者はみなどうにも怪しく思えてしまう。
(敵が、一人とは限らない?)
ココロがそんな不吉な事を思いついたその時だった。背後の扉が密やかに叩かれた。
ココロはゆっくりと振り返る。暫くそのまま息を殺して扉を見つめていた。相手も再び扉を叩く事はなかった。一枚の扉越しにじっと互いの様子を伺っていると言った具合だった。
ココロは足音もなく扉に近づくと、そこでまた動きを止めた。この扉の向こうに能力者がいる。鋼のANTIQUEの能力者が。
ココロは扉に手を触れ、できる限り音がしないように静かに押し開けた。果たしてそこには、ココロがよく知る一人の男が立っていた。彼の顔を見た瞬間、ココロは足から力が抜けその場に崩れそうになった。
「あ…」
自然と声が漏れた。涙が出そうだった。
「しっ」
口元に指をあてた相手の男は廊下の左右を確認すると、ココロを押し戻すようにして部屋の中へと入ってきた。
「姫、お待たせしました」
爽やかで、懐かしい声。誰よりも、誰よりもそうであってほしいと望んだ人物が今、ココロの目の前に立っていた。
「フルゥズァ…」
彼が、彼が鋼のANTIQUE…。ココロの瞳にみるみる涙が溢れてきた。知らぬ内にココロは、フルゥズァの子供の頃とは違いすっかり逞しくなった胸に取り縋っていた。
「姫、話しは後です。出発の準備を」
フルゥズァがココロを自分から引き離し、急かすように言った。しっかりとココロの両肩を掴む手には、必要以上に力が籠っていた。
「え?」
「この小宮内には既に敵の手が回っております。このまま夜の闇に乗じてここを脱出しましょう。正直、私にも誰が敵で、誰が味方なのかはっきりとはわかりません。誰も信用できないとなれば、ここはいったん身を隠す方が賢明です」
フルゥズァのその言葉は納得できた。
「うん、わかった」
言うとココロはタンスへ駆け寄り、準備していた荷物を取り出した。万が一を考え最低限の旅支度は一式揃えておいた。父公に送られた護身用の剣もその中にあった。
「さあ姫、急ぎましょう」
フルゥズァはそう言うと先に立って扉を開けた。
「あっ!」
フルゥズァが驚きの声を上げる。扉の外に男がいた。背後から廊下の光を浴び、シルエットとなってフルゥズァの前に立ち塞がっている。
顔は影となって見えなかったが、その身長、背中まで届く流れ落ちる滝のように美しい銀色の髪の毛、間違いようがない、それは第三警備隊隊長のシルバーであった。
シルバーは食事の時の正装を既に解き、合戦時とまでは言わないまでも戦闘用の軽装備に着替えていた。
その腰には公軍随一と噂される得意の剣を吊り、その鞘をいつでも抜ける構えで左手で支えていた。
「シルバー隊長…」
フルゥズァが殺した声で呟く。ココロは荷物を胸に抱いたまま驚きのあまり声も出せずただ立ち尽くしたままでいた。
「フルゥズァ、何故君がココロ様の部屋に?」
相変わらず低く、囁くような声でシルバーが問い掛けてきた。
「いや、これは…」
その鋭い眼光の迫力に、フルゥズァは思わず二、三歩体を退いてしまった。その隙を逃さずシルバーは静かに部屋の中へと入り込んで来る。彼の体の動きに合わせ、美しい銀髪が日に光る生糸のようになびいた。
刃物を思わせる鋭い目を、決してフルゥズァから離そうとはしなかった。フルゥズァを見つめた、いや、睨みつけたままシルバーはゆっくりと部屋の奥へと入り込んでくる。それに合わせてフルゥズァの体はじりじりと部屋の奥へと追い込まれていった。
「私が呼んだの!」
咄嗟に叫んだココロが二人の男の間に割り込む。その背にフルゥズァを庇うように立ち、シルバーを見上げた。
「思い出話をしたくて、私が…」
そう言いかけたココロの顔を見つめシルバーが言った。
「姫、そこをおどきください」
そう言うとシルバーは再びココロの頭越しにフルゥズァを睨みつけた。そのまま低い声で何もできずにいるココロへ話し掛ける。
「思い違いをされませぬよう。この男、能力者ではございません」
シルバーの言葉にココロは電流に打たれたような衝撃を受けた。そんなココロを見る事もなくシルバーは続けた。
「一足遅かったようですね…。姫、お待たせいたしました。ANTIQUEの能力者シルバー、只今参上いたしました」
ココロは混乱の極みにいた。何と言った?今シルバーは何と言っただろうか?ANTIQUEの能力者、そうは言わなかったか?
「姫!騙されてはいけません!」
背後でフルゥズァが叫んだ。ココロが彼を振り向く。
「私こそ能力者!今、漸く敵の正体がわかりました。まさか、まさかよりによってシルバー隊長になりすましていたとは!」
言うなりフルゥズァはココロを脇へ押しのけると、同時に腰の剣を抜き放った。窓から差し込む月明かりにフルゥズァの剣が光り、その切っ先はシルバーに向けられた。
目の前に剣を突き付けられたシルバーだったが、それでも自分の剣を抜く事もなくフルゥズァの構える剣の前に黙って立ったままだ。
ココロはフルゥズァとシルバーを交互に見た。能力者が二人?いや、一人は偽者だ。一体どっちが…。
シルバーはずっと怪しかった。食事の間中話もせず、ココロの知らないブルーを同席させ、その部下であるアローガはココロとの思い出話をしなかった。
「ほう…」
シルバーが小さな声で応じる。
「なるほど、お前は能力者か」
「そうだ!」
シルバーに比べると遥かに若いフルゥズァが、涼しい夜にも関わらず大粒の汗を額に浮かべながら鋭く光る剣を両手で構えていた。
その前に立つシルバーは相変わらず抜刀もせぬまま、しかし完全にフルゥズァが貫禄負けしているように感じられた。
(いけない)
フルゥズァがずっと捜し求めていたANTIQUEの能力者だとしたら、そして、このシルバーこそが小宮内に入り込んだ敵なのだとしたら、フルゥズァに勝ち目はないように思えた。
「では言ってみろ」
シルバーがフルゥズァに向かって言った。
「お前についているのは、一体何のANTIQUEだ?」
ココロがハっとしてフルゥズァの方を見る。そうだ、この部屋に二人の男が来て以来、二人ともまだ自分が何を司るANTIQUEの能力者であるかを名乗っていない。
ココロはフルゥズァの口からその言葉が出る事を期待した。「自分は、鋼のANTIQUEのバディだ」と言う言葉を。
しかし、その期待を裏切り先に口を開いたのはシルバーの方であった。
「姫、覚えておいででしょうか?春でした、お城の庭を飛ぶ蝶を追ったあなたは、そのまま噴水の池に落ちかけましたね」
ココロの中に鮮やかにその時の情景が思い出された。
「恐れながらこのシルバー、寸でのところで姫の体を抱きとめました」
(確かに覚えている…。その後、シルバーに言われたのだ)
ココロがそう思った途端、思い出の中のシルバーと今目の前にいるシルバーがまったく同じ言葉を口にした。
「姫、蝶は空を舞うからこそ美しいのです。追うのはおやめになり、そのお姿をしっかりとご覧くださいませ」
シルバーは顔をフルゥズァに向けたまま、横目でそっとココロを見ると優しく微笑んだ。
今日はずっと笑う事がなかった。冷たい目をし続けていた。今見せたこの微笑は、昔中央の城で見た特別行動騎馬隊々長の凛々しくも優しい笑顔そのものであった。
笑顔を消したシルバーは再び厳しい顔をフルゥズアに向けると、話し出した。
「答えられぬかフルゥズァ。ならば思い出話をしてみたまえ。先程の席でそうしたいと言っていたではないか。遠慮はいらん、姫との多すぎる思い出を、今ここで語ってみせろ!」
大きな声ではないが、鋭く攻め立てるようにシルバーが言い放った。フルゥズァの手にする剣が音を立てて震え始める。
彼は泣き出しそうな顔で、まるで助けを求めるようにココロの方を見た。
(ああ―――)
その顔を見てココロも泣きそうな気持ちになった。シルバーの見せた微笑が記憶の中のそれと同じなら、フルゥズァの今の顔もまた、間違いなくココロの記憶にある幼い頃の彼の顔そのままであった。
あんなにも共に過ごした、あんなにいつも一緒にいた。身分は違ったが、幼い二人にそんな事は関係がなかった。
(私は―――、私はあなたが好きだった。大好きだったの、フルゥズァ)
次の瞬間、フルゥズァはその困ったような、泣き出しそうな顔のままココロめがけて走り出した。
フルゥズァはシルバーよりもココロの近くにいた。狭い部屋の中だ、ほんの数歩、あとほんの数歩でココロに届く筈だった。
フルゥズァの伸ばした手がココロに触れそうになった時、どのように間合いを詰めたものか、目にもとまらぬ速さで抜刀されたシルバーの剣がフルゥズァの胴体を真横に深く切り裂いた。
そのあまりの切れ味に、フルゥズァはその場から一歩も動かぬまま体を半分ほど裂かれ、ココロの前で崩れ落ちていった。
最期の瞬間まで、ココロを見つめるその顔は共に駆け回り笑い合った思い出の中のフルゥズァそのものであった。
仰向けに倒れたフルゥズァはそのまま動かなかった。命を失って尚、その顔はココロの大好きなフルゥズァのままだった。
彼の立つすぐ後ろは窓であった。下は湖だ、十分な深さをもつベディリィ湖だ。何故飛び降りなかったのだろうか?
「フルゥズァは、泳ぎが得意だったのよ」
そっと倒れたフルゥズァの亡骸に寄り添う形で床に膝をついたココロは、独り言のように呟いた。
いつの間にか剣を鞘に収めたシルバーがその声にココロを振り返る。
「夏になるとね、よく川で泳いだの。弟のレイナスと、私と、フルゥズァとで…」
ココロの頬に次々と涙が流れ落ちた。
「何故、飛び込まなかったの?」
そう言うとココロは、今度はシルバーを見上げると涙を拭う事もせずに言った。
「彼は何故私に向かってきたの?私を殺そうとしたの?私を守ろうとしたの?私に、助けてほしかったの?」
見ると、ココロの手に剣が握られていた。フルゥズァの剣を取り、震える手でその切っ先をシルバーに向けていた。
シルバーは辛そうな顔をしてココロを見つめると静かな声で言った。
「それは既に、フルゥズァではございません。残念でありますが、その若者はもう…」
恐らく魔族にその身を奪われた時、既にフルゥズァは殺されていたのだろう。ここにある彼の亡骸は「彼に似たもの」でしかない。
本当のフルゥズァは一体どこで眠っているのだろう?弔われる事もなく、その若い体は無残にもこのベディリィ湖を囲む森のどこかにでも打ち捨てられているのだろうか?
シルバーは自分に向けられている剣に臆する事もなく、ココロの前に片膝をつくと言った。
「お辛い思いをさせました」
それを聞いた途端、ココロは顔を伏せ、声を噛み殺して更に激しく嗚咽した。
辛かった、本当に辛かった。肩を震わせ、誰も知らぬ場所で殺されたフルゥズァを想い泣いた。
シルバーがそっとその肩に手を触れた瞬間、ココロは弾かれたように顔を上げ、再び剣をシルバーに向けた。シルバーは、そんなココロに一つ大きく頷くと言った。
「常に、そのようにあってください。この先敵は更に残忍な方法で姫に近づこうとするでしょう。姫に近づく者が敵なのか味方であるのか、よくよく見極めをいただくよう。それが、姫ご自身をお守りする唯一の手段でございます」
(すべてを疑え、誰も信じるな。そう言う事?)
お城育ちのココロには考えられない事であった。姫、姫と可愛いがられ、自分を傷つける事を目的として近づく者がいるなどとは考えた事もなかった。
(だが…、そうだと言うのなら、今目の前にいるこのシルバーと思える男も疑えと言う事か?)
ココロがそう考えた時、突然目の前で忠誠を誓い自分を見つめるシルバーの体が薄く輝きだした。
風もない部屋の中で彼の髪が静かに乱れ、浮き上がってくる。そしてそれは現れた。音もなく、シルバーの背後に立ち上がって来た。銀色に輝く鎧のような甲羅を背負った、二本足で立つ獣の姿だ。
長い顔にぴんと立った耳。だらりと前に垂らした両手の先には長い爪が生え揃っており、その右手には巨大な槌を握っていた。
工具としての槌ではない。打撃と斬撃を備えた、敵を打ち砕く為の武器としての大槌だ。
(これが、鋼のANTIQUE…。物理的攻撃などできない筈なのに、あんな武器を持っているのは…。いや、違う、そうではない。これはシルバーのイメージした鋼のANTIQUEの姿。私は今、そのイメージを共有しているの?)
(その通り)
突然、今まで黙っていたゲンムの声が頭の中に聞こえた。その瞬間、ココロの胸に下がるゲンムの石も、シルバーの放つ銀色の光に応えるように輝き始めた。
ココロとシルバー、二人の体を包む薄桃色と銀色の光が静かに部屋の中に満ちていく。
(我は鋼のANTIQUE。与えられし名は、デュール)
銀色に輝く光の中で獣が口をきいた。その姿を見、その声を聞いた瞬間、ココロの手から音をたてて剣が落ちた。
(始まりの存在の声を聞き参上した)
(久しぶりだな、鋼のANTIQUEよ。見事、一番乗りだ)
いつの間に現れたのか、ココロの肩の上でゲンムが応える。妖精のように小さなゲンムに対して、デュールの身長は2m以上。シルバーより頭一つ分大きい。とは言え、生まれた順番を考えれば鋼は始源たる存在のゲンムよりかなり若い。
ゲンムの尊大な受け答えにも、デュールは言葉少なに頷くような素振りを見せただけであった。その様子を見てゲンムが続けた。
(言うまでもなく、我らの使命は承知しているな?)
(甦りし魔族を再び無へと還す事)
(そうだ。それと同時に光を置き去りにし何処かへ飛び立った闇を捕らえ、その暴走を食い止める。このままでは自然の摂理を破壊しかねない…。その為に一刻も早く残りのANTIQUE達を揃える必要がある)
そう言うとゲンムは静かに降下し、横たわるフルゥズァの亡骸を見下ろしながら尚も言った。
(まさか、魔族の連中が人間に化けてこのような戦法に出るとは、さすがの私も思いもしなかった。この分では奴らの勢力がこの世界のどこまで広がっているのか想像もつかない。急ぐぞ)
ゲンムの言葉に再び頷く仕草を見せたデュールは、一層眩しい光を放ちながらやがてその姿を消した。
ほぼ同時にゲンムが姿を消すと部屋の中は再び夜の闇に支配された。その闇の中でジャラリと重々しい音が響く。よく見ると、シルバーの手の中に銀色に鈍く光るメダルがあった。今の音はそのメダルについた太い鎖が鳴ったもののようだ。
「デュールはこうして、いつも私の傍に」
言いながらシルバーは腰のベルトに鎖を何重にも括り付けてメダルをぶら下げた。そしてそのまま、暫くの間顔をあげなかった。
シルバーとココロ、いずれも声を出さず、音もなく、ただ静かに重たい時間だけが流れた。
次の瞬間、突然の激しい爆発音と共に二人のいる部屋が大きく揺れた。
「なに?」
ココロが驚いて不安そうな声を出す。
「どうやら小宮内に入り込んだ敵は他にもいたようです。恐らく、火薬庫に火を放ったのでしょう」
シルバーが冷静な声で答えた。
「これですべての隊士が動き出します。戦いが始まるでしょう。ですが、敵もまた隊士の姿に成りすましているとしたら、相当に混乱する事が予想されます」
そして二人はまた黙り込んだ。シルバーの予想通り、隊士達の騒がしい叫び声が方々で上がり始めた。
その途端、部屋を揺るがす二度目の大音響が鳴り響いた。
そんな中、どの位二人は黙ったまま動かずにいたであろうか。動かなくては。ココロはそう思った。間もなく自分の身を案じた隊士達がこの部屋に駆けつけてくる筈だ。しかし、そのすべてが味方とは限らないのだ。
不意にココロの顔の前にシルバーの右手が差し出された。その差し出された手の向こうに、決意に満ちたシルバーの顔があった。
「お導きください」
そう呟いたシルバーの声。そうだ、間違いはない。
「この世界を救う為、どこまでもお供いたします」
私に応えた能力者の声。
「命に代えて、姫をお守りいたします」
初めて応えてくれた、仲間の声。
ココロは、シルバーの右手に自分の手を重ねると、しっかりと握った。
(離さない…。何があってもこの手は離さない。今日から私は、一人ではない!)
ココロはシルバーの手に全体重をかけて立ち上がった。彼の体は片手でココロを支える位ではびくともしなかった。
(私も強くならなくては。何事をも乗り越え、仲間を、同志を集め、その先頭に立って導く為に)
「シルバー隊長、共をしなさい。次の能力者を、探しに行きます」
威厳に満ちた声でココロが命じた。
「は!」
片膝をついたままシルバーは低頭した。遂にココロは、一人目の能力者と出会ったのだった。




