夜襲
●登場人物
・ココロ…アスビティ公国 侯爵の娘。天真爛漫で明るい少女であるが、始まりの存在に選ばれ能力者達のリーダーとなってしまった。
・シルバー…鋼の能力者。アスビティ公国の公軍隊士。ANTIQUEに選ばれココロと共に旅に出た最初の仲間。
・キイタ…火の能力者。アスビティ公国と隣接する大国、ンダライ王国の第二王女。敵の手に落ちた姉イリアを捜す為仲間に。
・アクー…水の能力者。三か月前に意識不明のまま森の中で発見された少年。それ以前の記憶をすべて失ってしまっている。
・アンバー夫妻…豪華客船の中でココロ達と同部屋になった優しい老夫婦。
●前回までのあらすじ
船内で同部屋となったアンバーに詳細を聞かれ答えに窮したシルバーはこの際事実の一部を打ち明けてしまおうと、仲間が三人三等客室にいる事を話してしまう。
それを聞いたアンバーは何と船長に掛け合いその三人を三等から出してあげようと提案をしてくる。しかし万が一に備えタテガミ達のいる貨物室の傍に三人を置いておきたいシルバーはそれを丁重に断りながらも、そんな事ができてしまうアンバーと言う人の好さそうな老人の正体を訝しむのだった。
一方、ココロ達を乗せた豪華客船を海上で襲うべく海賊船を手に入れたメロは自身の乗り込んだ船の航海士に作戦の全容を話す。周りを恐ろしいアテイルに囲まれた航海士はメロの求めるまま周遊航海に出た豪華客船を目指す事を約束する。
航海士の予想から対決の時は夜である事を知ったメロは、眼前に広がる海原を見つめながら憎きANTIQUEの殲滅を胸に誓うのだった。
昼間と変わりないスピードで波を越えて行く豪華客船。二等客室層の甲板でアクーは手摺に寄り掛かり頭を大きく仰け反らせながら夜空を見上げていた。
見上げる空には星が輝いている。その手前、アクーの見上げるすぐ上の一等客室層からは眩い光と賑やかな音楽、楽し気な笑い声が降り注いでいた。
ぼうっとそれらを見上げていたアクーの目の前にもの凄い勢いで何かが落ちてくる。それはみるみるアクーの顔めがけて近づいて来たが、慌てる事なく彼はそれを右手で受け止めた。
それはまだ飲み掛けの酒瓶だった。中に残った酒を撒き散らしながら落ちて来たのは、この寒い中 甲板に出てはしゃいでいた一等客が戯れに放り投げたものだろう。
(やれやれ、まったく…)
アクーは手の中に残る冷たい酒瓶を見つめてため息をついた。
(テリーも今頃はあのバカ騒ぎに興じているのかな?)
昼間出会った真っ青なドレスの少女を思い出す。鮮やかなブロンドヘアをなびかせドレスアップしたテリーはパーティー会場でも注目の的だろう。もしかすると若い男に誘われてダンスの一つも披露しているかもしれない。
そう思う事で特に感情を動かされる事はなかったが、単純にあの楽し気な輪の中に入ってみたいと言う好奇心は抑えられなかった。
日没と共に二等に泊る客は上層への出入りができなくなる。頭上の階では、正に選ばれた特権階級の人々が気の狂ったような享楽の最中にいる筈だ。
アクーはもう一度頭上を見上げると小さくため息をついた。吐いた息が真っ白な煙に変わり黒い夜空へと昇り、消えて行く。
アクーの見上げる上層階の賑わいの、更にその上には高い見張り台が設けられていた。今、その見張り台には二人の船員が寒さに凍えながら暗い海を見渡していた。
「堪んねえな」
見張りの一人がぼやいいた。
「寒いな」
もう一人もそれに答える。一際高い位置にある見張り台では甲板以上に寒さが身に応える。
しかもすぐ足元では暖かそうな光の中で高い船代を払った乗客達が楽し気な声を上げているのだ。
華やかな音楽を耳にする程、より一層体を刺す空気が冷たく感じられた。愚痴の一つも零さなければやっていられなかった。
しかし、悪態をつきながらも二人は自分の仕事を忘れる事はなく、その目が海から離れる事はなかった。
だがどれだけ目を凝らし、望遠鏡を覗いたところで真っ暗な海に何かを見つけられる筈もない。見張り台から照らし出す範囲などたかが知れていた。
「ん?」
望遠鏡に目を当てていた船員が何かに気がついて声を出した。
「どうした?」
もう一人の仲間が興味もなさそうに訊いて来るが、船員はそれには答えず望遠鏡を外したり、また覗いたりを繰り返した。
「何だあれは…」
やがて呟いた仲間の声にもう一人の船員も漸く顔を向けた。暗い海原の先にぼんやりと光る灯かりを見つけたのだ。
「船だ…」
望遠鏡を見ていた船員が言うと、もう一人の船員は何も言わずすぐに脇にあった交信用の投光器を手元に引き寄せた。
航行法に定められた通りの手順に従って信号を送る。一方の船員が鳴らす頭上の鐘が高い音を上げる。
激しく鐘を叩いた男は手摺についた船内連絡用のパイプの蓋を開けると大きな声で叫んだ。
「右舷謎の船団が接近!三時の方向、真横です!船団は三隻、いや…四隻!こちらからの問い掛けに応答はなし!船籍不明!」
「違う…」
「四隻じゃない…五隻だ!」
投光器を操作していた船員が叫ぶと、もう一人は再びパイプに口を近づけた。
「訂正、訂正!謎の船団は全部で五隻!四隻ではなく五隻!未だ応答なし!繰り返す!船籍不明の船団五隻三時の方向より接近中!未だ応答なし!」
見張りに立った船員の叫ぶような声が響き渡った操舵室は騒然となった。手の空いた船員は全員が右舷側の窓に駆け寄った。
「うわっ!!」
窓に寄った船員が叫ぶ。思いのほか近くに巨大な船体が迫っていた。
「取舵一杯!」
船員の必死の操作に客船が大きく左に舳先を向ける。
「おお!?」
二等 甲板に出ていたアクーは、大きく向きを変えた船の揺れに足を取られ慌てて手摺を掴んだ。
船底に作られた三頭客室にいた大地、ガイ、ナルの三人も大きな揺れに床を転がった。
左に旋回した客船に対し、突如目の前に現れた謎の船は右に進路を変え、客船と並走するようについてきた。
「回り込む気だ!」
操舵室の船員が叫ぶ。
「我々の進路を妨害するつもりか!?」
すぐ横に並んだ正体不明の船を、自船の灯かりがぼんやりと照らし出す。その横腹には四角い切込みがいくつも見える。
この豪華客船に比べれば遥かに古臭い木造船だ。毒々しいカラーリングに、手の込んだ装飾が闇夜に浮かぶ。
「か、海賊だぁ!」
船員が叫んだ。
「海賊だと!?」
「何故この海域に?」
「しかも五隻同時とはどう言う事だ!?」
操舵室は一瞬にしてパニックに陥った。
「ふ、副船長…」
船員の一人が凛々しい顔つきのまだ若い副船長に判断を仰ぐべく声を掛けて来た。
厳しい目つきで横を走る正体不明の船を見上げながら、副船長は小さな声で指示を出した。
「船長を呼べ」
「はい!」
指示された船員は短く答えると慌てて操舵室から飛び出して行った。彼が呼びに行った船長は今、一等客室の乗客達を相手に愛想よく夕食のテーブルについている筈だった。
「ああ、びっくりしたわ」
一等客室で船長同席の名誉に授かったよく太った中年の女が大袈裟に胸に手を当てた。その太い指全てに目を見張る程の大きな宝石が色とりどりの光りを放っている。
「船長、今のは一体…?」
中年女の隣に座った頭の薄い痩せた男が食事用のナイフとフォークを握ったまま怯えた声を出した。
彼らに対し真っ白な髭を生やした船長は紳士的な笑顔のまま柔らかな声で答えた。
「何、真っ暗な海の上では岩礁の発見が遅れる事もあります。大方慌てた操縦士が急いで舵をきったのでしょう」
「だ、大丈夫なのでしょうか?」
船長の説明に余計に不安を覚えた男客が訊いて来る。船長は益々笑顔になって答えた。
「衝撃はありませんでした。衝突は免れ、航行は既に正常に戻っております。何も心配はありません。この船は多少岩に擦った位で沈む船ではありません。操縦士には慌てないようよく言い聞かせておきましょう。ご心配をお掛けしてしまい失礼しました」
食堂では既に楽団の音楽が再開し、方々で鍛え上げられたウェイター達が柔らかな物腰で倒れたグラスなどをキビキビと片付けている。
回復した会場の雰囲気に、中年の男女はようやくホッとした表情に戻った。
「船長の言う通り、この船が沈む筈がありません。さあ変な心配をしていたら勿体ない」
同席していた如何にもやり手実業家と言う風体の若い男が中年男のグラスに酒を注いでくる。
笑顔でそれを見つめている船長の背後に立ったウェイターが、そっと耳元で囁いた。
浮かべた笑顔を崩さないままその声に耳を傾けた船長は優雅な物腰で立ち上がった。
「皆さん、中座の非礼をお詫びいたします。どうかこの後も存分に快適な船旅をお過ごしください」
そう言って船長は一礼すると席を離れて行ってしまった。中年男はまだ不安そうな顔のまま歩き去って行く船長の大きな背中を見送った。
「ココロ様、大丈夫ですか!?」
「あいたたたた」
突然の進路変更に、ベッドから転がり落ちたココロを心配したシルバーが大きな声を出した。
ベッドと壁の間からココロが這い出して来る。
「何今の?」
「お怪我は?」
「大丈夫」
ココロの返事にため息をついたシルバーは窓から外を見てみた。しかし、窓の外は正に墨を流したような暗闇で、何も見つける事はできなかった。
「何だか急に船が向きを変えたみたい…」
キイタが怯えた声で言った。
「大きな障害物でもあったのだろうか?」
「それはないな」
シルバーの推理をいち早く否定したのは同室のアンバーだった。見れば彼は妻の肩をしっかりと抱いたまま今まで見せた事もない真剣な眼差しでシルバーを見返していた。
「では、今のは一体?」
シルバーの問いにアンバーは首を振った。
「それはわからんが、就航前に航路の確認は充分にされている。岩礁の位置は完全に把握されている筈だ。この船は新しいが処女航海と言う訳でもないし、この航路に氷山や流氷もない。慌てて回避しなくてはならないような障害物などありはせんのだ」
「では…」
「定点障害物の場所は把握されているにも関わらず緊急回避をしなくてはならないとすれば、考えられるのは一つ。突発的に現れた流動的障害物だ」
「流動的、障害物?」
「左様。一番考えられるのはくじらの群れだろうな。しかしこの季節この辺りを回遊するくじらはいない。あとは密航、密漁などを目的に漕ぎ出していた就航予定表にない小型船の存在か…」
アンバーが独り言のようにぶつぶつ呟いていると、突然部屋のドアが勢いよく開けられた。
「ココロ!」
叫びながら飛び込んで来たのはアクーだった。
「みんな無事?怪我は?」
「大丈夫だ。お前は?」
シルバーの問いにアクーは頷いて答えた。
「僕は大丈夫」
「アクー、一体何があったの?」
「船だよ」
「え?」
ココロの質問に答えたアクーの言葉に部屋にいる全員が眉間に皺を寄せた。アクーは続けた。
「大きな船がこの客船の進路を妨害するように現れたんだ。それも五隻も!」
「大きな、船?それも五隻もだって?…まさか…」
アクーの報告を聞いたアンバーは暗い声を出した。その額にじんわりと冷たい汗が浮かんでいた。
「船長!」
帽子を被りながら操舵室に入って来た船長に副船長が呼び掛けた。早足でブリッジに寄った船長はすぐに現況報告を求めた。
「どうなっている?」
「海賊です。それも一度に五隻も」
「何故…?いや、そんな事より緊急通信は!?」
「既に打電しました。ミルナダからの救援は一時間以内に来ます」
船長は報告する副船長から前方へと目を移すと、食いしばった歯の間から声を漏らした。
「それまで、耐えねばならんのか?」
「すぐに乗り移ってきます」
「防御態勢に入れ!」
船長の号令に操舵室の中は俄かにが慌ただしくなった。船内には指示指令が飛び交い、船員は船の中を駆けずり廻った。
「海賊?」
シルバーが訊き返すと、アンバーは顔を上げ頷いた。怖い程真剣な目をしていた。
「通常、たった一隻の船を襲うのに五隻もの船団で来る事などはない。しかもこの海域はミルナダ王国の膝元だ」
「では何故?」
アンバーは今度は首を横に振った。
「わからん。しかし普通の襲撃だとは思えない」
「アクー!」
シルバーは叫びながら立ち上がった。厳しい顔で頷いたアクーは既にドアから半身を出していた。
続いてココロとキイタもベッドから飛び降りる。
「どこへ行く気だ!?」
アンバー夫妻が大きな声を出しながら立ち上がる。廊下に飛び出たキイタとその後に続こうとしたココロが振り返った。
「乗員の指示に従うんだ!勝手に動いては行けない!」
「アンバーさん、ここにいてください」
「ココロちゃん…」
「私達、行かなくてはならないんです」
「ココロ!」
廊下でキイタがココロの名前を呼ぶ。一度そちらに顔を向けたココロはまたすぐに部屋の中を振り返った。不安げな顔のアンバー夫妻が見える。
「私達が守ります。絶対に部屋を出ないで」
「何を…」
「優しくしてくれて、ありがとう」
「ココロちゃん!!」
メアリが叫んだが、ココロはもう廊下へと飛び出した後だった。
「本当に海賊だと思う!?」
船内の廊下を走りながらアクーがシルバーに訊ねる。
「そうだったとしても普通の襲撃だとは思えないとアンバー氏が言っていた。魔族が絡んでいると考えておいて損はない」
隣を走りながらシルバーが答える。
「それにしてもあのおじさん、何であんなに船の事に詳しいんだろう?」
「うむ、ガイ達を三等客室から出すなどと言っていたな…」
「シルバー!!」
背後からココロの大きな声が追い掛けて来る。
「どこへ向かっているの!?」
シルバーは足を止めて振り向くと、ココロが追い付くのを待って言った。
「二等の甲板からでは全容が掴めません、一等 甲板へ上がります!」
「え!?」
ココロ、キイタ、アクーの三人は同時に声を上げた。
「だってシルバー一等には上がれないんじゃ…、シルバー!!」
ココロが言い掛ける間にもシルバーは再び背を向けて走り出していた。
「おい、君達!何をしている‼」
狭い廊下の先に立っていた船員が猛烈な勢いで走り来るシルバー達に向かって叫んだ。
「この先へ行ってはいかん!部屋に戻るんだ!」
次の瞬間、船員の目の前まで迫ったシルバーは左腕一本で船員の体を弾き飛ばした。
顔面を激しく壁に叩きつけられた船員は、一瞬で気を失い後ろを走るアクーの前に倒れ込んだ。
「うわ!」
急に倒れて来た船員の体に慌てた声を上げながら、アクーは咄嗟にその体を飛び越えた。
そうしている間にもシルバーはどんどん先へと走っていく。いつしか客室を抜け、最上階へと上がる階段のある中央 甲板へと差し掛かかっていた。
「ああ!」
ココロの上げた叫び声にキイタとアクーが顔を向ける。ココロは右手に広がる暗い海を眺めて愕然とした顔をしていた。
夜の闇の中にぼんやりと大きな船影が浮かび上がっている。正確な数まではわからなかったが船団である事に間違いはない。
こちらを伺うように音もなく波間に浮かぶ何隻もの巨大船の影は、まるで不気味な海の化け物のように三人の目に映った。
「ぐわ!」
前方から聞こえた悲鳴に顔を向けると、若い船員が帽子を飛ばしながら階段から転げ落ちて来た。
「シルバー!」
いつになく乱暴な行動を取るシルバーを窘めるように叫びながらアクーが駆け寄る。階段の上からこちらを覗き込むようにしてシルバーが大声で三人を呼んだ。
「上がってしまえば何等の客かなどわかりはしません!さあ早く!」
一瞬顔を見合わせた三人は、申し訳なさそうに気を失っている船員を跨ぐと階段を駆け上がって行った。




