手紙
●登場人物
・アリオス…元アスビティ公軍隊士。戦争放棄を盾に魔族との戦いを避けようとする母国を捨てンダライ王国へと渡った。
・マーニー…ンダライ王国国防軍C小隊長。アリオスがンダライで出会った同僚。良き理解者。
・ソジュン…同じくB小隊長。国防だけを生き甲斐にした根っからの軍人。
・ボリア…同じくD小隊長。若年ながら豪快な性格で部下を率いる力自慢。
・ゼルビッツ…同じくE小隊長。小柄ながら鋼の肉体を持つ。平民からの成り上がり小隊長。
●前回までのあらすじ
薄暗い会議室で秘密裏に話し合うシュナイドリッツの小隊長達の元へ突如代行執政官であるポルト・ガスが現れた。突然の事に色を失う小隊長達の中、アリオス一人がそれをわかっていたように彼を迎え入れる。ガスは悲壮な覚悟をもってアリオス以外の四人の小隊長の前で自分の罪を告白する為、会議の席にやって来たのだ。
翌日、A小隊の朝礼の席で昨晩の事を思い集中力を欠いていたアリオスに向かい、臨時休暇の取得を拒んだ部下の一人フォンが発言を申し出た。
フォンはアリオスの提案を飲み、休暇を取得すると公言する。それは即ちアリオスを上官と認め、アリオスの号令の下、愛する誰かの為に命を捨てても構わないと宣言したに等しい。
そのフォンの申し出を皮切りに次々と休暇の取得を申し出る隊員達の姿にアリオスは必死に涙を堪えるのだった。
週が終わろうとしていた。数日後にアリオスの率いるシュナイドリッツA小隊は休暇に入る予定であった。結局A小隊からは一人の脱落者を出す事もなく、全員が休暇を取る事となっていた。
しかしそれは隊員の全員が討ち死にを前提とした戦いに挑む悲壮な覚悟を決めた事に他ならない。
アリオスとンダライの兵士達との間の蟠りは解けた。しかしアリオスはそれを喜ぶ以上に複雑な気持ちでいた。
間もなく昼休みが終わろうとする頃。なかなか食欲の出ない体に無理やり食べ物を詰め込んだアリオスは一人、屋外訓練場を見渡す事のできる高台に座り遠くを見つめていた。
「アリオス!」
そう呼び掛ける声にアリオスは座ったまま振り返った。
「ゼルビッツ殿…」
アリオスの元へ坂道を登って来るE小隊長のゼルビッツの姿が見えた。アリオスは座ったまま彼の到着を待った。
「ゼルでいいって言ったろ」
やがて坂道を登り切ったゼルビッツはアリオスの横に同じように腰を下ろすと飾らない声を出した。
駆けるような速さで急な坂を上って来たゼルビッツだが、息の一つも乱れていない。小さな体ながらその強靭な体力に改めて驚かされる。
傍らで親し気な笑顔を見せるゼルビッツを見ていたアリオスは、すぐに背後から近づく別の足音に再び背後へと目を向けた。
ゼルビッツとは対照的にゆったりとした足取りで三人の小隊長達が坂を上がって来る。
「あ…」
その姿を認めたアリオスは慌てて立ち上がろうと腰を浮かせかけたが、ゼルビッツの力強い手がその肩をがっしりと掴んだ。
「いちいち礼なんか尽くさなくていいよ、俺達は同僚だ。あんただっていつまでもお客じゃねえんだから」
「その通りですよアリオス小隊長。昼休みですからね、そのままそのまま」
ゼルビッツとのやり取りが聞こえたらしい。坂を上り切ったマーニーが立ち上がりかけているアリオスを手で制した。
「こんなところで何してるんだい?」
大きな体に少し息を切らせながらボリアが訊ねる。
「皆さんこそ、何故このような場所へ?」
ンダライ王国正規国王軍の中でもシュナイドリッツと呼ばれる五小隊は特別だった。国防の要として重要視されている彼らには小隊ごとに専用の訓練場が与えられていた。
今、五人の小隊長が顔を揃えたのはアリオスが統括するA小隊の屋外訓練場。間もなく午後の訓練が始まると言う時間に自分達の隊を放って集合した小隊長達にアリオスは戸惑った顔を見せた。
「どうしても確認しておきたい事があったのでな、捜していた」
最年長のB小隊長、ソジュンが静かなで言った。
「私に?」
アリオスが訊き返す内にも足を進めていたソジュンはアリオスのすぐ横に立つと、誰もいない訓練場を見渡しながら率直に言った。
「アテイルとは、何者だ?」
「は?」
一瞬質問の意味を掴みかねたアリオスは怪訝な顔でソジュンを見上げた。
「国王 皇后両陛下が崩御なされた後、ポルト・ガス殿が執政を代行する事を我らは誰一人疑問にも思いはしなかった。我ら軍人 風情から見ても、ガス殿を置いて他に国王に代わる者など思いつきもしなかった。数いる大臣の中でもポルト・ガス程国王に近い存在はなかった」
遠くを見つめたままソジュンは淡々と話し続けた。アリオスも黙ってそんな彼の横顔を見つめたまま次の言葉を待った。
「それ程までの忠義の男が自らの手を汚し国王夫妻暗殺に関わったと言うのであれば、それは正に操られていたと言う事に相違ないのであろう。しかし…」
ソジュンは少し躊躇うような仕草を見せた後、初めてアリオスの顔を見た。
「そのような事が、本当にできるものなのか?アテイルと言う種族は、誠そのように人心を操るような術を持っていると言うのか?」
真剣な中にも不安の色を宿したソジュンの目を見つめ返していたアリオスは、一度その目を伏せるとポツリと言った。
「奴らは、魔物であれば…」
「何、魔物?」
「左様、奴らは人に非ず。人の心を解さぬ化け物の類」
言いながらアリオスは立ち上がった。改めてソジュンと目線を合わせる。
「そ、それは人とは思えぬ程 残虐非道な輩と言う事か?」
益々緊張を募らせたソジュンがひきつった声を出す。アリオスはそんな彼にゆっくりと頭を振って見せた。
「そうではありませぬソジュン殿。奴らは正しく、人間ではないのであります」
「どう言う意味か?」
ソジュンの素早い切り替えしにアリオスは躊躇を見せた。ガスは彼らにアテイルの正体、魔族の存在までは伝えていない。
五人の小隊長はアテイルと言う最悪の敵がこの世界を征服しようと企んでいる事を知っている。そして自分達がその強大な敵に立ち向かわなくてはならない事も承知している。
しかし彼らはまだどこかでアテイルと言う名の悪魔の如き“人間”と戦うつもりでいるのだ。
「アリオス小隊長」
緊張を削ぐような緩やかな声がアリオスの名を呼んだ。相変わらず笑顔のマーニーだった。
「私達はもう何を聞かされても驚かないと決めたのです。勿論、ここで聞いた事は一切他言はいたしません」
どうやらこの期に及んでまだアリオスが何かしら胸に呑んでいる事を悟ったらしかった。しかしアリオスはそれでもまだ逡巡の色を見せた。
「アリオス殿」
低く厳しい声にハッとして顔を上げると、すぐ前に立つソジュンと目が合った。ソジュンは真っ直ぐにアリオスを見返したまま頷いて見せた。アリオスは決心のつかないまま口を開いた。
「竜を、ご存知か?」
「竜?」
アリオスの口から洩れた思わぬ言葉にボリアが裏返った声を出す。まだ座ったままのゼルビッツが続ける。
「竜ってあれかい?子供の絵本や御伽噺に出てくる?」
「アリオス殿、我々はアテイルの事を伺いたいのだ。それとも貴君はアテイルとは竜の一族だとでも言う気なのか?」
からかわれたと思ったのかソジュンは気分を害したような声で言った。しかし、自分を見つめ返すアリオスの真剣な目に言葉を失った。
「アリオス…?冗談だろう?」
ボリアがアリオスの顔を覗き込みながら不安げな声で訊く。それでもアリオスは真剣な表情を崩しはしなかった。
「全身に蛇のような鱗を持ち、手の先には獣のような爪を持つ。人の姿をしていながらその体長は全員が二m以上。地を蹴れば一飛びで我らの頭上を越えて行く…。アテイルが本当はどのような生き物であるのかを私は知りません。しかし奴らが人ではなく化け物であると言うのは、決して例え話などではないのです」
嘘や冗談を言っている声ではなかった。気が触れているとも思えなかった。しかしアリオスの語る話の内容を理解する事は果てしなく困難であった。混乱の余り小隊長達全員が言葉を失い無言で立ち尽くしていた。
「はっ」
突然 静寂を破りゼルビッツが笑い声を漏らした。
「そりゃいいや。俺達は差し詰め竜退治を請け負った伝説の騎士ってところか」
「茶化すな!」
ゼルビッツの暢気な言い方に、いつも冷静なソジュンが珍しく大きな声を出した。
「何だよ…」
不満そうな声を出したゼルビッツを余所にソジュンは突然その場を離れるとここへ来る為にのぼって来た坂道へと向かう。
「ソジュン小隊長」
ボリアが声を掛けるとソジュンは皆に背を向けたまま立ち止まった。
「午後の訓練が始まる」
「話しはもういいのですか?」
マーニーの問い掛けにチラリと後方に顔を向けたソジュンが答える。
「アテイルと言うのは見た目は我らと大きく異なり人の心を惑わす妙な術を使う。身体的能力も我らの常識を遥かに超える生き物であると言う事がわかった。それだけお聞かせいただければ十分」
「制圧術を覚える意味がわかった?」
一歩踏み出し掛けたソジュンは立ち上がりざまに言ったゼルビッツの言葉にもう一度足を止めた。
「シュナイドリッツ全員の命が必要である事はよくわかった」
そう呟くとソジュンは今度こそ止まる事なく坂道を一際ゆっくりと下って行った。
「ソジュン殿を怒らせてしまっただろうか?」
肩をそびやかすように坂を下って行くソジュンの背中を見下ろしながらアリオスは不安そうな声を出した。そんなアリオスにゼルビッツは相変わらず気安い口調で言った。
「なあに、自分のところの隊士が二名も脱落してしまったせいで虫のいどころが悪いのさ、気にするな」
「二人も?」
ソジュンの率いるB小隊以下他の小隊長達も皆アリオスと同じく、辞めたい者は申し出るよう部下に通達をしていた。その結果B小隊からは二名の除隊希望者が出たと言う事らしかった。
「冗談じゃないぜ」
そう言ったのはボリアだった。
「D小隊なんか七人だぜ?七人。三人抜けると聞いた途端に一度は休暇を取ると言っていた連中まで後追いで四人も抜けやがった。戦力半減だぜ、まったく」
ボリアはここぞとばかりにぼやいた。
「普段の指導がなってねえんじゃねえか?」
「何だとゼル?俺の教育のせいだってのか?」
「A小隊は除隊希望者はいなかったとか?」
マーニーの言葉にアリオスは頷いた。
「はい。我が隊は全員 休暇を取る事となりました」
「大したものです。残念ながら我がC隊も一名の脱落者を出しました」
「うちも一人も欠けなかったぜ」
ゼルビッツが顎を上げて言う。
「まあもっともウチの連中は馬鹿ばっかりだがな」
「それはC隊も同じ。隊を抜けたところで行き所のない半端者の集まりですからね」
マーニーが愉快そうに同調する。
「残った者が本物の覚悟を持った者です」
アリオスの言葉に三人の隊小長達の目が向けられる。
「命を惜しむ者が何人集まろうと本当の仕事はできない。数は少なくとも本気で敵に挑もうとする者さえいれば血路を開く事はできる…」
アリオスは三人の顔を順に見つめた。一隊員ならばここで隊を抜ける事ができる。しかしこの場にはいないソジュンを含め小隊長の職に就く彼らに逃げ場はなかった。何があろうと最期の時まで戦場を離れる事は許されはしないのだ。
「隊を抜けたからと言って軍人を辞めた訳ではないのでしょう?ならば彼らには我らが開く血路を後方から攻め上がってもらいましょう。全体の数が減らないのであれば、それは軍の弱体化にはなりません」
「なるほど。ソジュン殿にもそう伝えよう」
ボリアが気分が晴れたと言った表情で頷いた。
「アリオス小隊長」
マーニーが改まった声を出した。
「この戦い、どのように展開するものと考えていますか?」
「攻撃、でしょうな」
アリオスは悩む事もなくすぐに答えた。
「多くの国が手を取り合い大連合軍を形成する。奴らが本当に世界征服に乗り出す前に我らの大軍をもって攻め滅ぼす他方法はないでしょう。ンダライであれ、クナスジア、フェスタルドであれ、単体でこれと争って勝つ見込みはございません」
「なるほど、となると頼れるのは軍人のみと言う事ですか」
魔族が一国に向かい攻め込んでくるのだとすれば国を根城にこれを防御する。そうなれば一般人も自ずと戦闘に駆り出される事となる。
しかし、アリオスの言う通り敵の陣へ切り込む為国を出て遠征に向かうとなれば軍に属さない者達までも連れて行く訳にはいかない。
「くそ、何だかソワソワしてきたぜ」
強がりなのか本気なのか、ゼルビッツがそんな事を言った。
「早ってはいけません。まずはゆっくりと休暇を楽しむ事にしましょう」
アリオスは落ち着いた笑顔を見せて言った。ボリアがすぐに疑問を口にする。
「どうも話しを聞く限り相当 切羽詰まっているように感じるが、のんびり休暇なんて取っていて本当にいいのかなあ?」
アリオスは笑顔のままボリアの顔を見た。
「いいのですよ、それで。まだ我らは走り始めたばかり。すぐに何かができる訳ではありません」
「そうですね」
マーニーが賛同する。
「一飛びで私達の頭を越すような連中を相手にするのです。まずはそれをどう部下達に理解させるかから始めなくてはならない。急いでも得はないでしょう」
「そんなもんかねえ」
ボリアがまだ何か言いたげに呟いたその時だった。坂の下から大きな声が聞こえて来た。
「アリオス小隊長!アリオス小隊長はおられますか⁉」
一瞬顔を見合わせた四人は急いで坂の下を覗き見た。見慣れない兵士が馬の上に乗ったままこちらを見上げている。
「ここにいる!」
アリオスが叫ぶと、馬上の兵士は急いで馬から降り坂道を駆けあがって来た。
「総務班の、イシュリーです」
アリオスの前まで来た兵士は息を切らせながら名乗ると早速本題に入った。
「こちらの方へ小隊長宛の手紙が届いておりました。速達扱いとなっておりましたので何とか休憩中にお渡ししようとお探ししておりました」
「それは手間を掛けた」
アリオスは恐縮しながらイシュリーと名乗った総務班の兵士が差し出す一通の手紙を受け取った。
「確かに、お渡しましたよ」
そう言うとイシュリーは来た時と同じように坂道を駆け足で下って行った。事務方が長いのか、その姿は余り運動が得意そうには見えなかった。
「やれやれ、鍛え方がなってないなあ」
「あれでも国王軍の兵士かね?」
「ああ言う役目も必要なんだよ」
ボリアとゼルビッツがぼやくのをマーニーがやんわりと宥める。ふとアリオスに目を向けたマーニーは、手にした手紙を持つアリオスの真剣な表情に笑顔を消した。
「アリオス小隊長、どうかされましたか?」
そう訊かれてもアリオスはまだ暫く手の中にある封筒を見つめたまま何も答えなかった。
困惑した顔で封筒の表書きを見つめていたアリオスが漸く口を開いた。
「アスビティからだ…」
封筒を裏返すと、片隅に懐かしい文字で差出人の名が記されていた。それはかつての部下、パッキオからの手紙であった。




