潜入
●登場人物
・ココロ…アスビティ公国公爵令嬢。始まりの存在に選ばれ僅か十四歳にしてANTIQUEの能力者を率いるリーダーとなった。
・吉田大地…土のANTIQUEに選ばれた地球の少年。六年前闇のANTIQUEに攫われた幼馴染を助け出そうとココロの世界へとやって来た。
・シルバー…鋼のANTIQUEに選ばれた青年。元はアスビティ公国公軍の大隊長を務めた優秀な軍人であった。公爵家の一員であるココロには絶対的な忠誠を誓う。
・クロウス…ラディレンドルブルット近衛兵の隊長。
・ジーン…クロウスの部下で近衛兵副隊長を務める。
前回までのあらすじ
エイクの案内で「悲しみの畔」、ソローニーアと呼ばれる伝説の洞窟に入ったキイタとアクーは、その入り口付近に立つ人影に足を止める。よく見ればそれは銀色の鎧であった。
生きた人間がいると思いアクーが声を掛けるが、それは中身のないただの飾りであった。胸を撫でおろす一同の中、キイタは洞窟が鎧の立つその場所を終点に行き止まりになっている事に気が付く。
暴れまわるレヴレントを鎮める為エミカ王女を見つけ出そうとしたキイタ達の目論見は入口から僅か数十mの地点で挫折した。
エイクはマウニールとアガスティアの最終決戦となったレメルグレッタも、今自分達がいるこのソローニーアも三百年の時を経て共にただの観光地になってしまったのだと推理する。
何とかエミカ王女の祈りを成就させようとこんなところまで来たキイタとアクーは落胆する。そんな三人の前に突如鎧の影から小さな影が踊り出た。
三人は驚くが、落ち着いてみればそれは愛らしい小動物であった。しかしその姿を見たキイタは目に見えて顔色を失う。何事かと訝しむアクーとエイクに向かいキイタはその小動物の正体について話し始める。
ヴィゼレットと呼ばれる鼬科のその小動物は数百年前に絶滅した筈の種であったのだ。その時、突然キイタが大声でアクーの名を叫んだ。
深いと思われた森もシルバーが得意の馬術を駆使して休みなく駆け抜けてみれば思いの外早くその出口を見つけだす事ができた。
目の前に見える光へ向かい、シルバーは速度を落とす事なく突き進み一気に森の外へと飛び出したシルバーはそこで漸く馬の手綱を引き立ち止まった。
「これは…」
目の前には驚く程の唐突さで城が現れた。見上げる程の巨木に囲まれ、石で組まれ黒ずんだ重厚な館。
その石壁は、そのほぼ全てを緑濃い蔦で覆い隠されている。ココロと大地が連れ込まれたアガスティアの仮の城、ラディレンドルブルットだった。しかしシルバーはまだその名称を知りはしない。
シルバーはそっと馬を降り地に立つと、その古めかしい館を仰いだ。とても人が住んでいるようには見えない、それ程に古く、その建物は荒れていた。
尖った屋根の向こうに見える空は未だ残照に燃えてはいたが、それも間もなく夜の闇に変わるだろう。
シルバーは陽のある内に馬車の痕跡を見ておこうと地面に目を落とした。思った通り、二本の轍は真っ直ぐに館へ向かって伸びている。その先には見上げる程大きな鉄柵の門が聳えていた。
門には真っ赤に錆び、朽ちかけた錠前が掛けられていた。強く引くか、剣で叩き切れば簡単に外れると思える程その錠前はひどく傷んでいた。
しかしシルバーは、その門に一瞥をくれただけですぐにそこから身を退いた。追ってきた車輪の痕がその門の中には入らず、そこから右へ続いていたからだ。
シルバーは門を離れ、車輪の痕を追って蔦に覆われた壁伝いに歩いた。馬車は建物を大きく迂回するように進んでいた。シルバーもそれに従い進んで行く。
基本的に円柱形をしている館をぐるりと回り込むように歩いていたシルバーの足が、ふと止まった。轍を追って地面に落とされていた視線を上げる。目の前に一台の馬車が後ろを見せて停まっていた。
「あった…」
確かにエイクの言う通り、黒くて大きな馬車だった。ただし、これが道を走ったとはとても信じる事は出来なかった。馬車はボロボロに朽ち果てていたのだ。
宵闇の迫る中、シルバーはゆっくりと馬車に近づいて行った。見れば見る程その傷みはひどく、相当の年月を風雨に晒されてきた事が知れる。車輪は軸も輻も折れ、扉は外れ屋根も抜けていた。
シルバーは傾いた馬車の周りをぐるりと回ってみた。とてもこの馬車が昨夜ココロと大地を乗せ闇夜の中を疾駆したとは信じられなかった。
しかし、ここまで自分を導いた轍は確かにここで終わっている。シルバーは何とか二人がいた痕跡を見つけられないものかと注意深く馬車を調べた。
外れた扉から覗く後部客席に人の姿はない。そのまま前に進み、御者台に近づいたシルバーは、そこにぶら下がるカンテラに目をやった。馬車自体と同じようにそれはシルバーに長い年月を感じさせた。
歪み、汚れ、もはや役に立つとは到底思えなかったが、シルバーはそのカンテラにそっと手を伸ばしてみた。
土台を掴み、軽く捻ってみる。向こうを向いて見えなかった面には紋章が刻まれていた。
少し驚いたような顔でその紋章を見上げていたシルバーは後部座席の近くへと戻り、扉の前に屈み込んだ。
積りに積もった埃を強く手で擦る。埃が払い落とされたそこには、掠れ、薄くなってしまってはいるが間違いなくひしゃげたカンテラに刻印されたものと同じ紋章が浮き上がっていた。
(片陰の、アステリア…)
その紋章を見つめたままシルバーは胸の中で呟いた。片陰のアステリア、陰と陽の二色に塗り分けられた星の紋章。間違う筈もない、己が故郷アスビティ公国の元となった敗戦国、アガスティアの国章だった。
「貴殿の名を、伺ってはおりませんでしたな」
ラディレンドルブルットの兵士をココロから引き離す為、大地が一人食堂へと連れて来られたところで案内をしてくれた兵士が訊いてきた。
「え?あ、俺?俺は大地」
食堂にはマヌバラと同じ服装をした数人の女性と、もう一人若い兵士がいた。案内をしてくれた兵士とは対照的に髪を短く切り揃えた、鋭い目をした背の高い男だった。
「ダイチ…?」
「あまり聞き馴染みがないかな?」
「いや、まあ確かに珍しい名前でございますな。申し遅れました、私の名はクロウス。このラディレンドルブルット近衛隊の隊長を拝命しております」
「クロウスさんね、よろしく」
大地が気安く言うと、立派な髭に覆われたクロウスの強面が優しい笑顔に変わった。
「同じく近衛隊の副隊長を紹介させていただきましょう」
そう言ってクロウスは後方に控えていた短髪の兵士を振り返った。彼は二、三歩大地に歩み寄ったところで立ち止まると、姿勢を正して名乗った。
「ジーンと申します、お見知りおきを」
そう言って頭を下げる。目つきは鋭かったが若く、気持ちのいい程礼儀正しい青年であった。
「キイタ様の迎えには女中を一人向かわせました」
「お手数かけます」
ジーンの報告に大地は恐縮したように頭を下げた。
「では、大地殿の給仕を先に…」
クロウスが言いかけると、大地は慌ててそれを止めた。
「あ、いや~、そのキイタ様を待つよ。ああ見えて一応 主君だし」
彼らの出すものには一切口をつけるな。別れ際にココロが言った言葉を思い出した大地はそんな言い訳をして食事の準備を断った。しかし、大地のその言葉に意外そうな顔をジーンと交わしたクロウスが確認するように聞いてきた。
「主君?すると大地殿はキイタ様の旅に同行するお付きの方であるか?」
「で、あります」
「お役職は?」
「いやぁ、役職とかは別に~。キイタ様の話相手と言うか、そんな感じ?」
「では、大地殿は庶民の出であられるか?」
「出で、あられますよ」
「何と…」
クロウスは一言 呟くとそのまま絶句してしまった。
「何か?」
「い、いや…。いかにも気安い様子で口を利かれていたものでな、てっきり大地殿も貴族階級の御仁かと…。そなたらの国は、随分とその、王族と庶民との距離が近いようだと…」
「ああ、そうだね。特にうちのお嬢様は余りそう言うところに拘るような事はなくてね。まあその中でも年が近くて話し易い俺を旅の共に選んだんだろうけどさ」
「これは驚いた…」
「そう?」
「一市民が国主の令嬢と二人で旅に出るなど、我々の国では考えられぬ事」
驚いて言葉をなくしているクロウスに代わり副隊長のジーンが言葉をつなぐと、クロウスがすぐに続けた。
「そもそも、よく領主殿がそれをお許しになられるものだ…」
「まあ、ところ変わればって事ですかねぇ?育ちが悪いので無礼もありますがご容赦いただきたい。俺の事は大地と呼んでくれればいいので」
「あ、ああ…」
自分達もまた一国民からこのような態度で接せられた経験のない正副隊長の二人は、戸惑ったように顔を見合わせた。大地自身が言うように、自国の事であれば無礼にも程があった。
大地の身の程をわきまえない態度に眉を顰め合っていたクロウスとジーンであったが、暫くするとどちらからともなく吹き出した。
「な、何?」
控えめに笑い出した二人の屈強な男に大地が驚いて訊く。
「いや、これはすまん」
もはや笑顔を隠す事もなくクロウスが詫びた。彼は緊張を解したような態度で大地の隣に空いた席へと腰を下ろすと言った。
「確かに大地殿が言う通り、国が変われば風習も変わる…。世界は、広いのであるな」
「え?」
自分を見つめて言うクロウスの言葉の意味が掴めず訊き返すと、代わってジーンが話し始めた。髭のない彼の笑顔は少年のように幼く見えた。
「隊長は風習の違いに戸惑いながらも、大地殿の話に実は少々 羨ましがっているのですよ」
「大地でいいってば。で、何?羨ましがる?」
「まあ、強く否定はせんがな」
と、まだ笑顔のままクロウスが答える。
「我らの忠誠は絶対だ。それでも我らは王族近くに務める身なればまだ会話をする機会もある。が、一国民にとって国王一家となればそれこそ神にも近しい存在。おいそれと言葉を交わすどころか、そのお姿を見る事すら恐れ多き事。そのように教えられてきたのだ」
「この仮城へ来て幾年月…、共に生活する中で、それでも随分と打ち解け、王妃様とは以前よりも遥かに気安く接するようにはなりましたが」
ジーンが上官の言葉に続けて言った。
「王妃は…、お寂しい方なのだ。祖国を離れ、国王陛下も病がちとなられている中、一人この城を守っておられる。だからせめて、傍にいる我らで少しでもお慰めいたさねば…」
「エルフィン王妃が進んで旅の者をお泊めになられるのもその寂しさの現れ…。何とも、お労しい事であります」
言いながらクロウスとジーンの声は、しんみりとしたものに変わっていた。
ラディレンドルブルットで働くその女中は、閉ざされた扉の前でひどく困惑(こんわく)していた。非常に控えめにその扉を叩くと、恐る恐る声を掛けた。
「キイタ様、キイタ様?」
しかし、いくら呼び掛けても部屋の中から応答はなかった。女中は益々泣きそうな顔で暗い廊下に佇んでいた。
「どうしましたか?」
女中が困っていると、そこへ先輩格の別の女中が現れ彼女に声を掛けた。二人とも制服である同じデザインのグレーの服に身を包んでいた。
「あ、これは…。その、クロウス様の命令でキイタ様をお迎えに上がったのですが、一向にお出ましにならず思い余って声をお掛けしたのですが、お返事もなく…」
若い女中のそんな言葉に年配の女中は彼女と並んで扉を見つめた。
「若い娘様ですからね、エルフィン王妃との謁見にお疲れになってお休みになってしまったのでは?」
「それが、お客人のキイタ様もまたどこぞの公国のご令嬢と言う事で、クロウス様のお話では王妃様との謁見においてもそれはそれは堂々とされ、親しくお近づきになられたと伺っております」
「そう…」
年配の女中は眉を顰め、もう一度扉を見上げた。
「お手洗いを使っていらっしゃるか、もしかしたらお風呂に入っておられるのか?」
「それにしては時間がかかり過ぎているのでは?何かご不便があるのではとお声を掛けたのですが…。万が一お召し替えの最中であればいきなり扉を開けますのも失礼かと…」
「よもや…」
「はあ」
「いや…、よもや、お体の具合を悪くされたような事は…」
「まさか…」
二人の女中は顔いっぱいに不安の色を浮かべ、見つめ合った。
女中達が扉の前で悩み続けているそんな時、当のココロは既に部屋を抜け出し微かに届く正体不明の声を頼りに勝手のわからぬまま城の中を彷徨っていた。
(誰?どこにいるの?)
ココロは必死の思いで声の主に話し掛けた。相手との距離が縮まれば自然に声は大きくなる筈、そうは思ってもその相手がどこにいるのか見当もつかない。仕方なくココロは闇雲に城の中を歩き回っていた。
(お願い、もっとあなたの声を聞かせて。あなたはANTIQUEの能力者なの?だとしたら私はあなたの仲間よ。お願い、あなたの声をもっと聞かせて)
角を曲がり、階段を上り或いは下り、右に左にココロは歩き続けた。不思議な事にあれだけいた筈の兵士にも女中にも一人も出会わなかった。窓のない暗い廊下を歩き続けていると今が昼なのか夜なのかさえ曖昧になってくる。
(…す…て…)
(すて、すてって何?もっとよく聞かせて。私に何を言いたいの?)
(…す…て…)
いくつめの角を曲がっただろう?もはや自分が建物の何階にいるのかもわからなくなった時、その声が今までよりも大きく聞こえた気がしてココロは立ち止まった。
(…す…て…)
部屋で聞いていた時よりも幾分声がはっきりしてきたように感じた。
(た…て…)
(た?たて?)
立ち止まったままココロは忙しく目を動かした。今、確かに今までとは違う言葉を捕えた気がした。
(たてって何?あなたは…)
そこまで考えた時、ココロははっとした。今聞こえた言葉、そしてさっきまで聞こえていた言葉…。
突然ココロは口を手で抑えた。そうしていなければ勝手に声が漏れてしまいそうだった。体を壁に預ける。瞬時に全身が粟だった。
たてではない、すてでもない、今こそわかった。何度も何度も、何度も頭の中に響くその声は、初めからこうココロに訴え続けていたのだ。
“タスケテ”
と。
「私の馬車に何をしている?」
シルバーは突然背中から掛けられた声に動きを止めた。その存在にまったく気が付かなかった。兵士としての訓練は受けている、自分は敏感な方だとの自負があった。しかし今声を掛けてきた男が近づいて来る気配すら感じ取る事は出来なかった。まるで、その空間に突然現れたかのような唐突さでシルバーは声を掛けられた。
じわりと額に冷たい汗が浮かぶのを感じたシルバーは、それでもそれを相手に気取られぬようさりげない様子で振り返った。
黒衣のマントに身を包んだ体の大きな男が立っていた。顔の半分を覆うフードの隙間から鋭く光る眼が推し量るようにじっとシルバーを見つめている。
シルバーは、薄く笑みを浮かべ、何とか冷静な声を出そうと努めながら言った。
「ああ、これは失礼。これはあなたの馬車でしたか」
「私の、と言うよりは国の物。つまりは国王陛下の物だ。私は御者と管理を任されているに過ぎぬ。それよりもどちらの御仁かな?見たところ、いずれの国の兵士とお見受けするが?」
シルバーは素早く頭を回転させた。今、この館の中にココロが囚われているとして、それを助け出す為にはここをどう切り抜ければいいのか?
「いや…」
考えが纏まとまらない内に口を開いたシルバーは、自分が何を言い出すかもよくわからないまま背後の馬車を振り返りながら指さした。そして、そのまま絶句してしまった。
つい今まで触れればそのまま崩れてしまいそうな程に傷んでいた馬車が、まるで今できあがったばかりかと見紛う程、美しく輝いていた。しっかりとはめられた扉には螺鈿で飾られた美しい縁取りで、片陰のアステリアが燦然と輝いていた。




