けれど、それでも、だから Ⅶ(3)
小坂千夏。彼女が編入してきた当初、私は彼女のことを問題児だと決めつけていた。しっかり染め上げた金色の髪に左耳に付けられた二つのピアスかイヤリング、まだ数日も経っていないにも関わらず所々傷ついている制服に、ほのかに香るタバコ臭。見た目は誰が見ても問題児であり、生徒会長である私はこれから彼女に手を焼くのだろうと今後に頭を悩ませていた。
しかし、屋上で彼女を見たあの日以降、その考えは日が経つにつれ少しずつ変化していった。見た目を覆すかのような面倒見の良さに学年試験で五本の指に入るほどの好成績を持ち、更には弱い者をいじめることなくむしろ守ってあげるほどの心優しい人間なのだと、私は日に日に感じていた。
もちろん最初は、彼女のような問題児を更正させることなど絶対に出来ないとばかり思い込んでおり、できるだけ関わらないようにしたいとも思っていた。けれどその人柄の良さとどこか琴美さんや私に似ていることから親近感が湧き、彼女が編入して二週間後、私は一人のクラスメートとして彼女に話しかけたのである。
彼女はそんな私を待っていたかのような反応で、まるで前々から知り合いだったかのように私に接してくれた。そんな彼女はどこか琴美さんと似ており、けれど琴美さんとは違う印象があり、私と彼女が唯一無二の良き相棒になったのはそこから一月後のことだった。
そして五月中頃、琴美さんから彼女と千夏に関する昔のとある出来事を話された。それによって、何故琴美さんと千夏、そして私がどこか似たもの同士だと感じていたのかハッキリと分かり、琴美さんへの親近感がますます高まったと同時に、千夏の人間味の良さを理解した。
「会長さんっ。どうだ、一口食べるかっ。」
そう言って食べかけのケバブが入った袋を千夏は笑顔で私に手渡してきた。嫌がらせでないことはこの数ヶ月の彼女の行動で理解しきっているのだが、やはりどこか嫌がらせではと思ってしまっている私も存在している。
「まぁあの量一人で食べきったら他の食べられないし、遠慮無くいただきます。」
ため息を吐きかけた口を一度閉じ、何事もなかったかのように千夏から食べかけのケバブを受け取ると、特に考えることもなく齧りついた。
「おっ、良い食べっぷりだな。…女の子っぽくない一口だけど。」
最後の余計な一言を付け加えた千夏に対しもの申したいが、食べている最中のため睨むことしか私は出来なかった。
「…んぐっ。別に、可愛くなくて結構。それに女子校で可愛くなったところで、ちやほやされるわけじゃないし。」
「そういった願望持ってんだな、会長さんって。」
苦笑いを浮かべながらそんなことを口にした彼女に、私は「はいっ」といただいたケバブを返した。そして彼女もまた、特に気にすることもなく私が食べた箇所を彼女の口で上書きした。いわゆる世間ではこの行動を「間接キス」とか何とか言ってキャーキャー興奮するのだろう。私も一女子高生としていつかそんなことで盛り上がりたいという願望だが何だがは多少あるものの千夏に恋愛感情などはなく、それ以前に彼女は私と同じ同性である。確かに彼女の顔の素材は良い方だと言えるが、顔が良いだけで恋愛感情が芽生えるなど私には起こらないだろう。
「ま、私も一応女子高生だし、それなりにかっこいい人に声かけられたいって。…誠実で高学歴で高収入に限るけど。」
「さすがに同学年では、その条件厳しくないか?」
「そもそも、女子校にいる間は無理な話さ。」
そう話すと「もう一口」とケバブを渡すよう千夏に欲求した。思ったよりも美味しく、一口では足りなかった。ならもう一つ買えば良いだけの話だが、食べ歩きしたい今、丸々一つ食べてしまえば他の物が食べられなくなるだろう。
「はいはい、食べきらない程度であればお好きにどうぞ。」
呆れることなく千夏は私にケバブを渡してくれると、一口以上食べる私を優しく見守っていた。彼氏面する彼女のその態度に少々思うところはあるが、彼女がいなければ安心して食べることは出来ないだろう。
というのも中学時代、こういった性格や話し方から「男っぽい」と言われることが今もなお少なくはない。また私自身、同性に比べ異性の方が気楽にいられるということから異性と過ごす時間の方が多かった。その結果、私は異性からすれば接しやすい人間のように思われてしまい、一人で外出する際はよく話しかけられる。そもそも自覚症状有りの強度の方向音痴で一人で外出する頻度はあまりないが、その限られた外出の八割は話しかけられる。もちろん、そのような雰囲気を見せるなどという行為は行っていない。
確かに私のつい数秒前の発言からすれば、このような状況はむしろ好都合なのでは、と感じるだろう。が、そんな学園物の主人公のような状況が毎回となれば話は別である。相手に好意をもっていれば嫌な気など起きないだろうが、その気など私にはさらさら無いわけである。
そんな私にとって夏祭り会場での一人の状態は罰ゲームに等しく、千夏が私のそばにいるだけで安心できるわけだが、それを彼女には絶対に話さない。良き相棒であると同時に、彼女はライバルでもある。
結局あと残り数口になるまでケバブを食べてしまい、それが無自覚であった私は気がつくと、「ごめん」と謝りながらケバブの入った袋を返した。しかし千夏は怒ることなく「別に構わねぇよ」と残り数口のケバブをぺろりと食べきってしまった。
「そういや会長さんって、何かいわゆる生徒会長っぽくないよな。」
「それは良い意味で言っているのか?」
ケバブを食べきった千夏からの急な発言に内心取り乱していたが、そこは何とか顔に出すことなくいつも通りの反応を返した。
「んんー…。まぁ良くも悪くもかな?ほら、世間の生徒会長って規則に正しく真面目でさ、勉学がお友達ってイメージだろ?けど会長さんって、そんなイメージないというかな。」
悪戯っぽい笑顔を浮かべながら私にそう話す千夏であるが、彼女が言っていることは間違いではなく、私はドラマや漫画などで登場している典型的な生徒会長とはかけ離れているだろう。校内での規則は厳しいが校外ではさほど規則に対して物を言うことはないし、真面目かと言われれば五分五分である。確かに勉強はしっかり好成績が取れるよう努力はしているが、別段勉学が友達とは言い切らないし言い切れない。とはいえ、私自身が友達と断言できる人物が少ないことは事実だが。
「…ま、確かにいわゆる生徒会長って感じではないけど、嫌なら小坂が想像しているような真面目な生徒会長になってもいいんだぞ。」
「いや結構です。規則ゆるゆるの楽な会長さんでいてくれ。」
「それは小坂が望んでいるだけだろ。…ま、今ぐらいゆるっとしてるぐらいがちょうど良いか。」
まぁ世間が思う生徒会長とは異なる点が多いが、私自身も千夏自身もゆるい方がちょうど良い。それにもし私がきっちりとした生徒会長であれば、例え琴美さんと同類だと感じた彼女に話しかけることなどなかっただろう。
「ちょうど良いというか、居心地良すぎてむしろ困る。もうちょっと校則に厳しい方が良いと思うぞ。」
「なら、今すぐその金髪を黒く染めてやろうか。」
そう言ってヘアスプレーを振る動作を千夏に見せると、彼女は「気が向いたらな」とそんな未来など一切来ないかのよう笑顔で返答した。残念だが、卒業式では染めるハメになるが、彼女がそのような常識を理解していないはずなどないため、きっと理解している上での発言だろう。
「そういや、あの一年二人組は誘わなくてよかったのか?特にほら、身長ちっこい方。結構生徒会長にベタベタしてるじゃんかよ。」
ニヤニヤとした顔つきでこちらを見てくる千夏。一体何を考えているのかは検討できないし、しても後悔するだけだろうからそもそもの話考えない。
「…珠穂のことか?一応毎年晴と一緒にどうかとは誘ってはいるけど、珠穂は虫とか爬虫類とか苦手で夏祭りは私の頼みでもあまり行きたくないんだってよ。」
「誘ってはいるんだな。…って言うかよ…。」
つい数秒前の表情とは一変、頭を掻きながら千夏は少々深刻そうな顔つきで私に何かを話したそうにしていたが、千夏は言いたいことはわりとハッキリと言うタイプのように私は見える。故に今回も訊いてくることは分かりきっている。
「会長さんはさ、その珠穂って子のことどう思ってるのかなってな。ほらあの子、少なからず会長さんに何かしらの理由で好意があるのは一目瞭然だろ?」
とあたかも前々から私と珠穂のことを知っているような話し方の千夏であるが、珠穂は千夏のような見た目が悪そうな人物は話しかけるはおろか、目も合わせないほど苦手である。そんな珠穂が千夏に話しかけるといった行動を起こすことなど考えられず、千夏に話しかけられてもその場を立ち去るだろう。
また私と千夏が共に行動している際、珠穂は私の姿を見つけ声をかけては来るものの、横にいる千夏の姿を見た途端晴の後ろに隠れてしまう。そんな珠穂が千夏と関わりを持つなど考えられない。
「…で、どうなんだ。あの感じだと私は、珠穂は会長さんのこと…。」
「珠穂のことは私も好きだ。何せこんな私を慕ってくれる、大切な後輩だからな。」
私は千夏が何を言おうとしたのか分かってしまった。分かってしまったからこそ、その言葉を聞きたくなかった私は、誰でも気付くような誤魔化し方をしてしまい、それに気付いたときにはもう遅く、千夏は少々不思議そうな表情で私を見つめていた。
私は口を開こうとしたが、ここで今私が何か口にしても単なる言い訳にしか聞こえなくて、そもそも相手は言いたいことをハッキリと言うタイプの千夏である。例え今何も話さなくても、先ほどの謎の誤魔化しについて千夏は追求してくるだろう。
そんな私の顔はどのような表情をしていたのだろうか、千夏は「まぁ頑張れ」と私に伝えると気にするような素振りを見せることなく、周囲の屋台に目線を向けていた。そんな千夏に…
「何も訊かないのか?」
と隠していることがあると自白したかのような言葉が、私の口からは自然と出ていた。千夏は再び私に顔を向けると「訊いてほしいのか」と逆に悪戯そうに訊いてきた。それに対して私は頭を横に振ると、千夏は「だよな」と笑って返事をした。
「別に気にならないわけではないぞ。会長さんが珠穂のことをどう思っているのか、会長さんが何を隠しているのか私は知りたいことだらけだ。」
「…。」
「けどさ、誰しも誰かに知られたくない秘密ってのはある。私だってよ、琴ちゃんにですら知られたくない秘密があるわけだしよ。」
私には千夏が何を隠しているのか分からない。けれどとても寂しそうな瞳からは、琴美さんにも言えないような秘密を千夏は抱えているということが理解できる。そんな私も、心を許せた琴美さんにすら話すことの出来ない隠し事があるわけで…。
「…ま、話したくなれば話してくれよ。私はいつでも待ってるからさ。」
「…優しいな、千夏は。」
その言葉に千夏はにこりと笑うと「惚れんじゃねぇよ」と口にした。
私はまだ出会って半年も経っている千夏のことを理解できていない。金色の髪に左耳に付けられた二つのパスかイヤリング、所々傷ついた制服にほのかに香るタバコの臭い。どう見ても問題児にしか見えない千夏だが、私や琴美さんとどこか似ており、けれど私や琴美さんとは全く違う優しさや人間味の良さを兼ね備えている。だからどれだけ彼女の第一印象が悪くても、彼女の人間性が悪いわけではない。…といっても、当初見た目で判断していた私に説得力などどこにもない。
そんな私だが、千夏はきっと私のことを許してくれる。それは彼女が優しいだとか気にしていないとか言う話ではなく、彼女が私のことを信頼している、それだけの話しのである。にも関わらず私は、そんな信頼してくれる彼女に何故信頼してくれているのかと理由を付けたがってしまった。いやそんなのはいつものことで…。
「…理由が欲しいのか、私は。」
どうして千夏が私のことを信頼しているのか、どうして千夏と珠穂が何らかの関係を持っているのか、どうして珠穂がこんな私のことを…好きでいてくれているのか。
思い返せば昔から私は、何に対しても理由を付けたがっていた。両親がそばにいない理由、祖父が私を育てる理由、私が好きである理由。確かに理由が必要な事柄もあったが、些細なことにすら私は何かしら理由をつけたがっていた。それがどのような経緯でなのかは私ですら定かでない。
「ん?どうした会長さん?」
「…いや、なんでもない。さ、次行くか。」
だから私には分からないのだ。私のことを慕い好意を持つ珠穂のことが。「好きに理由などない」そう彼女は答えるだろうが、その答えにすら理由が私には欲しい。理由が要らないという理由が。
「…。」
すると何を思ったのか、千夏は私が考えに更け気付かないうちに購入していたのだろうペットボトルの水を私の頭にぶっかけてきた。一瞬何をされたのか分からなかったが、髪の毛から滴る水と寒気に現状を理解した。
「ちょっと千夏っ!!何して…。」
「考えたり迷うことは確かに間違いじゃない。」
胸ぐらを掴む勢いで千夏に怒りをぶつけようとしたが、まるで私の思考を読んだかのような発言に私の声は途絶えた。
「けどよ、今は祭りだぜ?一度頭冷やして楽しもうぜ。」
「…おかげで物理的に冷えきりました、ありがとな。」
千夏の行動に未だ怒りは治まらないが、先ほどまで悩んでいたことはその怒りのせいなのかおかげなのかすっかり頭の中から消え去っていた。いずれすぐに思い出すだろうが、現状気分はかなり楽になっていた。
千夏にとって私という人間がどう見えるのかは千夏本人にしか分からない。しかしこの時私は、千夏とは長い付き合いになるだろうと確信していた。性格や外見は陰と陽ほどの差があるが、その中にある何かが同じであると感じたからだ。
実際、私と千夏は三十代前半まで一定の頻度で会う良き話し相手になり、その後も年に一、二回会っては相談し会う仲になるわけだが、現在の私がそんな先の未来を知る由はなかった。
しかしそれすらも見据えているかのように、千夏は「また頭冷やしてやるよ」と空のペットボトルを振り回していた。




